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第20話 縁

 ときとして縁は不思議に絡み合う。探し求める人が向こうからやってくる……そんな偶然に春馬は目を見張った。家の外へ出ると近所の通りに小夜がいる。小夜は春馬を見るなり駆けよってきた。



「春馬!!」

「さ、小夜さん!?」

「ちょっと、スマホくらいチェックしてよ!! 何度も電話したんだよ!!」

「そ、そうなの……?」



 春馬がスマホを確認すると小夜からの着信があり、『春馬、今どこ?』『大丈夫なの?』というメッセージも届いていた。



「連絡がつかないから家まで来たんだよ。心配かけないでよ……バカ」

「ご、ごめん……」



 春馬は不安げな小夜を見て困惑した。自分が引き起こしたのは暴力沙汰であり、こんなときどんな顔をして、どんな言葉を並べればよいのか全くわからない。春馬が黙りこむと小夜は春馬の顔をそっと覗きこんだ。



「春馬が停学になったって聞いたけど……」

「それは……その……僕は……」



 春馬はやはり言葉が出てこない。声もか細くなり、俯いたままだった。やがて、小夜は春馬の拳頭けんとうにガーゼが巻かれていることに気づいた。



「喧嘩……したの?」

「……うん」

「そっか……」



 小夜は詳しく聞こうとしなかった。かわりに、春馬の手をとって拳頭へ優しく触れてくる。



「深くは聞かないけど……あまり無茶しちゃダメだよ……」

「……」



 小夜の手は以前と同じでひんやりとしていた。優しい言葉と相まって春馬の戸惑いは大きくなってゆく。小夜の横顔を見ていると「何があったの?」と問い詰められている気がした。良心の呵責かしゃくは増すばかりで、胸が強く締めつけられた。



「あの、小夜さん」

「ん?」

「話を……聞いてくれるかな?」

「……うん」

「ありがとう……あ、飲み物でも買う?」

「いいよ。こんなときに気をつかわないで」



 小夜は春馬を気づかうように笑顔をつくる。そんな小夜を見ていると、春馬は暗い心に一瞬の晴れ間が差す気分になった。



「え、遠慮しないで。小夜さん、僕も何か飲みたいんだ……アイスの方がいいかな……?」



 春馬は不器用に言葉を並べながら小夜をコンビニへと誘った。



×  ×  ×



 春馬と小夜はコンビニで飲み物を買うと先日出会った公園へ向かった。夕方の公園はとても静かで人影は見当たらない。夕日を浴びる遊具だけが長い影を落としていた。二人は先日の夜のようにブランコへ腰を下ろした。



「どこから話せばいいのかな……」



 春馬はポツリ、ポツリと学校での経緯いきさつを話した。春馬が引き起こしたのは暴力事件で軽蔑されるべき事柄だが、それでも小夜は黙って聞いてくれた。



「僕は、怒りを抑えられなかった……暴力的で最低なヤツだ」



 話し終えると春馬はブランコのチェーンを強く握る。後悔の念は強くなるばかりだった。



──こんな話、するべきじゃなかったかもしれない。きっと、小夜さんに軽蔑される……。



 苦悩で歪む春馬の横顔を小夜は黙って見つめていた。小夜はひろしの言葉を思い出していた。



『屈折した人間が暴力に目覚めたらどうなると思う?』



 と、寛は楽しそうに語っていた。今、小夜は寛の言っていた意味が少しだけわかった気がする。春馬が何の躊躇ためらいもなく八頭大蛇やずおろちの力を使えば、『幽霊狩り』にとってそれほどよいことはないだろう。ただ……。


 暴力で一番怖いのは、暴力を振るうことに慣れてしまうことだった。今の春馬はギリギリのところで良心がブレーキをかけている。もし、このまま春馬が暴力的な衝動に身を任せるのなら……春馬は人間ではないになってしまうのではないか? 小夜にはそう思えてならない。それでもいいの? と小夜の心は強く語りかけてくる。



「春馬は最低なんかじゃないよ」

「え?」



 小夜が呟くと春馬は少し驚きながら顔を上げた。



「リングを奪われそうになって、暴力を振るわれて、妹を侮辱されたんでしょ? 怒って当然だよ」

「でも……」

「確かに、春馬のやったことは褒められないよ。それでも……今、春馬は自分の行為を反省して見つめ直してる。なかなかできることじゃない」



 小夜はブランコから立ち上がり、以前のように鉄柵へよりかかった。



「だから、これ以上の仕返しはダメだからね」

「えっ!? そんなこと、僕は……」

「あ、今のは春馬に言ったわけじゃないよ」

「??」



 春馬には小夜の言っている意味がわからない。戸惑っていると小夜は春馬の瞳をジッと見つめた。



禍津姫まがつひめ、出てきて。見てるんでしょ?」



 小夜さやが語りかけて少したつと誰もいない公園に三つ目の影が伸びる。春馬の真後ろに忽然こつぜんと制服姿の禍津姫が現れた。



「ふふふ、わらわを呼び出すとは相変わらず不遜な……まあ、春馬と逢瀬おうせを重ねるのは嫌ではないがのぅ」



 禍津姫はクスリと微笑みながら春馬の首筋へ両手を回して抱きついた。そのれしい態度に一番驚いたのは小夜だった。



──ちょ、ちょっと。どういうこと……!?



 小夜は親密な二人をたりにして心がざわついた。しかし、その感情がどこから来るのか、今一つ理解できないでいる。そして、春馬も春馬で、今度ばかりは驚いた。



「ま、禍津姫さん!!??」



 春馬は慌てて禍津姫の手を振りほどき、ブランコから立ち上がった。すると、禍津姫はつややかな黒髪を耳にかけながら口の端を上げた。



「わらわとは先ほどまでベッドで唇を重ねていたではないか。今さら何を恥ずかしがっているのやら……春馬はうぶで可愛いのぅ」

「そ、それは……」

「は!? ベッド……って、唇!? 春馬、どういうこと!?」



 小夜は思わず語気が強くなり、焦って春馬を問い詰める。すると、春馬のかわりに禍津姫が答えた。



「どういうことも何も、そのままの意味じゃ。そなた、もしかして……いておるのか?」

「べ、別に妬いてなんか……」



 言葉とは裏腹に小夜は大きく動揺していた。それは、異性に免疫がないと思っていた春馬がいつの間にか禍津姫と親しくなっていたからだった。小夜が例えようのない息苦しさを感じていると、禍津姫は勝ち誇った顔で見つめてきた。



「わらわと春馬の関係をかんぐるなど無粋ぶすい。それより、わらわを呼び出した訳を申せ。わらわが春馬以外の召喚に応じるなど、珍しきことぞ」



 春馬も禍津姫を呼び出した理由が気になって小夜を見る。視線が集まると小夜は呼吸を整えて禍津姫へ話しかけた。



「春馬にこれ以上の復讐をそそのかしたりしないで……」

そそのかす? それは奇異きいな申し出じゃな。わらわは春馬の許しなしに力は振るえぬ。そなたも知っておろう?」

「それはそうだけど……。もし、春馬が望むなら、能力を駆使して人に危害を加えるんじゃないの?」

「ふふふ、そうかもしれぬな。それならば春馬に尋ねてみるがよかろう?」



 禍津姫が答えると小夜はチラリと春馬へ視線を送る。目が合うと春馬は慌てて首を横に振った。



「ぼ、僕はこれ以上のことなんて望まないよ!! するつもりもない!!」

「……本当?」

「本当だよ、小夜さん」

「春馬もこう言っておるではないか。そなた、何を心配しておるのじゃ?」



 禍津姫は白い首筋をかしげながらクスクスと笑う。妖艶な笑みは小夜の不安をさらにき立てた。禍津姫は強大な力を持つ古代の神獣。人間の心を操るなんて簡単なことだろう。ただでさえ、春馬は家族を失いかけて不安定だった。



──春馬は本当に大丈夫なの?



 小夜がそう思っていると今度は春馬が尋ねてきた。



「僕のことなら心配しないで。それより、僕も小夜さんに聞きたいことがあるんだ」

「え……何?」

「僕はちゃんと禍津姫さんを両目に転封てんぷうした。だから、今度は僕に夏実なつみを救う方法を教えて欲しい。デッドマンズハンドは約束してくれたよね?」

「うん。夏実ちゃんのことは兄さんかおみさまに……」



 小夜は言葉の途中で思わず息をのんだ。春馬が話し始めると同時に禍津姫の両目がじゃとなり、赤い攻撃色に変わっている。春馬への返答次第しだいでは、すぐさま襲いかかってくるように思えた。



──わたしを脅すつもり?



 普通なら豹変した禍津姫に恐れおののくところかもしれない。しかし、小夜はそんな禍津姫を鋭い目つきで睨み返した。



──上等じゃん。



 小夜さやにとって禍津姫まがつひめは暴力を奨励し、破滅を招く暴虐の神。『幽世かくりよの住人』や『神域しんいきの住人』と対峙する者として、その圧力に屈することがあってはならない。小夜は禍津姫を睨み返しながら春馬へ答えた。



「春馬、安心して。兄さんやおみさまは約束をたがえる人じゃない」

「そっか……よかった」



 春馬は小さく息を吐いて胸をなで下ろした。すると、呼吸と合わせるように禍津姫の攻撃色に染まる瞳が柔らかな眼差しへと変わる。小夜は春馬の心情と連動する禍津姫に危うさを感じた。



──春馬が怒れば禍津姫も怒る。二人は一心同体……。



 小夜の警戒心を知ってか、知らずか。禍津姫は感心した様子で小夜に話しかけた。



「わらわの眼力にひるまず、めつけてくるとは……やはり小夜は気丈な女子おなごよ」

「別に……凄まれるのが好きじゃないの」

「ふふふ」

「どうして笑うの?」

「いや、何……面白いと思うてな。芯の強い女子おなごは好きじゃ。そなたとは仲良くなれそうじゃ」



 禍津姫は小夜が昼間の屋上で抱いた感情を口にした。「仲良くなれそう」と思っても言えなかった小夜と、躊躇ちゅうちょなく口にする禍津姫。小夜は禍津姫の性格が少しだけ羨ましく思えた。



「神獣と親しくなれるなんて光栄ね」



 小夜は短く答えてスマホを取り出した。



「今から兄さんに迎えに来てもらうから。春馬、稲邪寺とうやじまで一緒に来て。そこで夏実なつみちゃんについて聞いて」

「う、うん。ありがとう、小夜さん」

「ふふふ。春馬よ、わらわはそなたと共に参るぞ。いついかなるときも一緒じゃ」



 禍津姫はそう言い残してき消えてしまった。



「ホント、神さまって便利だよね」

「あはは、そうだね」



 呆れ気味に呟く小夜を見て春馬が笑う。いつの間にか、春馬の顔からは鬱々うつうつとしたくらさが消えていた。



──春馬は少し元気になったみたい。よかった……。



 小夜は春馬の明るい表情が『妹を救える』という希望からきていると思った。しかし、それは少し違う。春馬の顔から影が消えた理由は、夏実の復讐を遂行する可能性が出てきたからだった。


 春馬は家族を追いこんだ元凶を絶対に許しはしない。小夜は春馬の瞳の奥で揺らめく『復讐』という名のくらい炎に気づかないままだった。



×  ×  ×



 春馬と小夜を迎えに現れたのは黒いハイエースだった。春馬が乗りこんでみると、運転しているのは以前に稲邪寺とうやじの駐車場で見かけた黒鉄くろがね莞爾かんじだった。小夜は莞爾を見ながら首を傾げた。



「莞爾さん、兄さんは?」

「寛さまは『退魔資料室』で調べものをなさっています。なんでも、について調べると申しておりました」

「カンデラ? さっき電話したときはそんなこと言ってなかったのに……」

「そうでしたか。寛さまは鈴宝院家れいほういんけ家宰かさいですからな。おみさまに何か頼まれたのかもしれません。とにかく、稲邪寺とうやじまで参りましょう!!」



 莞爾は巨体を屈めてエンジンをかける。黒のハイエースは稲邪寺へ向けて発進した。

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