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第18話 聲

小夜さやさん、ちょっといいですか?」



 放課後になり、小夜が帰り支度を終えて教室を出ると禍津姫まがつひめが呼び止めた。禍津姫は美人の転校生、真月媛まなづきあきを演じている。



「どうしたの? 媛さん、何か困りごとですか?」



 小夜はわざとらしい笑顔で接してくる。禍津姫はムッとして眉間みけんしわをよせ、そのまま口を尖らせて用件を伝えた。



「春馬が停学処分とやらになったぞ」

「は!?」

「無期停学処分と言うらしい」

「え……ど、どうして??」

些細ささいな喧嘩じゃ。一応、そなたにも伝えておこうと思ってな」



 小夜には春馬が喧嘩するとは思えなかった。



「何があったの? 何で喧嘩になったの?」

「そなた、直接春馬に聞けばよいじゃろう」

「もしかして、昼間……あなたの雰囲気が変わったのって……え?」



 言葉の途中で小夜は目を見張った。一瞬にして禍津姫の姿がき消えている。神は人知れず姿を現し、消えることができるらしい。周囲の生徒たちは何事もなかったように帰り支度を終え、それぞれ帰途についていた。今度は小夜が禍津姫に苛立ちを覚える番だった。



──いったい、何なのよ!! でも、あの春馬が喧嘩するなんて……。



 小夜はスマホを取り出して春馬の番号をタップした。



──ちょっと、春馬……出てよ……。



 春馬が出る気配は一向にない。代わりに、スマホを見ていると双葉ふたばりょうからのメッセージが表示された。



『今日って会えるかな? 相談したいことがあるんだ』



──涼が相談?



 普段の小夜なら、涼に「相談がある」と言われればすぐに駆けつけただろう。しかし、今の小夜は春馬のことで頭が一杯だった。



『少しなら会えるよ』



 メッセージを打ちこむとすぐに涼から返信がきた。



『急にゴメン』

『いいよ、気にしないで』

『じゃあ、いつもの駅で』

『わかった。何時にする?』

『もういるから……小夜の都合のいい時間で大丈夫』

『今、学校だから。すぐに向かうね!!』



 小夜はスクールカバンを手に取ると駆け足で学校をあとにする。このときばかりは禍津姫の身軽さが羨ましく思えた。



✕  ×  ×



 宵闇駅よいやみえきにつくと小夜さやはいつもの場所へと向かう。ホームの階段を駆け上がると、自販機横のベンチに涼が腰かけていた。りょうの姿は心なしか暗く、元気がないように思えた。



「涼、ごめん。お待たせ」

「大丈夫。そんなに待ってないよ」



 謝る小夜を気づかって涼は微かに微笑んでみせる。やはり、涼からは普段の元気が感じられない。



「どうしたの?」

「いや……別に……大したことじゃないんだけど……」



 涼はわざと気丈に振る舞っている様子だった。小夜は涼の隣に腰かけると涼の手をそっと握った。



「小夜……?」



 涼は少し驚いた顔をしたあと、小夜の手を強く握り返した。その強さが涼の心配事がただ事ではないと告げていた。



「ねえ、話して」



 小夜が優しくうながすと涼はやっと決心して話し始めた。



「小夜は幽霊とか怪奇現象に詳しかったでしょ?」

「まあ……ね」



 小夜はデッドマンズハンドでの活動を秘密にしている。少し後ろめたく思いながら涼の話に耳を傾けた。



「あのね小夜、わたしの高校で変な噂が立ってるの」

「変な噂?」

「うん。どこにでもあるような学校の怪談なんだけど……わたしが通う高校には『幽霊当番ゆうれいとうばん』って言う係りがあるんだ……」

「『幽霊当番』?」

「う、うん。変な名前だよね……それは校舎の4階、今は使われてない空き教室の掃除当番の別名なんだ。今はわたしがその『幽霊当番』で……」



 ここまで話すと涼は言い出しづらそうに俯いた。



「ちゃんと、聞いてるよ」

「う、うん」



 小夜が微笑むと涼はゆっくりと顔を上げて頷いた。



「誰がいつ始めたのかわからないけど。幽霊当番には『教室にある花瓶の花をきらせてはいけない』っていうルールがあるの。いつも何かの生花せいかけてなきゃダメだって……それを、わたしが破ったんだ……」

「どういうこと?」

「この前、クラスの子が幽霊当番だったときに、周りが『もし、花瓶の花をきらせたらどうなるか試そう』って言い出したんだ。その子、本当に嫌がってて……代わりに、わたしが幽霊当番のときに花を飾らないって決めたんだ」

「……」



 涼の優しい性格を考えれば容易に想像がつく。涼は友人が困っているのを、見て見ぬふりができなかったのだろう。



──それにしても、涼は何を苦しんでいるの……。



 涼は幽霊や学校の怪談を信じるような人間ではない。その涼がこうやって相談するなら、よほどのことがあったのだろう。小夜は静かに涼の言葉を待った。



「最初は何ともなかったんだ。花を飾らなくても、何も起きなかった。でも、最近……教室の掃除をしていると、聞こえるようになったんだ……」

「何が聞こえるの?」

「……



 涼は絞り出すような声で言った。繋いだ手も汗ばんでいる。



「最初は誰かの悪戯いたずらか気のせいだと思ってた。だけど今日、その笑い声がやんで、わたしに話しかけてきたんだ。抑揚のない平坦な声……多分……女の人」

「なんて話しかけられたの?」

「……『オマエニアイタイ』って……」



 普段は爽やかな笑顔を見せる涼の顔が恐怖で歪んでいる。涼は顔を引きつらせながら小夜を見ていた。



「おかしなことを言ってると思うよね?」

「ううん。そんなことない」

「本当? 信じてくれるの?」

「当たり前だよ。涼の言葉は信じる」

「……ありがとう、小夜」



 小夜に信じてもらえて安心したのだろう。話し終えた涼の目にはうっすらと涙がたまっていた。涼がホッとした様子で微笑むと、小夜も優しく微笑み返した。



──低級の土地神か地縛霊が涼に悪戯いたずらをしているのかも……。



 小夜は直観的に涼の言っていることが事実だと感じた。神か幽霊かわからないが、人外が涼に干渉している。



──でも、焦るほどのことじゃない。いつでも対処できる……。



 禍津姫まがつひめの心配がなくなった今、宵闇よいやみ市や札幌市でデッドマンズハンドに太刀打ちできる神や幽霊はいない。小夜の頭には慢心にも似た考えがあった。だからこそ、涼より春馬を優先しようと決めた。春馬の両目には強大な力を持った神獣がんでいる。何かあってからでは遅い。



「今度、もっと詳しく話を聞くね。今日は時間がなくて……」

「こっちこそ急にゴメン。小夜に聞いてもらえただけで楽になった」



 涼が答えたとき構内アナウンスが流れて電車がホームへ入ってきた。



「わたしはもう行くけど……涼は?」

「わたしは次の快速で帰る……」

「そっか……」



 小夜は繋いでいた手を放して立ち上がった。いつもの小夜であれば、誰よりも涼の心配をして、何よりも優先したはずだった。しかし、今は春馬が気になって仕方がない。



「涼、その声に返事したり、言うことを聞いたりしちゃ絶対にダメだからね!!」

「う、うん。わかった……」



 小夜は涼へ強く言い含めると電車に乗った。閉まるドアの向こう側で、両手の人差し指と親指を使ってハートマークを作る。小夜のわかりやすいボディーランゲージを見た涼は自然と顔をほころばせた。小夜へ軽く手を振り、電車が見えなくなると深く息をつく。小夜の笑顔にはいつも励まされ、勇気をもらっていた。



──きっと気のせいだ。しっかりしなきゃ……。



 そう思い直した瞬間だった。突然、涼は戦慄を覚えて身体を硬直させた。は涼の耳元で確かにささやいた。



「ヤットアエタネ」



 声は息づかいが聞こえるほど近い。涼は見る間に顔面蒼白となり、身じろぎ一つできなかった。

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