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第17話 暴力

 話は少し時を遡る。春馬は禍津姫まがつひめを見送ったあと、自分も教室の外でお昼を食べようと思い立った。母親が作ってくれたお弁当を持って校舎の外れにある外階段へ向かった。


 昼休みの外階段には誰もいない。春馬は吹き抜ける風に目を細めながらコンクリートの階段に座った。遠くからはグラウンドでサッカーをする生徒たちの歓声が聞こえてくる。


 お弁当を食べ終えた春馬は制服の胸ポケットからナイトのシルバーリングを取り出した。初めて異性からもらった誕生日プレゼント。その事実が嬉しくて見入っていると突然、後ろから春馬を呼ぶ声がした。



「オイ。その指輪、見せてくれよ」



 春馬が慌てて振り向くと踊り場に三人の男子生徒が立っている。三人とも春馬と同学年で、名前は知らないが顔は知っている。彼らは軽音楽部であり、普段から素行が悪くて有名だった。春馬はとっさに指輪を握りこんだ。



「無視してんじゃねーよ。お前、ちょっとコッチ来い」



 男子生徒の一人が春馬の襟首えりくびをつかみ、近くの男子トイレへ連れこんだ。校舎の外れにある男子トイレには昼休みに人があまり来ない。男子生徒は春馬を突き飛ばすと、マジマジと顔を覗きこんできた。



「お前、春馬だろ? の成瀬春馬」



 人の悪口や陰口に耳聡みみざといのか、男子生徒は春馬の名前を知っている。しかし、春馬からしてみれば男子生徒A、B、Cだった。



「なんだよB、コイツの名前知ってるの?」

「ああ、隣のクラスの陰キャだよ。二酸化炭素って呼ばれてる。女子にもキモイって嫌われてるよ」

「じゃあ、ボコってオッケーじゃん。オイ、二酸化炭素」



 そう言いながらAは春馬へ近づいてくる。その後ろではCがスマホを構えていた。どうやら動画を撮っているらしい。



「何、オマエ? 指輪、見せてくれないの?」



 Aは春馬の脛を軽く蹴った。江陵館こうりょうかん高校は道内でも有数の進学校だが、中途半端な不良はどこにでもいる。


 勉強だろうが、スポーツだろうが、一心に打ちこむ人間は尊敬にあたいする場合が多い。しかし、春馬がそうであるように、何事も中途半端な人間は、嘘か他人を痛めつけることで心の充足じゅうそくを得ようとする。根拠のない自信に基づく行動は理不尽で暴力的だった。


 そもそも、A、B、Cは指輪に興味なんてない。春馬をいたぶり、小突き回し、自分たちの優位性を確認できればそれでよかった。彼らは春馬が屈服して指輪を差し出すことを期待し、その姿を見て笑い、気持ち良くなりたいだけだった。



「さっさと見せろよ!!」



 Aは手を出して催促する。しかし、春馬は指輪のある右手を固く握りしめたまま動かない。意外な抵抗を見たAは苛立ち、顔を醜く歪ませた。



「見せろって言ってんだろ!! グズが!!」



 Aは春馬の空になった弁当箱を払い落とした。ガシャンという音がして蓋や箸がトイレの床に散乱する。春馬は「あっ」という声を上げ、慌てて拾おうとした。そのとき、前屈みになった春馬の脇腹をAが思いきり蹴り上げた。



「うぅッ!!」 



 春馬はうめき声を上げ、わき腹を押さえながらトイレの床に倒れた。



「ゴール!! ちゃんと、撮れた?」

「撮れた、撮れた、ヤバイ、ヤバイ」



 AはおどけながらCの構えるスマホに向かってガッツポーズをする。Bも、「ウワッ。コイツ床に倒れてるよ。汚ねーな」と大喜びだった。



「俺の蹴り、凄くね? ヤバすぎでしょ。格闘家になれるかーもッ!!」



 Aは得意げに言いながら再び春馬を蹴り上げる。蹴りは起き上がりかけた春馬の胸をとらえた。



「グッ……ゲェ……」



 春馬は声にならない声を発し、その場にエビのように丸くなった。胃から口へと食べた物が逆流してくる。あと少しで吐くところだった。



「「イエ~イ!!」」



 AとBがハイタッチを交わす。そのとき、満足そうにAとBを撮っていたCがスマホを下ろした。



「何、コイツ……笑ってるよ」

「「え??」」



 気味悪がるCの声に反応してAとBも春馬を見る。フラフラと立ち上がる春馬は口元に薄気味の悪い笑みをたたえていた。



「す、すごいキックだなぁ……ぼ、ボク、驚いたよ……」



 春馬は嘔吐おうとこらえながら必死になって脳内変換をしていた。



──こ、これは苛められているんじゃない……み、みんなで遊んでいるだけ……。



 ヘラヘラと笑う春馬。その姿がA、B、Cの目にはいっそう不気味に映った。



「マジでキモイ……あ、そういえば、コイツのも気が触れて入院してるってよ」



 Bは春馬を見ながら吐き捨てるように言った。



「え? マジかB?」

「ああ。確か中等部のとき、そんな噂があった」

「へぇ~。俺、一回くらい気が狂った女とヤッてみたかったんだよね」



 BはAの言動に苦笑しつつ、頷いてみせた。



「じゃあ、Aが犯すなら俺もヤるよ」

「A、B、お前ら鬼畜過ぎ。でも、本当にヤるなら今みたく俺が撮ってやるよ」



 得意気に悪ぶるA・B・Cは春馬から完全に視線を切っていた。三人とも、痛めつけてフラフラの春馬が反撃してくるとは思っていない。指輪を固く握りこんだ春馬のこぶしがAの顔面へと最短距離を走った。


 人を素手で思いきり殴ったとき、派手な音なんかしない。パチッという乾いた拍手のような音がしたかと思うと、トイレの床に歯と血が飛び散り、Aが仰向けに倒れた。


 BとCは突然の出来事に何が起きたか理解できていない。二人が慌てて春馬を見ると、春馬の拳頭けんとうがAの歯でパックリと切れて鮮血がしたたり落ちていた。我に帰ったBは春馬を睨みつけながら叫んだ。



「お、お前!! 何やってんだよ!!」



 Bは春馬へつかみかかる。春馬はそんなBの鼻っ柱に思いきり頭突きを入れた。



「ッッッッ!!」



 悲鳴すら上がらない。Bは両手で鼻を抑えながらその場にうずくまった。指の隙間からは大量の血がこぼれ落ちている。Bの鼻は折れていた。



「イダイ!! いたい!! 痛い!!」



 Bは「痛い」と連呼しながらトイレの床を転げ回った。二人を打ちのめした春馬は指輪を胸ポケットへしまい、ゆったりとした動作でCを見すえた。顔からは完全に笑みが消え去り、無表情になっている。能面のような春馬を見てCは震え上がった。



「ち、違……お、俺は撮っていただけで……な、何も……」



 躊躇ちゅうちょのない暴力をたりにしたCは完全に戦意を失っていた。いや、最初から戦意なんてものはない。AとBの陰に隠れて観客を決めこんでいた。自分がどれだけ卑劣なことをしているか、自覚もなければ、当事者という意識もない。



「何を……撮ってみたいって?」



 言うが早いか、春馬はCの奥襟をつかみ、柔道の大外刈の要領で床に倒した。膝をった瞬間に押しながら手を放したので、Cはタイルの床に叩きつけられる。



「イッ!! ……や、やめろよぉ~」



 Cは情けない声で許しをう。さっきまでの威勢はない。春馬は素早く馬乗りになり、わめくCの顔面に体重を乗せた拳を振り下ろした。肉が擦れあうような鈍い音がトイレに響いた。


 傷ついた拳がいっそう傷ついても春馬は痛みを感じない。Cは鼻から血を吹き出し、喚いていた口からも血があふれ出る。やがて、声も止まった。



──あと何回、殴ろうかな……。



 そんなことを考えながら、春馬はゆっくりと拳を振り上げる。そのとき、誰かが後ろから春馬を羽交はがめにした。



「成瀬!! もうやめろ!! 落ち着くんだ!!」



 男性教師が春馬をCから引き離した。騒ぎを聞きつけた生徒たちが先生方を呼んできていた。



「……僕は落ち着いてます」



 冷静な声と春馬の身体から力が抜けるのを感じて、男性教師は春馬から手を放した。



「成瀬、お前、何をやっているんだ!!」

「……遊んでました」



 春馬は自分の脳内変換そのままに答えた。



「遊んでた!? 何を言っているんだお前!! ……!?」



 春馬を見ていた男性教師は眉を顰めた。そこには馬乗りになって人を殴っていたとは思えないほど、めた目をした少年がいた。



×  ×  ×



 A、B、Cはすぐに病院へ運ばれた。春馬は午後の授業に参加せず、保健室で拳頭を治療したあと、生徒指導室で待機となった。学校から連絡が入ったのだろう。A、B、Cの親や春馬の母親が駆けつけた。


 春馬が行ったことは暴行で傷害事件だが、先に手を出したのはA、B、Cでもある。学校側は喧嘩両成敗で、春馬、A、B、Cに無期停学処分を申し渡した。


 納得のいかないA、B、Cの親は「なんでこんな乱暴な子がこの江陵館こうりょうかん高校こうこうにいるんですか!? 退学処分にして下さい!! それに、訴えます!!」と言った。しかし、学校側が「そう言われましても……お宅の息子さんたちが複数人で春馬君へ暴行し、指輪を取り上げようとしたのも事実なんです。れっきとした強盗です。事件として告発なさるなら、この映像も警察に提出しなければなりません」とCが撮影していた映像を見せるとおとなしくなった。


 学校側は事態を穏便に済ませて表沙汰にしたくないという態度だった。春馬の母親はA、B、Cの親に何度も頭を下げ、そのたびに悪態を一身に浴びた。結局、無期停学処分を言い渡された春馬は母親と一緒に帰途へついた。バス停に向かいながら母親の背中を見ると、小さな背中がいっそう小さく見えた。



──母さん、あいつらは夏実を侮辱した……だから、正当な報復を加えたんだ!! 僕は正しいことをしたんだよ!!



 言いたいことは山ほどあるのに、なぜか言葉が口から出てこない。春馬は力なくうなだれるばかりだった。家に着くと母親は「お母さんはパートに戻るから」と弱々しく言い残して出かけてゆく。



──母さん、僕は悪くない!!



 どれほどそう叫びたかっただろう。そのつど、春馬は言葉をのみこんだ。



──僕は……悪くない……。



 自室へと戻った春馬は、悔しさを噛み殺しながらシルバーリングを引き出しへしまいこんだ。


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