──なんて大きな街じゃ。雪深い北方にこのような人の営みがあるとは……。
食堂へ視線を移せば、湯気のたつ調理場と生徒たちの喧騒が見渡せる。全てが真新しくて新鮮な光景だった。
「うちの学食はオムライスが、とーっても美味しいんだよ!!」
小柄で愛くるしいクラスメイト、
──こ、これは!?
禍津姫は感動でスプーンを落としそうになった。フワフワの卵が舌の上でとろけたかと思えば、バターの
──今の
二千年ぶりの食事を噛みしめていると美味しさのあまり自然と顔がほころんでしまう。すると、そんな禍津姫を香澄や他の女子生徒たちが珍しそうに見つめた。禍津姫は集まる視線を気にして眉を上げた。
「み、みんなどうしたの? わたし、何か……変?」
「
「そ、そう? みんなと一緒に食べているからじゃないかな?」
本音だった。禍津姫にとって、笑顔あふれる食事は果てしなく遠い過去の出来事になる。
──
禍津姫が人の温もりに触れて微笑むと香澄たちもつられて笑顔になる。賑やかな
「「「俺たちも一緒に食べていい?」」」
他クラスの体育系男子たちも禍津姫の周りに集まってくる。誰も彼もが禍津姫の笑顔に魅せられ、いつしか禍津姫の周囲には
「みんな、ちょっといいかな?」
食事が終わって少したつと人垣を切り裂く声がした。みんなが声の方へ振り向くとそこには冷たい学園の女王、
「悪いけど、
転校初日の生徒が他クラスに知り合いがいるとは珍しい。野球部の男子が小夜
と禍津姫を交互に見つめながら尋ねた。
「なんだよ、緋咲。媛ちゃんと知り合い?」
「まあね。媛さんはわたしと一緒に住んでるから」
「「「え!? そうなの!?」」」
みんなは驚いて一斉に禍津姫を見る。禍津姫は少し照れながら頷いてみせた。
「ええ、そうなんです。まだわからないことが多くて……小夜さんにはお世話になっています」
「まあ、そういうわけなんで……媛さんを借りるね」
小夜は禍津姫に目で「ちょっと来て」と合図を送る。すると、禍津姫は立ち上がって周囲を見渡した。
「今日はとっても楽しかったです。みなさん、またご一緒して下さいね♪」
禍津姫は微笑みながらお辞儀をして席を離れた。
✕ ✕ ✕
小夜は禍津姫を屋上へ連れていった。昼休みの屋上は人影が少なく、遠くで吹奏楽部が数人、練習しているだけだった。小夜はフェンスへよりかかりながら呆れ気味に笑う。
「何が、『またご一緒して下さいね♪』よ。キャラ違うじゃん」
「ふふふ。わらわの人気に嫉妬しておるのか?」
禍津姫は口調を変えて口元に挑戦的な笑みを浮かべた。
「小夜にも可愛いところがあるのう」
「嫉妬なんかしてないよ。聞きたいことがあるから呼んだだけ。ホラ、これあげる」
小夜は屋上の自販機で買ったジュースを禍津姫に手渡した。
「これはいったい何じゃ??」
禍津姫は不思議そうに赤と黒のストライプが入った缶を見つめる。小夜が渡したのは炭酸飲料だった。
「これは飲み物だよ……こうやって飲むの」
小夜はプルタブを引き起こしてジュースを口へ運ぶ。禍津姫が見よう見まねでプルタブを引き起こすと、ひんやりとした缶の中からシュワーという心地よい音がする。禍津姫は不思議そうに眉を
「ッ!?」
強い刺激と甘みが禍津姫の口内を駆け巡った。
「さ、酸!? 毒か!?」
「神獣に毒なんて
「ムゥ……た、確かに
食後に飲む炭酸飲料は小ざっぱりしていて美味しい。禍津姫はゴクゴクと勢いよく喉を鳴らしながら全て飲み干した。
「このように爽快な飲み物を捧げるとは良い心がけじゃ。さて、聞きたいこととは何じゃ?」
「……春馬と交わした
小夜が単刀直入に尋ねると禍津姫は口の端を上げてニヤリと笑った。
「ふふふ、なんじゃと思う?」
「安住の意味はわかる。春馬の瞳に
「巣食うとは何じゃ!! 人をバケモノみたいに言うでない!!」
バケモノじゃないの? と、小夜は喉元まで出かかった言葉をジュースと一緒にのみこんだ。
「ごめん、ごめん……でも、安息ってどういう意味?」
「神であるわらわにも、たった一つだけ恐れるモノがある。それは
春馬が禍津姫と交わした『神約』。それは、神の力を手に入れる代わりに、神の苦痛を引き受けるということだった。昨日の様子だと春馬は『神約』の全容を理解していないだろう。不安げな小夜を見て禍津姫はクスクスと笑った。
「ふふふ、神の感じる痛みぞ。人間には想像を絶する苦痛となろう。
禍津姫は小夜と並んでフェンスへよりかかった。
「
禍津姫は胸に手を当てて目を閉じた。その姿は春馬に恋する可憐な乙女であり、国を滅ぼす力を持った神獣とはとても思えない。ふと、小夜は疑問を抱いた。
「じゃあ……春馬が痛みを感じたり、死んだりしたらどうなるの?」
「痛み? 死ぬ? わらわの春馬が??」
禍津姫は目を閉じたままだが、雰囲気が急変したのが小夜にもわかる。風になびく禍津姫の黒く長い髪が、フワフワと総毛だっていた。
「春馬にはわらわの本体が宿っておる。ゆめゆめ、そのようなことは起きまい。じゃが……もし、そのような事態が起きたなら……春馬に苦痛を与えた張本人のみならず、その
口調は穏やかだが、内容は暴虐の神そのものだった。禍津姫はゆっくりと目を開き、鋭く刺すような眼差しで小夜を見すえた。
「そなたも同罪じゃ……」
「え?」
思いがけない言葉に小夜は凍った。
「わからぬか? 春馬が
目の前の
禍津姫にとって春馬以外は
ただ……。春馬を想う禍津姫を見ていると心の片隅がチクリと痛む。小夜はその小さな痛みを打ち消すように禍津姫をからかった。
「春馬を好きなのは構わないけど、春馬と幾つ離れているの? 千年単位でしょ?」
「れ、恋愛に年の差は関係ないじゃろ!! そなた、わらわを冷たき鏡の海へと封印した呪縛者の一味だということを忘れるな!!」
禍津姫は顔を真っ赤にして小夜に突っかかる。
「調子に乗っておると、喰ろうてしまうぞ!!」
「春馬がそんなことをさせると思う? 春馬の許しなしに神の力は使えないんでしょ?」
「うぅ……」
小夜にからかわれてよほどショックだったのか、禍津姫はしおらしく頭を下げる。千年以上のときを隔てて復活した神獣であっても、思い悩む事柄は小夜と大差ない。小夜は禍津姫と仲良くなれそうな気がした。
「からかってごめん。もう一本、ジュースをあげるから許して」
「……」
「えっ!?」
禍津姫を見た小夜は動揺して手に持ったジュースを落とした。禍津姫に急激な異変が起きている。立ち尽くす禍津姫の周りには半透明の蛇が無数に
「ちょっと、どうしたの!?」
「……」
禍津姫自身も目が人間とかけ離れた
「禍津姫!?」
「……」
「ちょっと!! 返事をして!!」
小夜は慌てて禍津姫の肩を揺すった。すると禍津姫は我に帰り、蛇の目も元へ戻る。宙を漂っていた蛇たちもいつの間にか消えていた。
「すまぬな……少し、取り乱した……」
「何があったの?」
「……
禍津姫は視線を落とし、悲しげな声で答えた。