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第14話 三千世界

 日本の神話を記した『古事記』や『日本書紀』は物語る。この世界は神の住む『高天原たかまがはら』、人間の住む『葦原中国あしはらのなかつくに』、死者の住む『黄泉よみの国』の三つに分かれていると。だが、神話において人の扱いは理不尽極まるものだった。


 人間が神の恩寵を得るためには厳しい試練に耐えねばならず、時には人柱ひとばしらとなってその身を捧げる。そして、死者の国へおもむけば赴いたで醜き亡者へと変わり、人の世に舞い戻って死をき散らす。


 人間は神々の争いや気まぐれに右往左往するばかりで、死すら永遠の安らぎではない。生をむさぼり喰らう神や亡者もうじゃに無防備でされるがままだった。結局……そう仕組まれている。



──どこまでも不公平でクソな話だ。



 そう思いながらひろしは目の前の光景を見た。稲邪寺とうやじの医務室では、診療ベッドに横たわる春馬を挟んでおみ禍津姫まがつひめが対峙している。神職の衣冠をまとった子供と女子高生が向き合う姿はどこか映画のワンシーンを連想させた。


 小夜さや睡魔すいま……この日のために覚悟を決めていた人々はよみがえった禍津姫の姿を見て拍子抜けした。どんな魔物が復活するか? と思っていれば、小夜と変わらない年ごろの女子高生が現れたのだから仕方がない。


 臣は春馬が医務室へ運ばれると部外者を離席させて禍津姫と何事かを話し合っている。寛は護衛のために同席しているが内容までは聞こえてこなかった。禍津姫と打ち解けたのか、臣はときおり微笑みながら会話している。古代の神獣に臆する様子は微塵みじんもない。寛にはそんな臣が、春馬を生贄いけにえに捧げて神と契約を結ぶ神官に見えた。



──アレは何だったんだ……?



 寛は臣が見せた残忍で狡猾こうかつな笑みを思い出した。



──キングは禍津姫の復活を喜んでいたのか? それとも、もっと他に何か……。



 考えこんでいると臣の呼ぶ声が聞こえてくる。



「寛さん、こちらへ来ていただけますか? 禍津姫さんとの話が終わりました。とっても有意義でしたよ。そろそろ、春馬さんを家まで送ってあげてください」

「わかりました、キング。でも……」



 寛は診療ベッドに近づいて春馬を見下ろした。春馬の目覚める気配は感じられない。すると、春馬を挟んで向かい合う禍津姫が口を開いた。



「心配せずとも間もなく目覚める。寛とやら、春馬はわらわの伴侶はんりょとなる男ぞ。しっかりともをいたせ」



 禍津姫は寛を一瞥いちべつもしない。愛おしそうに春馬の頬をなでている。やがて……。



「うぅ……」



 小さな呻き声とともに春馬がまぶたを開けて起き上がった。しかし、瞳は虚ろなままで、心此処ここにあらずといった表情をしている。寛は怪訝けげんな顔つきで春馬の顔を覗きこんだ。



「春馬君? どうした?」

「春馬は眠ったままじゃ……わらわが春馬を操り、向かうべき場所まで連れて行こう。案内いたせ」

「……なんだと??」



 寛は訳がわからない。眉をひそめると臣が説明を始めた。



「寛さん、これは心身操術しんしんそうじゅつです。禍津姫さんの本体は春馬さんの瞳に宿っています。宿主である春馬さんが無意識であるなら、その身体を依代よりしろとして動かすことが可能なんです」

「臣の申す通りじゃ」

「じゃ、じゃあ……」



 寛は固唾かたずんだ。春馬が無意識なら禍津姫は自由に能力を使えるのではないか? という疑問が脳裏をよぎる。



「ふふっ……」



 禍津姫は緊張する寛を見て鼻で笑った。



「そなた、先ほどからわらわをわざわいをもたらすだけの存在と勘違いしておらぬか?」

「ち、違うのか?」

「それは、そなたら人間が勝手に思い描くわらわの虚像じゃ。わらわは理由なく暴れまわったりはせぬ」



 禍津姫はどこか寂しげに目を細めた。



「まあ、もっとも……。春馬がそう願うのであれば、わらわは再び暴虐の神となってこの世に災禍さいかをもたらすであろうがのぅ……」



 そう言いながら禍津姫は虚ろな春馬を見た。



「春馬と臥所ふしどともにするその日まで……化身であるわらわはこの稲邪寺で過ごす。その日がくるまで、今しばしの辛抱じゃ」



 禍津姫は血管が浮き出た春馬の首筋に白く細い指先をわせる。春馬の鼓動が手肌から伝わってくると思慕しぼの感情はより強くなった。



「そう、今しばしの辛抱じゃ……」



 禍津姫は自分へ言い聞かせるように呟いた。

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