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第12話 転封02

 春馬たちは稲邪寺とうやじの地下7階に降り立った。その始まりは赤い非常灯が設置された回廊で、緊急時の避難通路を連想させる。



──稲邪寺とうやじの地下にこんな設備があるなんて……まるで要塞みたいだ。



 入り組んだ通路と赤い蛍光色の光は春馬を不安に駆り立てる。このまま進むと幽世かくりよに出るのではないかと錯覚させた。しばらく進むと鋼鉄でできた扉が見えてくる。扉の横には液晶パネルが設置されていた。



「少し、お待ちください」



 臣は白衣のそでからスマホを取り出して液晶パネルにかざした。すると、ピッという承認を示す音が聞こえて重々しい扉が開く。中と外で気温差でもあるのか、扉が開ききると白い湯気が立ち昇った。



「こ、これ……」



 春馬はひんやりとまとわりつく空気に震えながら辺りを見回した。中は楕円形だえんけいのホールになっており、ダウンライトが照らし出す床一面には梵字ぼんじで魔法陣が描かれている。


 魔法陣の中央には巨大な鏡が置いてあった。鏡は数メートル四方もあり、姿見すがたみや調度品にしてはあまりにも巨大すぎる。木製のフレームには、これもまた梵字が彫りこまれてあった。


 不思議なのは、その鏡が何の支えもなく立っていることだった。支柱があるわけでも、天井から吊り下げられているわけでもない。バランスを取って自立する鏡。それは宙に浮くかのようで不気味だった。



「これが、八頭大蛇やずおろちを封印している『猜火さいかかがみ』です。さあ、参りましょう」



 臣は鏡の前へと向かう。春馬たちは臣を中心として鏡の前に立った。



「えっ!?」



 鏡を目にした春馬は再び驚いた。一見すると鏡の表面は黒曜石こくようせきでできたスクライングミラーのように見える。しかし、黒で統一された鏡の表面はこちら側の世界をまったくうつし出していない。春馬たちの姿も、ダウンライトの光も、いっさい映っていなかった。



「それでは、転封てんぷうの儀式を始めます……」



 おみは鏡へ向かってスマホをかざした。そして、細い指先で画面をタップする。すぐにスマホから意味不明の機械音声が流れ始めた。



「ギー、ソス、ソトゥ。デー、ダ、ソトゥ。ジャ、クソン、デナイ」



 スマホは理解不能の言語を流し続けている。春馬は疑問に駆られて隣の寛を見上げた。春馬の視線に気づいた寛は鏡を睨んだまま答えた。



禁言きんごんと呼ばれる神話時代の呪法だよ。古代日本の言葉で、今の人間が完璧に発音するのはほぼ不可能だ。デジタル処理された音声じゃなきゃ効果がない」

「……」



 音声は頭の奥深くに直接語りかけてくるようで春馬の心はざわついた。しばらくすると突然、鏡の表面に波紋が広がった。まるで、水面みなものように波打っている。



「あの鏡には音声認識の電子ロックがかかっているようなモンだ。見ろ、キングがロックを解除しようとしているから、入り口に集まってきてやがる……」

「!?」



 寛の視線を追いかけた春馬は緊張で身体が硬直した。鏡の表面には無数の赤い目が現れている。どれもが蛇のように瞳孔が細い。『猜火の鏡』には獰猛どうもうな何かが棲みついていた。



「ひ、寛さん。もし転封てんぷうの儀式が失敗したらどうなるんですか?」

「失敗したら? ここが俺たちの棺桶になる……だが……」



 寛はジャケットを脱ぎ捨てる。その姿を見て春馬は思いきり目を見開いた。寛はコルト・ガバメントの代わりに手榴弾を幾つも身に付けている。Dリングに繋がれた手榴弾。春馬にはそれらが本物に見えた。



「ただじゃ死なねぇ……」



 寛はギリギリと歯を食いしばりながら鏡を睨み続けた。



×  ×  ×



 張りつめる緊張のなか儀式は佳境へと突入した。音声が途絶えると臣はスマホを袖へしまう。そして黒鞘くろざやに納められた小刀こがたなを取り出した。白刃はくじんきらめかせたかと思うと左手の親指の腹を切る。



七国しちこくを滅せしいにしえの神獣、八頭やず大蛇おろち!! 今、その封印を解かん!!」



 臣は高らかに宣言して左手を振るう。親指からにじみ出た血が飛沫ひまつとなって鏡にかかる。その瞬間、鏡のなかに散らばる目が一か所に集まり始めた。無数の目は一つにまとまると今度はこちら側、鏡の外へ向かってくる。鏡の表面は人型に盛り上がり、やがて黒く薄い膜が破れた。


 鏡から出てきたのは蛇ではなかった。現れたのは腰まであるつややかな黒髪の美女で、一糸いっしもまとわない姿だった。しなやかな肢体は淡い光を放っている。


 気品あふれる姿はこの世のものとは思えないほど美しくて神々しい。龍瞳りょうどう鳳頸ほうけいという言葉がピタリと当てはまる。女は妖艶な笑みを浮かべて臣を見下ろした。



「ふふふ。わらわを呼び出すとは、不遜ふそんな……」



 落ち着いた声はゾッとするほど冷たく、精神を射抜く凄味があった。臣は女の圧倒的な存在感に気圧けおされながらも威儀いぎを正して対峙する。



「呪縛者の名において命ず!! 八頭大蛇よ、『猜火さいかかがみ』よりでて、の少年の双眸そうぼうへと転移し、その精神の中に不滅の宮殿を築け!!」



 臣は小刀を春馬へと向けた。



「ほう、次の転封はこの少年の両眼かえ?」



 女は浮遊したまま春馬の前までやってくる。すくんで動けない春馬の両頬にそっと手をそえた。その瞬間、春馬の頬は赤く焼けただれた。まるで、焼きごてでも当てられたかのように蒸気が昇り、肉の焦げる嫌な匂いが充満した。



「ウゥッ!!」



 激しい痛みに春馬は呻き声を上げた。逃げたくても、なぜか身体の自由がきかない。女はそんな春馬を不思議そうに見つめた。



「なんともろい……」



 女は春馬を見下ろしたまま首を傾げている。その光景を見て寛が叫んだ。



「おい、お前!! やめろ!!」

「うるさい、下郎」



 女は寛へチラリと視線を送り、ゆったりとした動作で手を払う。それと同時に春馬はその場に倒れ、寛は入り口横の壁まで吹き飛ばされた。大きな衝撃音と共に寛は壁にぶつかり、落ちる。



「寛さん!?」



 臣が寛に気を取られた一瞬を女は見逃さなかった。



「呪縛者の末裔よ。わらわを前にして、いささか不用心であろう……」



 女が再び手を払うと今度は臣の小さな身体が吹き飛ばされた。



「……キ、キング!!」



 よろめきながら立ち上がった寛が慌てて臣を抱きとめる。臣と寛は重なり合って倒れ、臣の天冠てんかん小刀こがたなが床に転がった。



「ふふふ」



 女は満足そうに微笑むと足元に転がる春馬へ視線を落とした。

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