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第10話 八頭大蛇

「まあ、コーヒーでも飲んで落ち着いてくれよ」



 突然、春馬の後ろから声がする。春馬が振り向くとひろしが立っていた。寛は5人分のマグカップをトレーに乗せている。



「え~と。ハニーはアールグレイで、小夜さやがブラックのアイスコーヒー。キングはホットレモネード。とびっきり甘いですよ」

「やった~!! 寛さん、ありがとうございます!!」



 おみが無邪気に喜んでみせると睡魔は眉根をよせた。



「臣さま、本当は夜中に甘い物など駄目なのですが……今日は特別ですよ」



 睡魔はマグカップを受け取りながら寛を睨む。寛は少しだけバツの悪そうな顔をしていたが、飲み物を配り終えると春馬の隣に座って話し始めた。



八頭やず大蛇おろちって言ったらわかりづらいかもしれないが……って名前は春馬君でも知っているだろ?」



 ヤマタノオロチという名前は春馬も知っている。古典の授業で何回か見かけた名前だった。『古事記』や『日本書紀』に登場するヤマタノオロチは災厄をもたらす邪神であり、神の国を追放されたスサノヲノミコトに討伐される。春馬の認識として、ヤマタノオロチは日本神話最強にして最凶の存在だった。



「八頭大蛇は俺たちの業界でいうヤマタノオロチの別名だ。かつて、日本には八頭大蛇が三体存在した。その内の一体をキングのご先祖さまが封印したんだ。今、その封印がけかかっている。なんで解けかかっているかは言えないが、もし八頭大蛇が『猜火さいかかがみ』から出てきたら……キング、どうなる?」



 寛が尋ねると臣は細いあごに手を当てて考えこんだ。真剣に被害の規模を考えている。



「酸雨、地震、疫病……紫外線にガンマ線……それに、電離放射線による電磁波兵器の要素も考えると……多分、北海道に人が住めなくなります」

「まあ、そうなるよな。つまりは、八頭大蛇を封印しているうつわが壊れそうだから、春馬君の目に移させてくれっていう、簡単な話さ。ちなみに、封印の場所を変えることは『転封てんぷう』って言うんだ」



 話が本当なら八頭大蛇の力は近代化学兵器と同等、もしくはそれ以上になる。突拍子もない条件に春馬は戸惑った。



──バケモノを僕の目の中に入れろって!?



 夏実を救いたいのは切実な願いだが、簡単に決断できることじゃない。春馬はちらりと臣を見た。



「い、今、決めなければいけませんか?」 

「はい……ボクが再びお願いすることはありません」



 臣は申し訳なさそうに言っているが、決断するように迫っている。春馬が躊躇ちゅうちょしていると再び寛が口を開いた。



「正直に言うと……八頭やず大蛇おろちって規格外の神獣を封印するには、それなりの犠牲が必要なんだ。八頭大蛇を閉じこめる強力な結界を維持するため、鈴宝院れいほういんの当主は身体にも封印の秘術をほどこす。だから短命で、この稲邪寺とうやじから出ることも叶わない」

「?」



 春馬は言葉の意味を今一つ理解できず、怪訝な顔つきで寛を見る。寛は臣の様子を確認しながら続けた。



「キングは生まれてからこの方、一度も稲邪寺から出たことがないんだよ」

「そんな……じゃあ……」

「キングの両親は、もう生きちゃいない。キングが産まれてすぐ、先代さまは亡くなったんだ。キングは産まれたばかりの身体に封印の秘術を……」

「ボクの話はやめましょう」



 寛の説明を嫌って臣が会話をさえぎった。



「わかりました……キング」



 不満そうな寛は突然、春馬の肩に右手を回した。親しげに春馬と肩を組む姿を見て、臣、小夜、睡魔が一斉に眉をひそめる。三人とも寛の行動を嫌悪しているかのようだった。実際、寛は春馬へ顔をよせると苛立った口調で続けた。



「春馬君の瞳に八頭大蛇やずおろちを転封できれば、キングのくびきが取れる。稲邪寺に縛られて一生を終える……そんな呪われた運命から解放されるんだ。それに、春馬君だって八頭大蛇の力を宿せば、妹の夏実ちゃんを救えるんだぜ?」

「……」



 急に、寛は肩を握る手に力をこめた。



「さっさと決めてくれないかなぁ。俺はさぁ、お前の目をくり貫いてことが足りるんだったら……迷わずそうしてるよ」

「……」



 春馬は身じろぎ一つできなかったが、初めて寛の本音を聞けた気がした。視線だけを動かして前を見ると、臣は困り顔でうなだれている。



「さっさと決めろよ……」



 寛は左手の指先で春馬の左目のまぶたに触れた。かさついた感触が伝わってくると春馬のひたいに玉の汗が浮かび上がる。手を払いのけようとすれば目に指を突き立てられる気がした。



「兄さん、やめて」



 寛を見かねて小夜が睨みつけた。



「小夜、怒るな……冗談だよ♪」



 寛が薄ら笑いを浮かべて春馬から離れようとした瞬間だった。寛は右手にかすかな振動を感じた。見ると、春馬の肩が小刻みに震えている。



──!?



 臣、小夜、睡魔も怪訝けげんな顔つきで春馬を見た。春馬は笑っていた。笑い声を押し殺しながらみんなを見渡した。



「臣君……バンテージ・ポイントだっけ? その能力で予測した未来だと僕はどうしたの? 断ったんじゃない? だから未来を変えるために、僕に『幽霊狩り』を見せて、夏実を駆け引きに使って、臣君の不幸話までして……みんな必死過ぎ……めっちゃ笑える」

「「「……」



 春馬の指摘が図星だったのか、誰も何も言わなかった。



──僕をおどし、すかして説得しようとするなんて……結局、みんなも臆病で卑怯なんだ。みんな、僕と同じだ……。



 春馬は面白くて仕方なかった。結局のところ、おぼれている奴が溺れている奴に助けを求める……それだけの話だった。春馬は続けた。



邪視じゃし? 僕に特別な力があるって? ないよ、そんなもの。あったらとっくに使ってるし、ここにだって来ない。僕は臆病で卑怯なんだ。一人じゃ何もできない。だからって……」



 春馬は『僕をバカにするな!!』という言葉を呑みこんだ。そして、ジロリと全員を睨みつける。落ち着いた口調を心がけて覚悟を伝えた。



「僕の覚悟を見くびらないで欲しい。僕は臆病で卑怯だけど、夏実のために覚悟を決めることくらいはできる」



 静かに言い放つと春馬は背もたれによりかかった。



「幽霊を見て気絶した僕が言っても説得力ないけど……夏実が救えるなら何でもする。目が欲しいならあげます」

「「「……」」」



 春馬が告げるとみんなは黙りこんだ。やがて、臣は俯いたまま口を開いた。



「本当に、八頭大蛇やずおろちを春馬さんの瞳へ転封てんぷうしてもよいのですか?」

「今さら聞くの? いいって言ってるだろ」

「……」



 春馬が答えると臣はおもむろに顔を上げる。その顔は赤く上気じょうきしていた。



「やった!! やった!! やったぁー!!!!」



 臣の姿は欲しかったおもちゃを与えられた子供のようだった。急変した態度を見て春馬は呆気にとられた。臣は春馬を無視して隣の睡魔を仰ぎ見る。



「睡魔さん、春馬さんが引き受けてくれましたよ!!」

「よかったですね」

「ねえ、ボク……学校に通えますか??」

「ええ、もちろんです」

「友達とか、できるかな??」

「臣さまでしたら、すぐにお友達ができます」

「楽しみだなぁ~♪」



──なんだ、コイツ……。



 春馬は眉間みけんしわをよせた。すると、小夜と睡魔が気づかうような視線を送ってくる。しかし、寛だけはニヤニヤと笑いながら春馬の肩を叩いた。



「話はまとまったな。これで春馬君も『デッドマンズハンド』の仲間入りだ♪」



 寛は立ち上がって再び春馬の耳元へ口を近づける。



「春馬君、色々と思うところはあるかもしれないが……鈴宝院れいほういんの当主に恩を売ったんだ。それもドデカイ恩をな……今度、髪切ってやるよ♪」



 寛は春馬の頭をクシャクシャとなでて部屋を出て行った。



「じゃあ、ボクと睡魔さんも『転封』の準備をしてきます。春馬さん、また後で会いましょう!!」



 臣も睡魔をともなって客間から出て行く。後には春馬と小夜だけが残された。

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