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第9話 キング

 石灯篭がついえると巨大な山門が見えてくる。山門をくぐると、春馬が想像するお寺とはほど遠い建築物が現れた。ガラス張りの外壁にはダウンライトの照明が当てられている。まるで、近代的な美術館のようだった。寛が鋼鉄の扉の前に立つと扉は音もなく開く。打ちっ放しのコンクリートでできた廊下を進むと円形のホールに出た。


 やがて、カツン、カツンとコンクリートを叩くような音を響かせて女が現れた。女はピンヒールにスリットのある黒のタイトスカート、胸元のはだけた白いノースリーブを着ている。髪はアップにしており、左目の下には泣きぼくろがあった。スタイルのよい女だが、右の二の腕から指先まで梵字ぼんじ刺青タトゥーを入れている。女は寛たちを見ると優しげに微笑んだ。



「おかえりなさい」

「ただいま、睡魔すいま義姉ねえさん」



 女は睡魔すいまという名前だった。睡魔は小夜と抱擁を交わし、寛にも親しげに声をかける。



「意外と早かったのね」

「まあな。キングに言われた通り、ポーンを連れてきたぜ」

「……」



 女は春馬を見ると、しっとりとした低い声で語りかけた。



「あなたが成瀬春馬君ね。夫から話は聞いてるわ」

「話?? ……夫!?」

「ああ、睡魔すいまは俺の奥さんなんだよ」



 寛が付け加えると睡魔は左手をかざしてみせる。薬指ではシルバーリングが輝いていた。



「初めまして。わたしは緋咲ひさき睡魔すいま。この稲邪寺とうやじの警備とキングの身辺警護を統括する警備主任よ。春馬君、よろしくね」



 睡魔は微笑みながら手を出した。春馬が握手を交わしながら寛を見ると、寛はリングをしていない。疑問に思っていると寛が先に口を開いた。



「俺はマリッジリングにチェーンを通して首から下げているんだ。『幽霊狩り』で傷ついたら大変だろ?」



 寛が言うと睡魔はすぐに目を細めた。



「あら、本当にそれだけ?」 

「本当だよハニー」

「何か後ろめたいことがあるんじゃないの?」

「えっと……キングは?」



 寛は話をはぐらかすように尋ねた。



「……奥にいるわ。ついて来て」



 睡魔は先導して歩き始めた。建物のなかはとても広く、幾つもの廊下が交錯こうさくし、まるで迷宮だった。睡魔に導かれるまま奥へ進むと、照明で煌々こうこうと照らされた中庭に出る。広々とした中庭には綺麗に砂利じゃりが敷き詰められ、所々に巨石が置かれてあった。石庭せきていの中央では一人の子供が縄跳びをしている。



おみさま、夫が戻りました」



 睡魔はもうけられた縁側に立つと子供へ向かって声をかける。すると、臣と呼ばれた子供は縄跳びをやめてこちらへ振り向いた。肌は幽霊を思わせるほど白く、日本人形のように整った顔は男女の区別がつかないほど中性的だった。



「寛さん、小夜さん、お帰りなさい!!」



 おみは縁側に駆け上がって小夜に飛びついた。



「臣さま……ただ今、戻りました」



 小夜はそっと臣の頭をなでた。よほど臣が大切で愛おしいのだろう。臣を見つめる眼差しが慈愛に満ちている。臣はそんな小夜から寛へ視線を移した。



「寛さん、二重跳びができるようになりましたよ!!」



 臣は寛に駆けよって目をキラキラと輝かせる。寛も大げさに驚きながら臣の頭をなでた。



「さすがキング!! キングは縄跳びの天才ですね!!」

「えへへ♪ 寛さんに褒められちゃいました」

「……なあキング、成瀬春馬君が来てるんだ。紹介させてくれないかな?」

「は、はい……」



 人見知りが激しいのか、春馬を見た臣は顔を真っ赤にさせて睡魔の後ろに隠れてしまった。寛が苦笑いを浮かべながら臣を紹介する。



「こちらが、俺たち緋咲ひさき一族が忠誠を尽くす、鈴宝院れいほういんおみさまだ」

「よ、ようこそ、成瀬春馬さん……こんばんは」



 臣は消え入りそうな声で挨拶をする。春馬はキングが自分より年下で驚いたが、丁寧に挨拶をかわした。



「こちらこそ、初めまして……成瀬春馬です」

──あれ?



 臣の顔を見ていた春馬は突然、金縛りにでもなったかのように視線を外せなくなった。臣は睡魔の陰からジイっとこちらを凝視している。


 見開かれた目。


 茶色がかった瞳。


 臣の視線は心の奥を覗きこもうとしている。春馬は身体を動かせなくなり、少しずつ震えはじめた。すると……。



「臣さま……客間で話しましょう」



 睡魔が交差する視線を刺青のほどこされた右手でさえぎった。とたんに春馬の緊張がとける。



──い、今のはいったい……。



 春馬の背中を嫌な汗が伝い、心はざわざわと波立ったままだった。



「ホラ、春馬。行くよ」



 まだ緊張の余韻が残る背中を小夜が押した。



×  ×  ×



 春馬は大きな本棚や龍の彫刻が置かれた客間へと案内された。木製の巨大なテーブルと肘掛け付きの椅子が20脚ほど置かれてある。客間というよりは重役会議室のようだった。小さな窓を背にした中央に臣が座り、その隣に睡魔が直立する。春馬、小夜、寛は臣の正面に並んで座った。



「あらためまして、ボクは鈴宝院れいほういんおみ。この稲邪寺とうやじや『デッドマンズハンド』をべる鈴宝院家の当主です」



 臣は春馬に対する緊張した態度が嘘のように、にこやかに自己紹介を始めた。



「我が鈴宝院家は代々、神と呼ばれる存在と契約し、その力を行使してきました。怪異を調伏し、天変地異をしずめ、豊穣をもたらしてきたのです。ときには、人間同士の争いに力を使うこともありましたけど……人外のことわりもちい、人々に尽くしてきたのです」



 静かに語る臣は威厳に満ちあふれており、春馬と年の離れた子供には見えなかった。



「この世界に住んでいるのは、人間である『現世うつしよの住人』、幽霊や妖怪と呼ばれる『幽世かくりよの住人』、神と呼ばれる『神域しんいきの住人』の三つに大きく分けることができます。ボクたち『デッドマンズハンド』は人間に害をす『幽世の住人』と『神域の住人』を狩ります……それが春馬さんも経験したです」



 臣がここまで話すと寛は「長くなりそうだからコーヒーでもれてくるよ」と言って立ち上がった。 睡魔、小夜、臣は寛へ矢継やつばやに注文する。



「あ、わたしは紅茶」

「兄さん、わたしはブラックでいいから。アイスね」

「ボクは温かくて甘い飲み物がいいです」

「みんな、注文が多いな……」



 寛は苦笑いを浮かべながら春馬へも視線を送る。



「春馬君はどうするんだい?」

「ぼ、僕もコーヒーでお願いします……普通でお願いします」

「わかったよ」



 寛が客間から出て行くと臣は続きを話し始めた。



「ボクは眠ると魂魄こんぱくが体を離れて、時と場所を隔てた景色を眺めることができます。この能力は『バンテージ・ポイント』といって、過去、現在、未来、様々な事象を観測し、予測することが可能です。この能力を使って春馬さん……あなたを知ることができました」  

「僕を……?」

「春馬さん。あなたの瞳は悪意と狂気を内包した『邪視じゃし』と呼ばれるもので、神を宿すことができます。その特殊な力とボクの力が呼応したのです」

「呼応……」



 春馬は臣と会ったときを思い出した。睡魔が視線をさえぎらなければ、どうなっていただろうか。



「ボクはただの観測者にすぎません。でも、過ぎ去った過去は変えられませんが、予測した未来は努力次第で変えることが可能です」

「……」

「春馬さんの妹である夏実さん……夏実さんが昏睡状態になった原因と、どうすれば救えるかをボクは知っています」

「お願いです。教えて下さい!!」 

「申し訳ないのですが……条件があります」

「条件って、『デッドマンズハンド』に入ることですよね!? それなら、そのつもりで……」

「条件はもう一つあるんです」

「えっ!? もう一つ??」



 春馬は慌てて隣に座る小夜を見た。小夜は他にも条件があることを知っていたのか、黙ってうつむいている。もう一つの条件とは何か……春馬は再び臣を見た。



「この屋敷の地下深くには『猜火さいかかがみ』と呼ばれる大きな鏡があります。その鏡には古代の神獣、『八頭やず大蛇おろち』が封印されています」

「神獣……八頭大蛇」



 春馬はたいらの敦盛あつもりを思い出した。平敦盛は臣が使役しえきする神で、この稲邪寺とうやじに眠る神獣をなぐさめるために笛を吹いているという。



「その神獣、八頭大蛇を……春馬さん、あなたのに封印させて欲しいのです」

「……は?」

「先ほども言いましたが、春馬さんの瞳は邪視じゃしといって神を宿すことができます。ですから、『猜火さいかかがみ』に眠る神獣を春馬さんの瞳に封印させて欲しいのです」

「……」



 臣は突拍子もないことを言っている。春馬は思考が追いつかず、混乱して言葉を失った。

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