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第8話 平敦盛

 春馬を乗せた車は鍵屋かぎや市の郊外へ向かった。田園風景が広がり人家じんかはまばらになってゆく。遠く山のには都市の灯りがぼんやりと浮かんでいる。鍵屋かぎや市で生まれ育った春馬も知らない地域だった。



「どこへ行くんですか?」

「行ってみればわかるよ」



 寛はタバコをくゆらせるばかりで質問に答えなかった。やがて、ちょっとした山間やまあいに入ると車は小道へと進路をかえる。少し進むと巨大な鉄格子の門扉もんぴが行く手をさえぎった。


 門扉の上部左右には監視カメラが設置されている。かかげられた表札には豪快な書風しょふうで『稲邪寺とうやじ』と書かれてあった。春馬はライトアップされた表札を見ながら首をかしげた。



稲邪寺とうやじ? お寺ですか?」

「寺というか、なんというか……秘密基地みたいなモンだ」



 寛は車窓を開けると監視カメラに向かってVサインをする。すると、門扉がゆっくりと開き始めた。さらに中へ進むと車道の両側に鬱蒼うっそうとした原生林が迫ってくる。舗装された道が途切れると切り立った崖が道を塞いだ。崖にはシャッターが備えつけられており、車はシャッター前方のロータリーでとまった。



「ちょっと待ってて……」



 小夜さやが車内からリモコンで操作するとシャッターが上部にしまいこまれる。内部は立体駐車場になっており、何台かの車がとめられていた。車の中には武装を外した四輪駆動の軍用車まであった。



「な? 秘密基地みたいだろ? 春馬君、稲邪寺とうやじへようこそ♪」



 寛は警備員室の前で車を止めると得意げに春馬を見た。



「さあ、行こうぜ」

「は、はい」



 春馬たちが車から降りると警備員室から3人の男たちが出てくる。男たちは体格がよく、ダークスーツを着ていた。ひときわ背の高い壮年の男が頭を下げる。



「寛さま、小夜さま、お帰りなさいませ。睡魔すいまさまがお待ちです」

莞爾かんじさん、ただいま。こちらは成瀬春馬君。キングがご招待したお客さまだ」



 寛が返事をすると莞爾は春馬へ近づいた。



「初めまして。わたしは黒鉄くろがね莞爾かんじと申します」

「は、初めまして。僕は成瀬春馬と言います」

「春馬さま、すいませんが外部の方には規則ですので……」



 莞爾はそう言いながら春馬のボディーチェックを始める。春馬が初めてのボディーチェックに戸惑っていると小夜が苦笑いを浮かべた。



「春馬、こうやって腕を伸ばして。すぐ終わるから」

「う、うん……」



 春馬は小夜の真似をしてTの字型に腕を伸ばす。すると、莞爾は慣れた手つきで春馬の身体を調べ終えた。



「失礼いたしました。それでは、春馬さまどうぞ稲邪寺へ」



 全てが終わると莞爾は他の2人を連れて警備員室へ戻っていった。



──こんなに警戒するのはどうしてだろう……?



 春馬が疑問に思っていると寛が肩を組んできた。



「偽装した駐車場に黒服の警備。映画みたいでカッコイイと思わないか?」

「は、はい……でも、どうして警備が厳重なんですか?」

「そりゃ、忍びこもうとする奴がいるからだよ」



 寛は『なぜ当たり前のことを聞く?』とでも言いたげで、肩に手を回したまま駐車場のエレベーターを指さした。



「こっから先はがごちゃまぜになったような場所だ。用心してくれ」



 寛は春馬の背中をポンと叩いてエレベーターへ向かう。



──……。



 春馬は言い知れない不安を感じて足がすくんだ。緊張していると今度は小夜が背中を叩く。



「変に緊張しないでよ。気楽についてきて」

「さ、小夜さん待って……」



 小夜はにこやかに告げてエレベーターへと向かう。春馬は早足で二人を追いかけた。



×  ×  ×



 エレベーターは3階分を昇った。扉が開くとそこは石造りの小さな待合室になっており、ソファーと壁掛けの大型モニター、そして古めかしい黒の固定電話だけが置かれてあった。


 大型モニターには真っ青な海中を遊泳する魚の群れが映し出されている。春馬が何気なく見つめていると寛が外への扉を開けた。



「春馬君、こっちだ。少し歩くぞ」

「……!?」



 寛に続いて外へ出た春馬は思わず息をんだ。そこには見たこともない世界が広がっている。そびえるほどに背の高い樹々が生い茂り、その周囲を無数の蛍が飛び交っている。闇夜にきらめく蛍の群れは、淡い光を放つもやとなって夜を霞ませていた。



──ここがが混じりあう場所……。



 春馬は緊張しながら足を踏み出した。視線の先では年季ねんきの入った石灯篭いしどうろうと飛び石の一本道が闇の彼方へと伸びている。神秘的な光景だが、春馬はどこか夢の中にいるような、朧げな世界に思えた。小夜はそんな春馬の背中を軽く叩いた。



「だから、緊張しないでって言ってるでしょ。そんなに警戒していると



 小夜は春馬を追い抜くと、寛と一緒になって飛び石の上を進んでゆく。春馬が二人を追いかけるといっそう蛍の飛び交う池が見えてくる。そのとき、樹々の合間をう風に乗ってどこからともなく笛のが聞こえてきた。



──え……?



 春馬が足を止めて辺りを見回すと池のほとり、巨大な岩の上にぼんやりとした人影がある。再び歩き出すと人影がはっきり見えてきた。人影は折烏帽子おりえぼしに紋付きの白い直垂ひたたれを着ている。


 小刀こがたなを差して悠然と笛を吹く姿は、平安時代を描いた絵巻物から飛び出してきたかのようだった。糸のように細い目と眉。気品あふれる美男子だが、その顔にはまだどこか幼さが残っている。春馬と同年代に見えた。



「人……ですか?」



 春馬は人ならざる気配を感じて寛に尋ねた。



「ああ、アイツか? アイツはたいらの敦盛あつもり。吹いている笛は魔笛まてき小枝こえだ』。キングが使役しえきする神さまだ。この稲邪寺とうやじで眠る神獣を慰撫いぶするために、夜ごと宮廷雅楽きゅうていががくを吹いている」

「平敦盛……」



 春馬は歴史と古典の授業で平敦盛という名前を聞いた。平敦盛は平安時代、源氏と平氏が争ったおりに『いちたにの合戦』で非業の死をげた青年武将だった。



「じゃあ、幽霊ですか?」

「いや、幽霊じゃない。人が死んだら必ず幽霊になる……そういうわけでもないんだ。幽霊になる奴もいれば、大人しく成仏する奴もいる。かと思えば、神になる奴だっているのさ」

「兄さん、禍津神まがつがみになる奴だっているでしょ……」



 小夜がポツリと口を挟む。春馬は「禍津神まがつがみ」という聞き慣れない単語に首をかしげた。



「禍津神ってなんですか?」

「まあ……邪神って意味だよ」



 寛は短く答えて歩き始める。春馬は再び平敦盛へ視線を戻した。平敦盛は一騎打ちの際、自らを組み伏せた武将に向かって、



「お前にとって、わたしは手柄になる良い敵だ。名乗らないが、わたしの首を持って人に尋ねるがいい。みんな、わたしが誰か知っている。さあ、早く首を取れ」



 と言ってくびき切られた。優雅に笛を奏でる姿からは想像もつかない壮絶な最期を遂げている。



──平敦盛が慰める神獣っていったい……。



 もの悲しげな笛のは風と絡み合いながら辺りの闇へ溶けこんでゆく。春馬は哀韻あいいんを背にして二人を追いかけた。

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