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第4話 捕食者

 小夜は常階段付近の広場に雨傘女あまがさおんなを追い詰めた。雨傘女は四肢を地面にわせ、口を大きく開けて威嚇する。小夜は警棒を油断なくかまえてゆっくり距離を縮めた。


 突然、小夜の真横をひろしが勢いよく駆け抜けた。そしてあっという間に雨傘女へ迫り、顎を思いきり蹴り上げる。雨傘女は大きくのけって倒れた。すかさず、寛は再び雨傘女の髪をわしづかみにして裂けかかった口へコルト・ガバメントを突っこんだ。



「じゃあな」



 寛は見下すように呟きながら引き金を引く。雨傘女は七人ミサキと同様に淡い光を放って霧散した。小夜は安心して大きく息をつき、警棒のシャフトをグリップへ戻しながら寛を睨む。



「兄さん、さっきはどうしたの!?」

「悪い悪い。お前の戦いぶりに見とれていたんだ」

「絶対、ウソでしょ……」

「本当だって♪」



 寛は笑いながらガンホルダーにコルト・ガバメントを戻す。そしてわざとらしく眉を上げた。



「そういや、言い忘れてたが……雨傘女って傘を返しに行く幽霊だろ? 傘を返すんだろうなぁ?」

「え?」



 寛は意味を理解できない小夜を面白がり、ニヤニヤと笑いながら続ける。



「雨傘女は恨みを返しに行く存在……その先には『宿やどおんな』っていう、これまたたちの悪い幽霊が出る。『雨傘女』と『宿り女』は男を奪い合って死んだ女のれのて。死んでも互いを憎んで争うほど執念深いのさ。今日は両方を狩る予定だ」

「じゃ、じゃあ……」

「そう。今、春馬君のいる部屋には『宿り女』が出る。春馬君はどうするのかなぁ」

「!?」



 小夜は慌てて春馬がいる部屋の方を向く。駆けだそうとした瞬間、寛が腕をつかんだ。



「何やってんの? 余計なことをしてんじゃねぇよ」

「で、でも……」

「いいから聞け」



 寛は小夜を睨みつける。有無を言わせない雰囲気だった。



「『幽霊狩り』に必要なのは躊躇ちゅうちょのない暴力だ。仮にも、人の姿をした幽霊を殴ったり撃ったりするからな。それはわかるだろ?」

「……」



 小夜がうなずくと寛はようやく手を放した。



「お前から聞いた話だと……。春馬君は学校でみんなに無視されて、二酸化炭素って呼ばれているんだろ? 居るのに居ないことにされる。一緒に居ることを嫌がられる……まるで扱いが幽霊じゃねぇか。それなのに、いつもヘラヘラ笑っているなら……そうとう屈折した感情の持ち主だよ。そんな奴が暴力に目覚めたらどうなると思う?」



 寛はタバコを取り出して火をつける。小夜が答えられずにいると愉快そうに笑い始めた。



「幽霊が見えるくせに見えないフリして……今まで、必死になって否定してきたんだと思うぜ。そんな奴に幽霊をまざまざと見せつける……治りかけで、取っちゃいけないカサブタを痒くて引っぺがすような快感だ。春馬君がどんなグチャグチャした性格になるか楽しみでしょうがないよ」



 寛にとって春馬は兵隊候補。幽霊を蹂躙できればそれでいい。性格がどうなるかなんて興味本位でしかなかった。



「小夜、お前に誘われてよほど嬉しかったんだろうぜ。でも、まさか『宿り女』とデートするハメになるとは思ってなかっただろうなぁ~。……最高じゃねぇか。青春はこうじゃねぇと♪」



 寛は『春馬が今ごろどうなっているか?』を想像して楽しんでいる。小夜は狂気に染まる寛を嫌悪して眉をひそめた。するとすぐに寛が呆れた顔つきになる。



「オイオイ、小夜。今、俺を軽蔑したな? でも残念。お前は俺と大差ないよ」

「……」



 寛の言う通りだった。『宿り女』の存在を把握していなくても、春馬を騙して連れてきたことに変わりはない。春馬に対して優越感を抱き、『デート』といつわって強引に誘ったのは小夜自身だった。



──わたしは兄さんと同じ……。



 『春馬を助けに行かない』という事実が何よりの証拠だった。小夜はコンクリート壁を背にしてよりかかる。ストラップ越しの三段警棒がいつもより重く感じられた。



「今さら罪悪感とか感じてんじゃねぇよ。これは春馬君を『デッドマンズ・ハンド』へスカウトするための試験なんだ。春馬君が優秀な兵隊ポーンになるかどうか、すぐにわかるさ」



 寛は面白そうに笑いながら煙を吐き出していた。



×  ×  ×



 小夜とひろしが部屋を出ていってから少したった。薄暗い室内は陰気なままで春馬の不快感は増していゆく。



──二人とも帰ってこないな……いつまでここに居ればいいんだろう……。



 不安に思っていると突然、隣の和室で物音がした。ズルズルという何かを引きずるような音がする。



──な、何だ!?



 春馬は驚いて和室の方を見た。物音は和室の奥、押し入れの中から聞こえてくる。ゾッとする嫌な予感が身体中を駆け巡り、春馬は慌ててバットをかまえた。恐怖で震える膝を励ましながらゆっくり、ゆっくり押し入れへ近づいてゆく。するといきなり、押し入れの戸が勢いよく開かれて何かが飛び出した。



「う、うわぁ!!」



 春馬は目をつぶってやみくもにバットを振り回した。バットは引き戸や壁に当たり、固い感触を残して跳ね返ってくる。やがて恐る恐る目を開けると、開け放たれた押し入れには何もいなかった。



──た、確かに何かいた……どこに行った!?



「ヒュー」



 春馬の真後ろからかすれた息づかいが聞こえてくる。春馬は大きく目を見開いたまま固まった。



──ふ、振り向いちゃダメだ……。



 そう自分に言い聞かせていても正体を確かめようとして首が動いてしまう。やがて、振り向いた春馬の視界に逆さまの顔がぬるりと入ってきた。皮膚は崩れ落ちそうなほどにただれ、眼球の全てが黒い。雨傘女あまがさおんなとそっくりの姿かたちで天井にはりついている。もう一つの怪異、『宿やどおんな』だった。



「ッッ!!!!」



 春馬は驚きのあまり腰を抜かして床に尻もちをついた。手放したバットがコロコロと部屋の隅へ転がってゆく。『宿り女』はズシャリと床へ落ち、立ち上がると一歩一歩、春馬へ迫ってきた。



──く、来るな、来るな!! に、逃げなきゃ!!



 春馬は尻もちをついたまま手を使って必死に後ずさる。しかし、すぐに壁に突き当たって行き場を失った。『宿り女』は春馬に詰めよると真っ黒な目で見下ろした。



──も、もうダメだ……。



 追い詰められた瞬間。恐怖に駆られた春馬は脳裏にとある光景が浮かんだ。それは妹の夏実と手を繋いで公園を歩く自分の姿だった。断片的な記憶は脳内でコマ送りのように再生された。


 春馬は楽しそうにはしゃぐ夏実と一緒に公園を歩いている。そんな二人の前に突然、山高やまたか帽子ぼうしをかぶり、上等な紺色のスーツを着た老紳士が現れた。老紳士は夏実の頭をなでながら春馬を見てニヤアとわらう。皺だらけの顔、小ばかにするような目つき、黄ばんだ歯……笑顔は悪意に満ちあふれていた。



──あ、あれ……?



 春馬は迫りくる『宿り女』の顔と老紳士の顔が重なって見えた。



──僕は……以前にも同じような体験をしたことがある。



 バチン。と、春馬の頭の中で何かがはじけ飛ぶ感覚がした。春馬は急に勢いよく立ち上がり、『宿り女』へ向かって自分から顔を近づけた。



「ぼ、ボ、僕ね、歩いてタんだ。こ、公園を、妹のナツミと。そシたら変な帽子ヲかぶっタお爺さンが突然現れテね……ナツミの頭をなでタんだ……そ、そレで、ソれで、それでネ……」



 それは異常な光景だった。春馬は口をめいっぱいに広げ、よだれを垂らしながら覚束おぼつかない口調でまくし立てる。春馬の顔がだんだん歪んでいくと『宿り女』はピタリと動きを止めた。



「な、ナ、夏実ガね……」



 何かを言いかけるたびにフラッシュバックが春馬を襲う。極度の恐怖は春馬が封印してきた記憶を思い出させた。


 病院の一室。


 点滴を打たれて眠る夏実。


 泣き崩れる両親。


 呼び覚まされた記憶は春馬の心を深く、強く、鋭くえぐった。春馬は頭を抱えてうずくまる。



「夏実が……眠っちゃっタぁ~」



 春馬の両目からは大粒の涙がポロポロとあふれ出ていた。



「起きなイ、起きナい、起キないよ!? うぅ、僕のセイだ!! 僕ガしっかりシテいなカら!!」



 春馬は頭をきむしり、感情をたかぶらせてわめき散らす。春馬を襲った恐怖は心に深刻な混乱を招いていた。そして、その混乱は心の奥底で眠っていた感情を揺り起こす。それは憎悪だった。


 圧倒的な憎悪は抑えがたい怒りや敵意とともに春馬の心を支配してゆく。春馬は涙目になりながら『宿り女』をジッと見つめた。瞳孔が蛇のように細くなっていった。



「ボク……ずっト前から、お前ラみたイな存在を知っテいたんダ……そレなのニ、怖いカら、見エないフリをしテた。夏実がアんな目に会ったノに……僕ハ復讐すらシない。卑怯者のクズだ……」



 部屋中の電灯が激しく点滅し始めた。光と影が交差すると春馬はゆっくり立ち上がる。瞳は赤い攻撃色に染まり、見る者すべてを凍りつかせる憎悪と敵意に満ちていた。



「でも……お前らだって理不尽に人を襲うクズだろ? なんで僕の前に立ってる? 消えろよ」



 突然、春馬は冷静に言い放った。とたんに部屋中の窓ガラスが外側へ向かって割れる。マンションの廊下や階下に割れたガラスが飛散した。『宿り女』はひるんで後ずさる。しかし……。


 春馬は『宿り女』へ近づいて崩れかかった両頬に両手をそえる。あれだけ恐ろしかったはずなのに、今は恐怖の欠片かけらすら感じない。あるのは限りない怒りと憎しみだけだった。


 どうすれば『宿り女』を倒せるか? を、春馬は無意識のうちに理解していた。さらに顔を近づけて『宿り女』の黒で統一された眼球を覗きこむ。すると、『宿り女』の目から黒いもやが噴出し、春馬の瞳へ吸いこまれていった。


 孤独。


 憎悪。


 殺意。


 『宿り女』の様々な感情が可視化され、目を通して春馬へ流れこむ。春馬はそれら一つ一つの感情を喰らっていった。


 感情は人間だけでなく、幽霊にとっても力の源泉だった。感情を失った幽霊はただのうつろな影に過ぎず、存在理由を失って消え去ってしまう。春馬は『宿り女』の感情すべてを呑みこむ、一方的な捕食者だった。



「ア゛ーーーー!!!!!!!!」



 『宿り女』は悲鳴を上げながら霧散した。力を使い果たした春馬はフラフラと二、三歩進んで崩れ落ちる。遠のく意識のなかで、部屋へ戻ってくる小夜と寛を見ていた。

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