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第3話 雨傘女(あまがさおんな)

「いやぁ、事前に話を通しておくと楽だ」



 寛はインディゴブルーのテーラードジャケットを脱ぎ捨ると冷蔵庫から勝手に缶コーヒーを取り出した。綺麗にアイロンがかかったクレリックシャツの上、左脇には革製のガンホルダーがある。春馬は思わず目を見張った。



「そ、それ!? 銃……ですか??」

「ん? ああ、コレね。ガスガンだよ。銃の種類はコルト・ガバメント。コルト・ガバメントってのは日本での呼び名で、本当は1911ナインティーン・イレブンっていう名前なんだ。どう? 禁酒法時代のギャングみたいでカッコイイだろ?」



 寛は笑いながらどっかりとソファーに腰を落とす。春馬もパイプ椅子に腰かけながらチラリと小夜を見た。小夜はこちらへ目もくれず、忙しそうにスマホをタップしている。春馬は寛のガンホルダーへ視線を戻した。



「『幽霊狩り』って、バットや警棒の他にガスガンも使うんですね」

「まあな。使ってるBB弾が特殊なんだ。除霊効果のある液体にひたしたものを使ってる。人間にしてみりゃ単なるBB弾だが、幽霊からすれば実弾だ。もっとも、バットや警棒と同じで使う人間によって威力が変わる。それに……」



 寛は楽しそうに身を乗り出した。



「バイオ弾を使ってるんだ」

「バイオ弾?」

生分解性せいぶんかいせいプラスチックでできた弾のことだよ。数年で土にかえる。幽霊とか妖怪は出る場所を選ばないだろ? そこら中にBB弾をき散らかしたらみんなに迷惑がかかる。『デッドマンズ・ハンド』は環境のことも考えてるんだ」

「ほ、本格的ですね……。それで、本当に幽霊が出て……狩るんですか?」

「狩るよぉ~」



 寛は缶コーヒーを一気に飲み干すと大きく欠伸あくびをする。自宅でくつろぐような姿からは『幽霊狩り』の緊張感が微塵みじんも感じられない。欠伸ついでに寛は『幽霊狩り』の説明を始めた。



「このマンションにはほとんど人が住んでないんだ。特に最上階の9階には誰も住んでいない。どうしてだと思う?」

「聞かれてもわからないです……幽霊とか妖怪が出るからですか?」

「ピンポーン♪ 朝方に小雨こさめがぱらついて、夕方に綺麗な夕日が見れたら……必ず起きる怪奇現象がある。905号室に、『雨傘女あまがさおんな』って幽霊が出るんだ。まあ、言ってみれば傘を返しにくる女の幽霊だ」

「傘を返しにくるって……あんまり怖くないですね」

「そう思う? この場合、傘には恩讐おんしゅうの意味合いがあってさ……傘地蔵は傘のお礼をしにくるだろ? でも、雨傘女は恨みを返しにくるんだよ」



 寛の事前調査によれば、『部屋にとりいているのか?』それとも『土地にとり憑いているのか?』定かではないが、雨傘女と呼ばれる幽霊が現れて住人に危害を加えるという。



「実際に雨傘女を見た住人は心不全を起こしたり、精神を病んだり……手酷い目にあっている。人間にしてみれば、理不尽な暴力を振るわれているわけだ」

「警察とかには相談しないんですか?」

「警察に相談だって?」



 春馬が尋ねると寛は面白そうに笑い始めた。



「あはは、春馬君は警察が幽霊を逮捕すると思うかい? いたずらか何かってことで処理されて終わりだよ。だから俺たち『デッドマンズ・ハンド』が狩るんだ。言ってみりゃ、俺たちは害獣駆除業者ってところかな」 



 笑っていた寛は急に真顔になった。少し不機嫌そうに春馬の顔を覗きこむ。



「よく映画とか漫画だと……出しゃばりが『行くな』って言われている場所に行ってどうにかなっちまうだろ? それで、そういった事件を解決するのは決まって特別な能力を持った小さいガキか美少女なんだよ。そんなもん、ウソだ!! クソだ!! ブルシットだ!! 実際の『幽霊狩り』なんてギャング映画の抗争と一緒だ。武器を持って、複数で乗りこんで、そんでもって不意を突いて潰す……春馬君、わかってくれたかな?」

「……は、はい」



 春馬は寛の剣幕に気圧けおされてうなずくことしかできなかった。しかし、小夜はスマホを見ながら聞き耳を立てていたらしい。寛に向かって口を尖らせた。



「美少女と小さいガキって……ウソじゃないでしょ」

「確かに……お前は俺の妹なんだから美少女に決まってるよな。悪かった」

「どうでもいいけど、そろそろ出現予定時刻だよ」

「じゃあ、サクッと行って、サクッと狩ってきますか♪」



 寛は立ち上がると緊張する春馬へ微笑みかけた。



「春馬君、あまり難しく考えないでくれ。アトラクションでも楽しむつもりでいてよ」



 寛は小夜と一緒になって管理人室を出ていく。春馬は渡されたバットを握りしめて二人の背中を追いかけた。



×  ×  ×



 エレベーターはきしむ音をたてて9階で止まった。ひろしは電灯が点滅する薄暗い廊下を進み、905号室の前で立ち止まる。部屋に鍵はかかっていない。ドアノブを引くと錆びついたドアが金属のこすれ合う嫌な音をたてた。



「土足で入る許可はもらってる」



 寛が先導するとすぐにリビングキッチンに出た。室内はかびの臭いと湿気がひどく、思わず顔をしかめてしまうほど陰気だった。電気をつけると6畳の和室と洋室が直結しているのがわかる。



「まあ、くつろごうぜ♪」



 寛、小夜、春馬は玄関が見えるリビングキッチンに陣取った。辺りにはテーブルや椅子といった生活を匂わせる家具が一切ない。春馬たちは無造作に置かれたカラーボックスの上に腰をおろした。



──勝手に入って大丈夫なのかな……。



 今さらながら、春馬は不安げに周囲を見回した。取りあえずバットを持ってきたものの、やはり『幽霊狩り』をするとは思えない。しかし、隣では小夜が三段警棒を片手でクルクルと器用に回している。同年代の少女が警棒の扱いに手慣てなれている姿はどこかアンバランスで、危険な雰囲気をかもし出していた。



──本当に、これから幽霊狩りをするんだ……。



 春馬のこめかみを嫌な汗が伝うと緊張している自分に気づく。やがて、10分ほどが経過したころ、玄関を見ていた寛が急に立ち上がった。



「来たぞ……お客さんだ」

「!?」



 寛の視線を追いかけた春馬は鼓動が早くなった。玄関のドア横、曇りガラスの向こう側。不規則に点滅する蛍光灯に照らされてボンヤリとした人影が浮かんでいる。すぐにドアノブがカチャカチャと小刻みに動き、人影は部屋への侵入をこころみた。



「いらっしゃ~い♪」



 突然、寛がスタスタとドアへ歩みよった。かと思えば、鍵を開けて勢いよくドアを押し開く。躊躇ためらいなく人影へ向かって手を伸ばし、髪をつかんで部屋の中に引きずりこんだ。


 ズシャッ!! という濡れた衣服を床へ投げ捨てるような音がした。寛に引きずりこまれた人影はジャミングされた映像のように乱れている。やがて輪郭がハッキリしてくると春馬はその異様さに戦慄した。


 人影は肩まであるぼさぼさの髪で、ボロボロになった灰色のワンピースを着ている。顔や身体の皮膚が腐り、焼けただれていた。片方の眼球や頬肉がなく、眼窩がんかや頬骨が露出している。雨傘女あまがさおんなは明らかに人間ではなかった。



「ア゛ア゛ー!!」



 雨傘女は四つんいになり、奇声を発して威嚇する。敵意を剝き出しにする姿を見た春馬は何もできず、ただその場に立ちつくした。隣では小夜が警棒をかまえながら寛へ呼びかける。



「ちょっと、兄さん!! 攻撃してよ!!」



 雨傘女を引き入れた寛はなぜか攻撃しない。しかたなく小夜は雨傘女へ駆けよって三段警棒を振り下ろした。バチン、という衝撃音とともに雨傘女の態勢が大きく崩れた。



「ヴーア゛ー!!」

「このッ!!」



 小夜は唸り声を上げる雨傘女に二撃目、三撃目を加えた。しかし、寛は銃を抜くことすらせず、ニヤニヤと現状を見つめている。寛が見つめているのは呆然と立ちつくす春馬だった。



「に、兄さん、どうしたの!?」



 寛に戦う気配はない。そのことに気づくと小夜は自分で決着をつけにいった。



──こ、こうなったら、わたしが……。



 小夜は動揺を押し殺して雨傘女と対峙する。そのとき、劣勢に追いこまれた雨傘女が開いたままのドアへ向かって逃げ出した。寛は退路を断つどころか、依然としてニヤついている。雨傘女はそのまま部屋を飛び出した。



「ちょっと!! 何で逃がすの!?」



 小夜は雨傘女を追い、慌てて部屋を出る。すると、ようやく寛がガンホルダーからコルト・ガバメントを引き抜いた。



「さて、俺はちょっと行ってくるよ。春馬君はここで待っててくれ」



 寛はそう言い残して部屋を出ていく。春馬は呆気あっけに取られたまま、身動き一つできなかった。

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