「やーあ、
紅桃の顔を見て、でれりと相好を崩しかけたサトーさんだったけど、それをごまかすように咳ばらいをすると、矢継ぎ早に質問を浴びせてきた。
あたしの前を、横切るような形で、今は消えちゃった黒い楕円形の中から現れたサトーさん。
紅桃が来るまでは、体をひねって上半身だけをあたしに向けてたのに、今は完全にこっちに体を向けている。
そんなに、空を飛ぶことに興味があるのかな?
まあ、大人だって自由に空が飛べるなら、飛んでみたいよね。
とは、思うけど。
あたしは、そそくさと紅桃の背中の後ろに隠れた。
このおじさん、なんか苦手。
お相手は、紅桃にお任せします。
「ん? あー…………。まあ、やってみたら飛べたって感じか?」
「はあ!? なんだそりゃ!?」
紅桃が面倒くさそうにしながらも答えると、サトーさんは、くわっと目を見開いた。
「なんだそりゃ、って言われてもな。まあ、魔法少女だから空くらい飛べてもいいんじゃね? てかさ、サトーも魔法使いなんだから、やってみたら意外と簡単に飛べるようになったりするんじゃねーの?」
「飛べるかー!?」
サトーさんが、両手をわなわなさせながら叫んだ。
叫んだっていうか、吠えたっていうか。
「これだから、これだから、魔法少女ってヤツはっ……!
ひー!
おじさんが、壊れたー!
紅桃の後ろで身をすくめていると、紅桃が若干引き気味に、でも宥めるようにサトーさんに声をかける。
「落ち着けよ、サトー。何言ってんだか、よく分かんないけどさ。とにかく、お前も空を飛んでみたいってことだろ? だったら、とりあえず試してみろよ。おまえだって、飛べるかもしれないんだしさ。吠えるのは、試してからでも遅くないだろ」
せ、正論だ!
この上ない正論を聞かされたサトーさんは、わなわな震えていた体をぴたりと止めた。
へらへらとした笑みを紅桃に向けるけど、その瞳はどこか虚ろだ。
「子供はいいよねぇ。思い込みだけで、簡単に常識を飛び越えちゃってさぁ。道具や術式を使ってとかなら、なんとかなりそうだけどさ。思い込みで空を飛べるほど、おじさんはもう若くないんだよねぇ。良くも悪くも、地上での常識が体に染みついちゃってるっていうかさぁ」
「え? おまえに、常識なんてあったのか?」
「紅桃君は、ひどいなあ。もちろん、あるよー? 地上の常識なんて闇底では何の役にも立たないのにねぇー。残念ながら、あるんだよねー」
乾いた笑いが、薄暗くて仄明るい荒野に落ちる。
「あー……。まあ、どうでもいいや。それよりも、星空。さっき、こいつに何か言われてたみたいだけど、信じるなよ。こいつの言うことは、八割くらいが嘘だからな」
「八割が嘘って……」
一人でぶつぶつ言い始めちゃったサトーさんをあっさり放ることにして、紅桃はあたしを振り返った。
サトーさんのさっきの、月華がどうのっていうの、どういう意味か聞いてみたかったけど。八割嘘か。なら、聞いたところで本当のことを教えてもらえるとは限らない、かな。
それだったら。
今日はもう、アジトに帰らない?
って、紅桃に言おうとしたら。
「八割なんて、紅桃君はひどいなー。半々ぐらいだよ? だから、星空ちゃんも安心して、おじさんの言うこと、半分くらい信じていいからね」
復活したらしきサトーさんが、話に入ってきた。
立ち直り早いな。もう少し、自分の世界に浸っていてくれてよかったのに。その隙に、帰りたかったのに。
ていうか。あたしに話しかけながら、紅桃の顔だけをじっと見てるのって、なんか失礼じゃない? しかもなんか、やらしい感じにニヤついてるし!
いや、別にやらしい感じに見つめられたいわけじゃないけどさ。まったく相手にされないのも、女子として傷つくっていうか!?
そんな乙女心!
「何言ってやがる。半々でも、十分信用できないっての! 俺は昔、こいつから聞いた情報のせいで、すっげー強い妖魔に食い殺されそうになったんだぜ」
紅桃が、肩を怒らせながら一歩前に足を踏みだした。
え? 何、それ。どういうこと?
あたしは顔を引きつらせながら、半歩後ろに下がる。
「ひどいなぁ、紅桃君。それじゃ、まるでおじさんが君を騙したみたいじゃない?」
サトーさんは、顎の下をさすりながら、にへらと笑った。
「おじさんは、親切心であそこに強い妖魔がいるから気を付けてね、って意味で教えてあげたのに。君が勝手に、突撃したんじゃない?」
「………………それは、紅桃の自業自得なんじゃ?」
「うっ、それは……」
紅桃は怒らせていた肩を落としながら、言葉を詰まらせる。
ほんとに自業自得なんかい。
「それにさぁ、ちゃーんと助けに行ってあげたじゃない? そんな妖魔、俺がやっつけてやるぜー、とか実力も顧みず息巻いてた君の自業自得とはいえ、おじさんが教えた情報のせいだしなーって思ってさ」
紅桃がだんだん、ちんやりしていく。
ふ、ふーん? 助けに行くなんて、サトーさんは、実はいい人なのかな?
不器用なだけで、実は優しいとか、よくあるそういうヤツ?
「ま、おじさんもどうにもならなくて、見捨てて帰ろうかなーって思ったところに、月華がやってきて、あっさり妖魔を倒してくれたんだよねー」
見捨てようとしたんかい!?
って、え? 月華?
あたしはぴょんと紅桃の背中に飛びついて、紅桃の肩の上からサトーさんのほうへ顔を突き出した。
「月華はさぁ、綺麗で強くて格好良くて、無慈悲だよねぇ……」
サトーさんは、紅桃にロックオンしてた視線を闇空の彼方に向ける。
紅桃を見つめていた時のいやらしい感じのにやにや笑いはすぱっと消えて、そこに太陽でもあるみたいな、眩しい顔をしている。
もちろん、闇空には太陽なんて存在しない。
「でもさぁ。月華はさぁ、女の子……とか、女の子に見えるものには優しいのに、おじさんには冷たいっていうか、無関心だよねぇ」
女の子に見えるものって…………あ、紅桃のことか。
「あの時もさぁ、紅桃君の無事は確認したのにさぁ、まあ、ざっと目視で確認したら、何も言わずにあっさり飛んで行っちゃたんだけどね。でもさぁ、俺のことなんて、無事を確認するどころか、存在に気づいてもいなかったよねぇ、あれ。目に入っていないというかさ。きっと、妖魔が石ころを踏んづけてたみたいな感覚だったんだろうなぁ。ま、そこが月華のいいとこでもあるんだけどね」
いいところ?
いや、そもそも。
これは、どこまでが本当の話なんだろう?
半分のどっち?
そこで、サトーさんの半分独り言みたいな話は終わったみたいだった。
フッと口元に笑みを浮かべたかと思うと、ガリガリと片手で頭をかき回し、あたしたちへと視線を移してにへらと笑った。
「じゃ、おじさん、もう行くわ。こう見えて、暇じゃないんだよねー、実は」
そう言って、リヤカーの持ち手に手をかける。
サトーさんの前に、あの真っ黒い楕円が、また現れた。
円の中へ進みかけて、サトーさんは顔だけをこっちに向けた。
「あ、そうそう。さっき
片手をピッと上げて挨拶すると、今度こそサトーさんは楕円の中へと足を進めた。
サトーさんがすっかり楕円の中に入り、それに続くリヤカーのお尻が姿を消したところで。
黒い楕円は、音もなく消えた。
楕円は、音を立てなかった。
でも、消える間際にサトーさんの独り言が聞こえてきた。
「どうせなら、ルナちゃんの体も拝みたかったなぁ……」
ルナの体…………?
ふと、思い浮かべてみる。
猫耳、猫しっぽ。肩口までのワイルドヘアー。シンプルな白いTシャツとデニムのショートパンツ。
――に包まれた。
ぱつーん。
きゅ。
むちーん。
な感じの、羨ま妬ましい魅惑のボディ。
あ、あのエロおやじめ!
も、もう、妖魔じゃないとか関係ない。
あたしは、妖魔を撃退スターライト☆スプレーを召喚すると、塩をまく代わりにプシューッとしまくった。
………………てゆーか、さ。
エロおやじは、さ。
もう妖魔ってことで、よくない?