小さくて丸くてコロンとしたアニマル柄の可愛いリュックの両サイドには、ただの飾りにしか見えない、小さな羽がついていた。白い、天使っぽい羽。
両手に持ったリュックをじーっと見下ろしていたルナは、一度もそれを背負うことなく、
夜咲花が、ルナのために作ったリュックを。
「いらない。邪魔」
「…………邪魔?」
リュックを受け取った夜咲花の笑顔が凍り付く。
「うん。邪魔!」
ルナは別に、悪気があるわけでも、夜咲花が嫌いなわけでもない、と思う。
ただ、思ったことを素直に、飾り立てずに、オブラートに包んだりもせずに、そのまま口に出しちゃってるだけで。
ルナが、空気を読まずに夜咲花につき返しちゃったリュックは、前回、一部が盛り上がって製作が決定した“空飛ぶ魔法のリュック”だ。
リュックは、全部で四つあった。
アニマル柄以外のリュックは、まだ板の間に置かれたまま。
色違いの、お揃いのリュック。
青いのがあたしので、緑が
作ったのは、錬金魔法少女である夜咲花。色とデザインは、夜咲花が勝手に決めたものだ。
ちなみに、
いらない、じゃなくて必要ないって、月下さんは言った。
夜咲花は少し不満そうな顔をしたけれど、割とあっさりと引き下がった。
代わりに、と言っては何だけど、リュックを作る時には、まだアジトに帰ってきていなかったルナの分も作ってあげようってことになった。
ルナ、喜んでくれるかなーって、夜咲花はうきうきと錬金釜を掻きまわしていた。
いたのになー……。
ルナが妖魔狩りから帰ってきたのは、丁度、四人分のリュックが出来上がって、夜咲花のアトリエから板の間に戻ったところだった。
「月華みたいに空を飛ぶためのアイテムを作ったんだ! これ、ルナの分!」
そのあまりのタイミングの良さにテンションが上がったのか、夜咲花は満面の笑みでルナにアニマル柄のリュックを手渡した。
手渡して。
そして、あっさり突き返されちゃったのだ。
「ツキハナみたいに空を飛ぶなら、こっちの方がいいと思う!」
夜咲花の好意を、意図せずに打ち返しちゃったルナは、嫌みのない眩しい笑顔でそう言った。
言い終わると同時に、ルナの背中から、ばさぁッと翼が生える。
真っ白い、猛禽類を思わせる逞しい翼。
肩まであるワイルドヘアー。白いTシャツにデニムのショートパンツ。その辺にいる雑種っぽい猫耳と猫尻尾。プラスすることの白い猛禽羽。
うん。これ、何て生き物?
分かんないけど、妖魔ハンター能力は、格段にアップしていると思う。
「足も鳥足なら、なんかこういうモンスターがいた気がするな。なんだっけ?」
「妖魔合体に失敗したキメラの成れの果てみたい……」
ゲームのことでも思い出しているのか、紅桃は腕組みをして何やら考え込み始め、夜咲花は口をへの字に曲げてボソッと呟いた。その言葉には、悪意成分が大量にぶち込まれている。声にトゲトゲしたものが、ふんだんにまぶされていていた。
でも、ルナはそんな夜咲花の様子にはまるで気が付いていないみたいで、
「行ってくる!」
元気よくそう言うと、アジトの外に向かって駆け出していく。
スパーンと思い切りよく戸を開け放したまま、アジトの外へ進み、しばらく助走してから、タンと地面を蹴りあげる。同時に、背中に生えた翼がバサってなって、なって。
と、飛んだ!
闇空へと舞い上がったルナは、一度もこちらを振り返ることなく、そのまま高速でどこか遠くへ向かって飛んでいく。
もう姿が見えなくなっちゃったんだけど、ちゃんとアジトまで帰ってこれるのかな、あれ。
てゆーか。
本当に動物みたいだな。ルナって。
あと、魔法少女って、こんなに簡単に空を飛べちゃうんだ…………。
何か、すごいを通り越してきた気がする。
「空飛ぶ……魔法のリュック……。せっかく、ルナの分も作ったのに……」
ルナが一人で一気に駆け抜けていった急展開? に、ぼへーっと闇空を見上げていたら、後ろから可愛い重低音が聞こえてきた。
そろりと振り返ると、すっかり機嫌を損ねた夜咲花が、じったりとあたしと紅桃を見ている。
やべえ。ルナがいなくなったせいで、矛先がこっちに来た!
何も言わなくても、何を言いたいのかは分かった。
「あー、えーと。まあ、ほら、ルナは獣系魔法少女だしな! 道具とか、使えないんだよ。きっと。だから、許してやれって」
「そ、そうそう! あたしたちは、ほら、ちゃんと使うし!」
あたしは愛想笑いを浮かべながら、板の間の上、夜咲花の足元の近くに固めて置いてあるリュックに手を伸ばし、青い色のリュックを背中に背負う。
ルナが帰ってくる前は、せめてもっとカッコいいリュックにしてくれよってごねていた紅桃も、これ以上夜咲花の機嫌を損ねてはマズイと判断したのか、眉間に皺を寄せながらも大人しく緑のリュックを背負っている。
「じゃ、じゃあ俺たちもテスト飛行に行ってくるけど、おまえはどうする?」
「………………あたしは、まだ、いい。二人で、行ってきて」
リュックを背負ってから、紅桃は一応確認しとくって感じで、夜咲花に声をかける。
ヘビの妖魔に丸呑みされそうになったトラウマで、妖魔が怖くてお外に出れない夜咲花。きっと、断られるだろうなって予想はしていた。でも、お断りの中に含まれていた「まだ」の一言に希望を感じて、あたしは少し嬉しくなった。
それに、即答じゃなかったし。
「そっか。分かった。じゃあ、行ってくるね」
「問題なさそうだったら、その内、おまえも一緒に行こうぜ」
「ん」
今は無理でも、いつか一緒にお出かけしようね! 夜咲花!
そんなこんなで。
アジトを出たあたしと紅桃は、早速テスト飛行を開始することにした。
背中に夜咲花の視線を感じながら、ゆっくりと前に数歩進む。
そして、特に助走をつけたりはせずに、その場でジャンプ!
すると。
びっくりするくらい簡単に、体はふわりと宙に浮いた。
嬉しくなって隣を見ると、紅桃もちゃんと飛んでいた。はしゃぐような笑い声が聞こえてくる。
リュックの力で飛んでいるのかは、正直よく分からないんだけどね。ま、とりあえず、大成功!
あたしたちは、ゆっくり高度を上げていった。
きっと紅桃は、夜咲花を気にしてそうしているんだろうなと思う。あたしは、それもあるけど、純粋にあんまり一気に高い所へ行くのがちょっと怖い。
何のためらいもなくすっ飛んで行ったルナは、すごいなと思う。初めての闇空なのに、全然、怖くなかったのかな?
薄暗くて仄明るい闇底の世界は、上に行くほど真っ暗だった。
前に
闇底を灯すホタルモドキたちは、地面の近くにしかいないみたいだ。
なんか、足元の方が星空を映す水面で。
上に登っているはずなのに、暗い水底に向かって落ちていっているみたいな。
すごく、不思議な感じ。
あたしは、今……。
「お。機嫌、直ったみたいだな」
感傷的な気分に浸りかけたところで、ほんのりと笑いを含んだ紅桃の声が聞こえてきた。
視線の先を追って下を見下ろすと、アジトの戸口から顔を出している夜咲花が見えた。
妖魔を撃退するシャワー缶をシューってしながら、手を大きく振っている。
よかった。笑ってる。
夜咲花に答えるように、あたしも手を振り返した。
「もう少し、自由にあちこち飛び回ってみたいけど、今日のところはこのくらいで一旦アジトに戻ろうぜ」
「そうだね。夜咲花が、待ってるしね」
さっきの今で置いてきぼりにしちゃうのは、ちょっと可哀想だしね。
しかし、紅桃。
妹がいるって言っていたけど、なんか本当にお兄ちゃんって感じ。しかも、割と頼れるお兄ちゃんっぽい。ちょっと、感心。
見た目は、可憐な美少女だけど。見た目だけで言うなら、お兄ちゃんどころかお姉ちゃんでもなく、可愛い妹って感じだけど。
「しかしさー。あれだな。
「ん?」
「必要ないって、こういう意味だったんだな。俺はてっきり、夜咲花の作るような可愛い系のアイテムはお姉さんにはちょっと……的な意味だと思ってたよ」
「あ、あー…………」
腕組みをしてアジトを見下ろしながら、フッと鼻で笑う紅桃。
リュックに頼らずに、自前の翼を生やして飛んでいったルナを思い出して、あたしも苦笑いを浮かべる。
正直、あたしもリュックなしでも飛べると思う。翼すら、いらないと思う。
何だろう?
やってみたら、意外と簡単だったみたいな?
簡単すぎて、まるで自分が…………あー、いやいや、何でもない。
しっかし、闇底の魔法少女って、結構万能?
あれ? でも、そしたら…………。
「月華は? それだったら、月華だって
魔法少女の親分的存在である月華。
その月華が、空を飛ぶ時には、鳥の妖魔(たぶん)である雪白と合体して背中から羽を生やしてたからさ。
てっきり、何かこう、ひと手間をかけないと空は飛べないのかなって思い込んでたんだけど。
「あー…………。たぶん、やってみればできるんじゃね? 俺たちに出来るくらいだし」
「じゃあ、なんで?」
紅桃はチラッとあたしを見て、それから斜め上に目線を上げながら言った。
「…………魔法少女の力ってさ、思い付いたもん勝ちって感じがしねぇ?」
「思い……付いたもん、勝ち?」
えーと、つまり。
やり方を思いつきさえすれば、大抵何でも出来ちゃうってこと?
いや、そんな、まさか。
いや、でも?
「まあ、たとえ出来たとしても、月華と雪白はあれで結構いいコンビだし。あのままでいいんじゃね?」
「…………そうだね」
てゆーか。月華は、あんまり一人では行動しない方がいいと思うなー。
雪白って、月華のお目付け役っぽいところあるし。
雪白がいなくても、月華だけの力で空を飛べるって分かったら、月華は一人きりでどこかへ行っちゃったりしそうだな。
うん。このことは、月華には黙っていよう。
「やっぱり、翼やリュックは必要だと思うな」
「そうだな。俺もそう思う」
紅桃も、同じことに気が付いたんだろうな。
あたしの意見に、肩をすくめながらあっさりと頷いた。
それにしても。
魔法少女って、本当に一体、どういう生き物なんだろう?
あんまり簡単に空を飛べちゃって。
まるで。
まるで幽霊にでもなった気分なんだけど。
…………生き物、なんだよね?
あたしは、まだ……。
考え込んでいると、パンと肩を叩かれた。
「ま、ごちゃごちゃ考えてもしょうがないって。俺たちが闇底に迷い込んで魔法少女になっちまったことは、もう変えられないんだからさ。こうなっちまった以上は、せいぜい闇底での魔法少女生活を楽しもうぜ! 空も飛べることだしな」
「…………そうだね」
勝気な笑みを浮かべている紅桃に、あたしも笑顔で答えた。
せっかくの可憐な顔立ちには、似合わない表情ばっかりするよなー、と言うのは置いておいて。
まだ、始まったばかりの。
闇底魔法少女生活。
前向きに行こうか。
前向きに。