こんなに泣いたのは、いつぶりだろう?
蝶々と神隠しの話は、おばあちゃんから何度も聞いていたし、薄々分かってはいたんだよ。もう、お家には帰れないんだろうなってことは。
でも、こう、ね?
人から言われると、思った以上にショックを受けるというか。
ないけれど。
なんか、難しいんだろうなってことは、伝わってきた。
そもそも、方法からして分かっていないわけだし。
薄っすら覚悟をしていたからか。
思いっきり泣いたおかげで、スッキリしたからか。
大泣きした割には、あっさりと心が決まった。
まあ、名前だってもう考えちゃってあるわけだしね。
……………………。
あんなに威勢よく魔法少女名を披露しようとしておいて、その直後に号泣とか。
冷静に思い返すと、かなり恥ずかしいな……。
あたしの気持ちが落ち着いてきたことを察したのか、みんなの緊張も緩んだみたいだった。
あたしの背中を優しく撫でてくれていた月下さんの手が止まって。
あたしの傍に近寄ってきたはいいものの、どうしていいか分からなかったらしくオロオロしていただけだった
セーラー服のスカーフであたしの涙を拭いてくれていた(雑巾で床を拭くみたいなゴシゴシぶりだったけど)月華は、そっと後ろに下がる。
涙で滲んでよく見えなかったけど、どういう顔して涙を拭いてくれてたんだろう?
やっぱり、無表情?
それとも、少しは慌てた顔をしてくれてたんだろうか?
想像して、フッと口元を緩めたら、なんか温かい風が吹いてきた。
月華が魔法でスカーフを乾かしたみたいだった。
かなりグッショリになっていたと思われる。すみませんでした。そして、ありがとうございました。
「よし。では、落ち着いたところで契約を済まそうか」
「え?」
スカーフが完全に乾いたことを確認してから、徐に切り出した月華にあたしは慌てた。
も、もうですか?
いや、確かに心は決まってはいますけど。
「ちょっと、月華! 性急すぎるわよ。まだ、魔法少女のことについて、何にも説明していないじゃないの」
月下さんも少し慌てた様子で、月華の方ににじり寄る。
で、ですよね!
「契約してから説明すればいいだろう? 早く、魔法少女になった方が、安心・安全だ」
「それはそうだけど、そういうことじゃありません!」
不服そうな月華を、月下さんはめっと叱りつける。
なんか。
月華って、普通にしていると、月の化身というか月の女神様な感じだけど。月下さんの前だと、途端に手のかかる妹っぽくなるなー。
ちょっと、可愛いかも。
ほのぼのしているあたしを余所に、月下さんの説得は続いた。
「一度契約したら、もう元には戻れないのよ? ちゃんと説明しないで契約して、後でもめるのは嫌だもの。ちゃんと、魔法少女になることのメリットとデメリットを説明した上で決めて欲しいの。その方が、お互いの為でしょう?」
「…………分かった。手短に頼む」
ぐっと眉根を寄せて、月華は不承不承といった感じで頷いた。
もうちょっと、ごねるかと思ったけど。
やっぱり月下お姉ちゃんには弱いのかな?
「というわけで、さっきの今で申し訳ないのだけれど。このまま話を続けても大丈夫かしら?」
「え? あ、は、はい! お願いします。魔法少女のこと、知りたいです」
いきなり話を振られて、ちょっとだけ声が裏返ってしまった。
って。そうだった。そもそも、あたしのことでした。
ぼうっとしている場合じゃない。
でも、でも、でも。
メリットはいいけど、デメリットって?
ちょっと、聞くのが怖いような?
い、いや。ちゃんと、聞きますよ。
泣いている間に、床にペタン座りしていた足を整えて、再びの正座。
よし、来い!
「じゃあ、まずは魔法少女になることのメリットから説明するわね」
「はい。お願いします」
月下さんも、あたしと向かい合う形でしなやかに正座をし直した。
淡い黄色のワンピースが大変よくお似合いで。朧月夜みたい。
「メリットその一。魔法が使えるようになります。ふふっ、さすがにこれは言わずもがなだったかしら?」
右手の人差し指を一本立てて、月下さんは微笑んだ。
笑顔に見とれながらも、心はぱぁっとお花畑に向かって飛んでいきつつあった。
魔法…………!
魔法少女の魔法!
つ、使ってみたい!
「メリットその二。身体能力が向上します。走るのが早くなったり、力が強くなって重いものが持てるようになったり、それから今までよりも疲れにくい体になります」
お、おー。
魔法に比べると地味なように聞こえるけれど、でも大事なことだよね。
それに、魔法少女に変身してパワーアップって、基本と言えば基本だしね!
「メリットその三。体が頑丈になります。ちょっとぶつけたくらいなら、怪我とかしません。そして、もし怪我をしても、結構すぐに治っちゃいます。妖魔に襲われた場合の生存確率が格段に上がりますね」
指を三本立てて、弾むような口調で月下さんは言った。
あたしの気持ちも弾んでくる。
怪我をしてもすぐに治っちゃうなんて。
すごい! すごいよ、魔法少女!
闇底に来たばかりの頃に出会ったお魚の妖魔。散々、追いかけまわされた挙句、食べられちゃうところだった。ていうか、月華が来なかったら、たぶん食べられてた。
でも、魔法少女になれば、あのお魚とだって戦える。
逃げ回った挙句に食べられたりしないでも、いいんだ。
妖魔に食べられるのは、絶対に嫌だ!
ぐっと握りしめた拳に力が入る。
「ちなみに、これらの能力には個人差があります」
え?
弾んだままのトーンで、落とすようなことをおっしゃる月下さんにあたしの笑顔が固まった。
「あ。そんなに心配しなくても大丈夫よ? 個人差があるのは本当だけれど、人間だった時に比べれば、確実に能力は上がるから」
ほっ。よかった。
………………よかった、のか?
「では、続いて、デメリットの説明に入りまーす」
明るい調子でそう続ける月下さんに、あたしは黙ってこくこくと頷く。
デメ……リット?
あ、デメリットだからこそ、わざと明るくしてるのかな?
そうなんだよね?
「魔法少女になることのデメリットは、月華の使い魔になってしまうことよ」
口元に笑みを刻んだまま、でも目には真剣な光を灯し、落ち着いたトーンで心持ゆっくりと月下さんは言った。
使い魔っていうと、魔女の使い魔。黒猫。喋る黒猫。
なんか、そんなイメージ。
でも、月華は確か。
「………………月華は、魔法少女という名の下僕って言っていました」
「そうね。下僕という言い方もするわね」
「え、と。つまり、どういうこと、ですか?」
「言葉の通りよ。魔法少女は、月華というご主人様に仕える下僕。月華と契約することで、力を得る代わりに、月華に隷属することになる。月華が本気で命令をしたら、魔法少女はそれに逆らえない。どんなにやりたくないことでも、言いなりになるしかないの」
月下さんの静かな眼差しを、あたしは真正面から受け止めた。
「デメリットって、それだけですか?」
月下さんは、軽く目を見開いた。
軽く開いた唇から吐息が零れる。
一度、唇を引き結んでから、月下さんは厳かに続けた。
「魔法少女になったら、たぶんだけれど、もう二度と“地上”…………元の世界には戻れないと思うわ」
「……………………」
あたしは無言で月下さんを見つめる。
たぶん、顔全体に大きなクエスチョンマークが張り付いていたんじゃないかと思う。
いや、だって。
魔法少女にならなくても、そもそも帰る方法ない…………いや、帰る方法が分からないんだっけ?
それは、わざわざデメリットとしてあげることなの?
えーと、ん?
「ごめんなさい。説明が足りなかったわね。わたしが言いたかったのは、つまり。…………もし、もしも。元の世界に帰る方法が、見つかった場合のお話よ。そうなった場合、人間のままだったら、帰れるかもしれない。けれど、魔法少女は…………おそらくは帰れない…………可能性が高いわ」
あ。
そういう、ことか。
う、うーん。でも。
「あたし、魔法少女になります」
背筋をピンと伸ばして、あたしは宣言した。