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第28話 おしゃかなとかくれんぼ

 お稲荷さんを一つ綺麗に平らげると、にゃんごろーはベトベトのお手々に汚れたお手々を見つめて、「ふむ」と首を傾げた。それから、チラとトレーの上のおしぼりに視線を投げ、もう一度「ふむ」と、さっきとは反対の方向へ首を傾げる。食べ始める前は、長老の前をして、おしぼりを使って、お手々を綺麗にした。ならば、汚れたお手々も、おしぼりでキレイに拭き取ればいいのだが、お手々についている美味しいお味がするベトベトをお絞りに上げてしまうのは、勿体ないように思える。けれど、あまりあからさまにお手々をペロペロするのは、お行儀が悪いような気がする。


 おしぼりを使うべきか、ペロペロするべきか。

 お行儀を優先するべきか、食い意地を優先するべきか。

 迷いに迷って、お手々を見つめたまま固まっていたら、ナナばーばが笑いながら声をかけてくれた。


「ふふ。嘗めてもいいですよ? お外のお店でやったら、確かにお行儀が悪いけれど。お船の和室は、お家みたいなものだと思って、多少は羽目を外しても大丈夫です。それに、ルドルなんて、大分はしたなくペロペロしてますからね。にゃんごろーのペロペロなんて、可愛いものです」

「え? ちょーろーも、やっちぇちゃの? しょ、しょれにゃら、いっか。おしえちぇくれちぇ、ありあちょー、ナニャばーば。にゃんごろー、いちゅか、おみしぇに、ちゅれちぇっちぇもらえちゃちょきは、ちゃんちょ、おぎょうぎよきゅしゅるね!」

「はい。お行儀のいい子ネコーは、いつか、ちゃんとお外の美味しいお店に連れて行ってあげますからね」

「うん! しょれりゃあ、しちゅれーしちぇ、えんりょにゃく…………」


 長老がお稲荷さんを食べ始めるところは見ていたけれど、食べ終わった後の様子を見逃していたにゃんごろーは、ナナばーばに、長老もお手々をペロペロしていたと聞いて安心した。おまけにナナばーばは、お行儀よくしていたら、お外の美味しいお店に連れて行ってくれるという約束までしてくれた。にゃんごろーのお顔に、パッと歓喜の花が咲く。

 にゃんごろーは同席しているみんなに「失礼して」と断りを入れてから、お手々の隅から隅まで丁寧に舌を這わせていく。やがて、お手々から美味しいお味がすっかりなくなると、子ネコーは唾液で濡れたお手々をおしぼりで拭った。

 お手々を完全に綺麗にし終えて、「むふう」と満足の吐息を零した子ネコーは、「さて」とばかりにトレーを見下ろし、「次はどれを食べようか」と考えを巡らせる。

 長老の好きな茶わん蒸しは、最後のお楽しみにすることに決めた。ルーミの実はデザートなので、にゃんごろーの「どれから食べようか戦略」の候補からは、外されている。

 となると、次の突撃先は――――。

 お口の周りをペロッとなめてから、にゃんごろーは綺麗になったお手々で、トレーの手前の方にあるお稲荷さんのお皿を少し脇へ避けた。それから、奥にある、お味噌汁のお椀に両方のお手々を伸ばし、空いたスペースへ引き寄せる。

 トレーの上に身を乗り出すようにして、そっとお椀の中を覗き込む。大分冷めているようだが、まだ、ほんのりと湯気が立っていた。念のために、長老のトレーを盗み見ると、長老のお椀の中身は、半分ほどに減っている。

 どうやら、飲んでも大丈夫そうだ。

 子ネコーの胸は、ワクワクと高鳴った。

 茶色いスープの中には、白い四角と、濃い色の草がプカプカしている。スープは濁っているため、底の方は見通せない。

 この中に、お魚が隠れているというのだ。

 初めてのお味を楽しむだけでなく、お魚探しまで楽しめるなんて、何て素敵なのだろうと子ネコーは感動すら覚えていた。

 お魚のことも気になるけれど、まずは一口味わってみようと、子ネコーはお椀を持ち上げて、慎重に口をつける。ゆっくりとお椀を傾げ、コクリと最初の一口を飲み下し、「ほぉ?」とお椀の中へ視線を落とした。

 初めてのお味。不思議なお味。

 でも、悪くない。

 お目目をパチパチしながら、にゃんごろーは椀をトレーに戻した。さっき、お稲荷さんのお皿をどかして作ったスペースだ。それから、フォークを握りしめる。

 フォークの先で、くるりとお椀の中をかき混ぜると、白い四角と濃い緑の草がクルクルと踊った。かき混ぜながら、時折、フォークで中身を掬い上げるようにしてみる。四角いお豆腐がフォークの上に載って来たり、海の草ワカメが絡まったりしてきたけれど、他には何も見当たらなかった。


(ふうむ? おしゃかにゃは、ろこにいりゅのきゃな?)


 子ネコーのお魚探しが始まった。

 子ネコーの真ん前に座っている、すでにお食事を終えた長老は、ニマニマしながら子ネコーを見ていた。お魚探しに夢中なにゃんごろーは、いたずらな視線には気づかない。


『お味噌汁の中には、お魚が隠れている』


 長老のその言葉に、嘘はない。嘘は言っていないけれど、そのお魚は、フォークでお椀をかき混ぜても見つからないお魚だ。お味噌のスープを飲んでみて、お口の中で見つけるお魚なのだ。今日のお味噌汁は、煮干しのお出汁。お味噌のスープの中には、小魚の美味しいお味が隠れているのだ。

 他のみんなも、子ネコーが何をしているのか気づいていたけれど、何も言わずに笑いながら見守っていた。答えを教えてあげないのは、意地悪をしているからではない。長老が、いつ種明かしをしようかと、ワクワクとタイミングを見計らっていることに気が付いていたからだ。

 子ネコーはしばらく探索を続けていたけれど、やがて手を止めて「ふぅーむ?」と小首を傾げる。にゃんごろーは、今朝飲んだトマトのスープのことを思い出していた。トマトのスープからは、鶏肉の味がしていた。なのに、スープの中に鶏肉は入っていなかった。サラダ用のチキンを茹でたお湯をスープに使ったのかな、とミルゥは言っていた。


 とうことは、つまり。

 これも、そういうことなのかもしれなかった。


 にゃんごろーは、ふむと頷いて、フォークをトレーに戻した。それから、お椀にお手々を伸ばして、もう一度お味噌スープをお口に含む。

 もしかして、スープのカサを減らす作戦だろうかと、見守っているみんなは考えたけれど、ほんの一口飲んだだけで、子ネコーはお椀をトレーに戻した。

 そして、小さなお顔に、パァッと満面の笑みを浮かべる。


「みつけちゃー! おしゃかにゃしゃん、ちゃんといちゃね! みえにゃいけろ、シュープのなかに、おしゃかにゃさんのおありら、かくれちぇりゅ!」

「なんと! よく分かったな、にゃんごろーよ。すごいぞ!」


 種明かしをする前に、子ネコーは真相に気付いてしまったようだ。まさか、にゃんごろーがひとりで謎を解明するとは思っていなかった長老は、いたずら失敗の残念さよりもびっくりの方が勝って、目を真ん丸にして子ネコーを褒めた。他の大人たちも、口々ににゃんごろーを褒め称える。みんなに褒められて、にゃんごろーは「にゃふふ」と照れ臭そうに笑った。


「れも、もりれたべてりゅおしゃかなとは、にゃんか、ちらうきらしゅる」

「うむ。森で食べているのは、長老が川で釣ってきたお魚じゃ。これは、海に住んでいる小さなお魚たちじゃ」

「煮干しって言うのよ。小さいお魚を干したもののことね。この煮干しを、一晩お水につけておくと、お水の中に美味しい味が溶け込むの。それを使って、スープを作るのよ」

「ほぅほぅ、ほほほぅ」

「朝のスープはね、お塩で味を調えているけれど、これはお味噌を使っているの。お味噌って言うのは、そうねぇ……」

「お豆から作った、茶色くてしょっぱくて美味しい調味料じゃ。お味噌で味付けをしているからお味噌汁、というのじゃ」

「ほぇえええー。しょーにゃんらー」


 子ネコーのなかなか鋭い質問に、長老とナナばーばが答えてくれた。

 美味しいものの情報は何一つ逃さないとばかりに、にゃんごろーは熱心に聞き入っている。隣の席ではカザンが、そんな子ネコーを、子ネコーにも負けない熱心さで見つめている。

 穴が開きそうなほどの視線に気づくことなく、にゃんごろーは、もう一口スープを飲んでから、具の方も味わってみることにした。


「みゅぅん。やわらきゃーい。ふしりー。おもしろーい」

「それは、お豆腐じゃ。それも、お豆から出来ておる」

「わきょくのひちょはー、おみゃめら、しゅきにゃの?」

「うむ。ご飯とお豆があれば、生きていけるらしいぞ」

「ええー? にゃんごろーには、むり……」


 お味がどうとかではなく、食感が新鮮なようで、にゃんごろーは次から次へとお豆腐を掬っては、お口の中に放り込んでいく。食事を再開した長老は、また適当なことを言って、ナナばーばに睨みつけられた。


「ルドル。何も知らない子ネコーに、あまり適当なことを教えないでちょうだい? にゃんごろー、和国の人間には、確かにご飯とお豆の調味料が欠かせないけれど、それだけで生きているわけではないのよ? それくらいに大好きというだけで、他にも美味しいものがたくさんあるのよ」

「おー。ほかにょも、しりちゃーい。たべちぇみちゃーい」

「まかせてちょうだい。たっくさん、美味しいものを食べさせてあげますからね」

「長老にもー」

「……………………」


 子ネコーの中で、故郷である和国の印象が悪くならないようにと、ナナばーばは割と必死に弁明を始めた。にゃんごろーは、「美味しいものがたくさん」というセリフにあっさりと食いついて目を輝かせる。ナナばーばは、簡単に釣られてくれた子ネコーの可愛い要望を、ドンと胸を叩いて請け負った。長老もちゃっかり便乗したが、こちらはさらっとスルーされた。


「ちゅりはー、ワッキャメー♪ んー、んぐんぐ…………。うん、あんみゃり、くしゃっぽくにゃいねぇ」

「うむ。海に生えている草じゃからな。海の味じゃ」

「うみのあり…………。んー、うん。くにくにしちぇる。こりぇも、おもしろーい。きにいっちゃー」


 長老が「ワカメは海の草」などと説明するから、にゃんごろーは雑草を齧った時のような味を想像していたようだ。青臭い味がしないことを不思議がっていると、長老がまた雑な説明をする。間違ってはいないし、その通りでもあるのだが、和国組は揃って微妙な顔つきになった。なんとなく、その説明だと、「ワカメ=和国の海の味」だと子ネコーが勘違いするのではないかと心配になったのだ。

 そうだけど、そうではないのだ。

 肝心の子ネコーはと言えば、お味よりも、やはり食感が気になるようで、お食事というよりは遊び半分で、ワカメをズルズルくにくにして、実に楽しそうだ。

 そのまま、長老の適当な説明は忘れ去ってほしいと和国組は願ったが、子ネコーの頭の中に、その情報はしっかりとインプットされていた。


 食いしん坊な子ネコーは、たとえワカメを遊びながら食べていても、食に関する情報は一片たりとも逃さないのだ。


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