みんなが揃って、いよいよ、ネコーたちが待ちに待った時間が始まろうとしていた。
ナナばーばに頼まれて、にゃんごろーは、お決まりになりつつある例のアレをやることになった。
ネコーたちは、すでにお手々の用意が出来ている。残りのみんなも、すぐにそれに続いた。
テーブルの上にお手々の花が咲いたところで、子ネコーが可愛く高らかに、幸せの始まりを宣言した。
「いったらっきみゃ!」
子ネコーの発声の後、和室の中に「いたらきみゃ!」の大合唱が響き渡り、開いていたお花が、ポム、ポム、パン、パンと閉じていく。開いたばかりのお花は蕾に戻り、トレーの上に散っていった。
開いて閉じて解けた子ネコーのお手々は、トレーの両脇に、そっと添えられていた。子ネコーは、いそいそとトレーを覗き込み、ゴクリと喉を鳴らす。お口の中に、涎が溢れて止まらないようだ。
子ネコーが一番気になっているのは、長老が好きだと言った茶わん蒸しだ。長老の好きなものだから気になる、というのもあるけれど、甘くないプリンという説明が、子ネコーの好奇心を掻き立てていた。あまり、美味しそうには聞こえないのだが、長老は嬉しそうなお顔で、さっそく蓋をパカッとしている。暖かい料理なのだろう。湯気がほんのりと立ち上がった。
だらしなく緩んでいる長老のお顔と、まだ蓋をしたままのにゃんごろーの茶わん蒸しを見比べていると、隣からカザンがアドバイスをしてくれた。
「にゃんごろーも、蓋を開けて、匂いを嗅いでみるといい。それに、まだ、中の方は少し熱いかもしれないからな。先に蓋を開けておけば、他の料理を食べている内に、中まで冷めるだろう」
「にゃ、にゃるほりょ。りゃあ、しょうしゅるね。ありあちょ、ニャニャンしゃん」
カザンにお礼を言ってから、にゃんごろーは、茶わん蒸しが入っている容器の蓋の上に、恐る恐る肉球のお手々をのせてみる。用意されてから少し時間が経っているせいか、熱くはなかった。ちょうどいい暖かさだ。魔法の力も使って、カポリと蓋を持ち上げると、ふわんといい香りが漂ってきた。
「ふわぁ」
にゃんごろーのお顔が、幸せそうに綻ぶ。
長老が言っていた通り、甘い香りではない。けれど、美味しいものの匂いがした。
これは、期待が持てそうだった。
未知なるものへの不安がなくなったところで、にゃんごろーは今度こそ本当にお昼に取り掛かる。
初めての味にトライする前に、まずはサラダからいくことにした。
「んんー。ドレシュをきて、うまれかわったおやしゃい。おいしぃいい」
サラダのドレッシングは、完全にドレスとして子ネコーの脳内にインプットされてしまったようだ。
初めて聞いた二人の内、ムラサキは、「可愛いことを言うなぁ」などと思いつつ、チラチラと横目で子ネコーの様子を鑑賞しながら自分の分のお昼を食べ進める。子ネコーを見守ることに気を取られて、まだ料理に箸をつけていなかったカザンは、「なるほど、ドレスか」と思いながら、子ネコーの後を追うように、サラダに箸をつけた。
フォークを使っているのは、ネコーたちとタニアだけで、残りの人間たちは箸を使っているのだが、もちろん、にゃんごろーは気づいていない。お箸は、和国でフォークやナイフの代わりに使われているものだ。カザンやナナばーば、ムラサキの三人は、和国出身というだけあって、隙のない箸さばきだ。じーじたちも、なかなか上手に箸を使っている。二人は、ナナばーばと付き合いが長いおかげで、箸の使い方もバッチリ仕込まれているのだ。
――――とまあ、そんなことにはお構いなしで、にゃんごろーは、ニコニコしゃくしゃくとサラダを楽しんでいる。サラダを食べ終えると、にゃんごろーはペロリとお口の周りについたドレッシングを舐めとって、次の料理に取り掛かった。茶わん蒸しとお味噌汁は、まだ少しだけ湯気が出ているので、念のために後回しにすることにした。
子ネコーが次に狙いを定めたのは、ナナばーばのお気に入り、お稲荷さんだ。小ぶりの茶色い包みが二つ載ったお皿に、キラリと視線を向ける。
にゃんごろーは、ちゃんと覚えていた。
茶色い皮の中に包まれている“ご飯”というものは、ナナばーばやカザンたち、和国の人にとっては、にゃんごろーのトマトと同じ存在だと説明されたことを、ちゃんと覚えていた。
未知なる茶わん蒸しに惑わされて、うっかり忘れたりなんて、しなかった。
忘れるなんて、とんでもない話だ。
忘れるどころか、興味津々だった。
(みゅふふ。わきょくの、トマト…………)
トマトを愛するあまり、ちょっぴり勘違いを発動させつつ、にゃんごろーはお口の中に勝手に湧き出てくる涎をゴックンした。
お手々で食べてもいいと言われたのも、にゃんごろー的にはポイントが高かった。フォークさばきには自信がある。いつかの日のために、森にいた頃から散々練習してきたからだ。それでも、やっぱりお手々の方が、気が楽だ。だから、これは素直に嬉しかった。
にゃんごろーは、すでに半分ほどを食べ終えている長老の真似をして、料理が載っているお盆の手前に置かれているおしぼりで、肉球を軽く拭った。それから、やっぱり見様見真似で、魔法だけじゃなくお爪も使って、お皿の上の茶色い塊をそっと持ち上げる。
子ネコーは、サラダの美味しさに感動しつつも、何か粗相があってはいけないと、抜かりなく長老の様子を盗み見ていたのだ。食べたことのあるサラダを一番初めに選んだのは、実を言えばこのためでもあった。初めてのお料理を食べている時は、きっとそんな余裕がなくなると、小さな頭でしっかり計算していたのだ。食いしん坊を否定している割に、意外と自分のことを分かっているのだ。
すでに涎でいっぱいの、小さなお口を大きく開けて。
子ネコーは、あむりと茶色い塊に齧り付く。
甘じょっぱいお汁が、お口の中にじゅわっと広がった。なにやら、もちもちとした少し酸味のあるものが中に入っている。これが、ご飯というものなのだろう。手元に残っているお稲荷さんを見下ろすと、薄っすら茶色く染まった白い粒粒が、たくさん詰まっている。お口をモグモグ動かす度に、皮に浸み込んでいた甘じょっぱい味が、もちもちしていて酸味のある粒に絡んでいった。
昨日食べたレモンとは、また違う酸っぱさだ。
お口の中のものを全部飲み下すと、子ネコーは、ふーむと首を傾げた。
長老を除く、みんなの視線が子ネコーに集中する。甘酸っぱい酢飯が子ネコーの口に合わなかったのではと、みんな心配そうだ。特に、和国出身の三人は、食事の手を止めて子ネコーの動向を見守っている。
みんなからの視線には気が付かず、子ネコーは首を元に戻すと、もう一口、齧りついた。ゆっくりと確かめるように口を動かし、モグモグゴックン。ゴックンの後は、汚れたお口の周りをペロペロと嘗めとる。それから、まだ半分ほど残っている手の中のお稲荷さんを見下ろして、ニコッと笑った。
「うん。おいしい!」
それからまた、意気揚々と残りのお稲荷さんに齧り付く。
人間たちから、安堵の吐息が零れ落ちた。
自覚のない食いしん坊は、どうやら食への順応力が恐ろしく高いようだった――――が。
「こりぇら、わきょくのトマトきゃぁ…………」
にゃんごろーは、「にゃふにゃふ」と笑いながら、勘違いをご披露した。
それを聞いたおとなたちは、箸やフォークの動きを一瞬だけ止めたけれど、何も言わずに、何事もなかったかのように再開する。
長老が言いたかったのは、もちろんそういうことではない。
ご飯は和国の人にとって、毎日食べても飽きることのない、にゃんごろーにとってのトマトのようなものだと言いたかったのだ。
決して、“ご飯”イコール“和国のトマト”というわけではない。ないのだが…………。
おとなたちはみんな、子ネコーの可愛い勘違いを、そっとしておくことにしたようだった。
なぜならば――――――――。
そっちの方が、面白いし、可愛いからだ。
目配せ一つ交わすことなく、おとなたちは心を一つにした。