ソランが旅先から持ち帰った像たちは、大きさも材質も様々だったけれど、一つだけ共通している点があった。
お土産の像は、どれもみんな、作り物なのに、生き生きと楽しそうなのだ。
見つめていると目が合うような気がした。目が合うだけでなく、何かを語りかけてくるようでもあった。
なのに、その像は違ったのだ。
棚の真ん中でデロンと横たわる細長いお魚の像。
どんなにジジッと見つめても、お魚とは目が合わなかった。
何処を見ているのか分からない。何処も見ていないようでもあった。
お魚の像を見つめながら、にゃんごろーは右へ左へと首を傾げた。まあるい頭の上にちょこんとのっている三角お耳も、右へ左へと揺れ動く。
お耳の動きに気を取られながらも、カザンはお魚の像につけられた名前を教えてくれた。
「それは、『死んだ魚の像』というらしい」
「しんら、おしゃかにゃの、じょー?」
教えてもらった名前を怪しい発音で繰り返しながら、にゃんごろーは首を右側へ深めに傾げた。カザンは、やはり像ではなく、お耳の先が斜め横に傾がっていく様をじっと見下ろしている。
「んんー? じょーは、つくりものりゃから、さいしょから、いきちぇにゃいんりゃにゃいの?」
「うむ? そ、そうだな。その通りだ…………」
子ネコーがクインと頭を回してカザンを仰ぎ見た。
キラキラのお目目が、カザンを見上げてくる。あまり表情は動かないものの、サムライは内心、激しく見悶えていた。見悶えつつ、焦っていた。せっかくの子ネコーからの素朴な質問に、気の利いた答えを返したかったが、可愛い衝撃への動揺も相まって、うまい返事が思い浮かばない。見かねた長老が、下から助け舟を出してくれた。
長老からは、棚の奥にある『死んだ魚の像』は見えないはずだけれど、タイトルだけでなんとなーく察したようだ。
「作り物だからこそ、普通は生きているように見せようとするもんじゃ。というか、死んでいる生き物を題材にするのが、そもそも珍しいんじゃないかの。料理にしてから、とかならともかくの」
「あー、なるほりょー。ほかのじょーは、みんないきているみたいらもんね! よるににゃったら、かってにうごきらししょー!」
お胸の毛を撫でながらの長老の説明で、にゃんごろーは『死んだ魚の像』に感じていた違和感の正体に、ようやく気が付いた。動物や昆虫をモチーフにした他の像たちは、みんな生き生きとしている。お昼寝をしている像もあるが、それだって寝息が聞こえてきそうだ。海賊帽を被った骸骨の像さえ、今にも動き出しそうだった。にゃんごろーが一等気に入った子熊の木彫りは、パンケーキを一切れ分けてくださいとお願いしたくなるほどの素晴らしい出来栄えだ。
その中でただ一つ、『死んだ魚の像』からだけは、そうした生の息吹がまるで感じられない。
作り物だから、とか。腕が悪いからタイトルで誤魔化した、というのとは違う。
それは、正しく『死んだ魚の像』なのだ。
デローンと横たわるばかりのお魚の体には、いかにも力尽きちゃいましたと言わんばかりのオーラが溢れている。見るものに「これが死んだ魚の目というヤツか」と思わせる、不思議な力が感じられるのだ。
「ソランは、この像の何が気に入ったのだろうな……」
「あー。しぇっかく、しんれるのに、あんまり、おいしそうりゃにゃいよねー」
「ん、んん。そうだな。モデルにしたのは、あまり鮮度の良い魚ではなかったようだな」
ソランの感性を疑うカザンの呟きに、にゃんごろーは「分かるー」と言わんばかりに、食いしん坊全開のお返事を披露した。死んだ魚を食材としてしか見ていない子ネコーの感想に、カザンは笑いを堪えながら話を合わせる。
長老は子ネコーの相手をサムライに任せ、床に座り込んで、子熊のパンケーキに熱い視線を注いでいた。子熊のパンケーキは、食いしん坊たちの心を捉えて離さないようだ。
「こういうのって、ほんもののおしゃかにゃをみにゃらら、つくるんらよね?」
「うむ。人にもよるのだろうが、普通はモデルとしたものを見ながら作るのだと思う」
「ふーみゅ。それりゃあ、もしきゃしたら、うまくできにゃくて、にゃんかいもつくっているうちに、おしゃかにゃら、ふるくにゃっちゃっちゃのきゃも」
「なるほど。そうかもしれないな」
「うん。ふるくにゃって、でろーんってにゃってるけりょ、でも、ちゃんとさいぎょまでつくって、えらい!」
「そう言われてみれば、その通りだな。なるほど、最後まで諦めずにやり遂げることの大切さを教えてくれているというわけか」
子ネコーの話に合わせてくれているわけではなく、サムライは本当に子ネコー説に感心しているようだ。目から零れ落ちたウロコが混ざっていそうな感嘆の声が、上から降って来る。子熊のパンケーキの心を奪われつつも、長老はふたりの会話をちゃんと聞いていた。
ゆらんゆらんと揺れていた真っ白でもふもふぁな尻尾が、ほんの一瞬だけ止まって、またゆらんゆらんを再開した。
「んー。おしゃかにゃは、ふるくなるまえにちゃんとおりょうりして、おいしくたべにゃしゃいって、おしえてくれているのきゃも」
「なるほど。見るものによって、解釈は様々、ということか。うむ、にゃんごろーはかしこいな」
「むふーん。そうれしょー? かいしゃくはー、しゃまじゃまー!」
長老はサムライに抱き上げられたまま得意そうに胸を張っている子ネコーをチラリと見上げ、またパンケーキへと視線を戻した。
子ネコーは新しい言葉を覚えたようだが、正しく意味を理解しているかどうかは定かではない。おそらく、なんとなくは合っているのだが、微妙に間違っているのだろう。
嚙み合っているような、いないような、子ネコーとサムライの会話だが、どうやら相性は悪くないようだ。
なんてことを思いながら、長老はひっそりと笑った。
にゃんごろーは、カザンに褒められたのが嬉しいようで、両方のお手々をパタパタと動かしながら笑っている。
その、はしゃいでいた子ネコーが、不意に動きを止めた…………かと思うと、キリッとしたお顔をサムライに向けた。
「ねえねえ、ニャニャンしゃん」
「うん? どうした?」
カザンが先を促すと、にゃんごろーはキリキリキリッとしたお顔のまま、厳かに大事な提案をした。
食いしん坊子ネコー的に、とてもとても大事な提案を。
「そろそろ、おちゃのおじきゃんにしても、いいんりゃないかにゃと、にゃんごろーはおもうにゃ」
「ははっ。そうだな、そうしよう」
子ネコーの可愛いおねだりに、サムライは笑顔の花を咲かせた。
それは普段、あまり表情を動かすことのないサムライの、大変貴重な笑顔だったが、もちろん子ネコーは知る由もない。
負けないくらいの満開の笑顔で、にゃんごろーは「にゃー」と喜びの万歳をした。