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第19話 東方のサムライ

 名は、カザン。

 大陸の東方にある島国、和国のサムライなのだという。

 キリリと涼やかな目元。しゃんと伸びた背筋。黒くて長い髪を、頭の上の方で一つに括っている。上下ともに、濃紺のスッキリとしたシルエットの服を着ていた。その上から、白い筋が混じった藍色の羽織を合わせている。

 カザンは、長老の孫ネコーで旅ネコーでもある、ソランのお友達だった。


 青猫号したの空き地で、ネコー御一行様をお見送りした後。

 長老のお茶にお呼ばれ宣言が終わってすぐに、カザンは空き地の周りを囲む木立から、音もなく姿を現した。いつからそこにいたのか分からないが、ネコーたちのお見送りが終わるのを待っていてくれたようだ。

 カザンは長老たちに朝の挨拶をすると、にゃんごろーに礼儀正しく自己紹介をしてくれた。つられて、にゃんごろーの背筋もピッとなる。


「おはよう、にゃんごろー。私はカザン。東にある和国という国のサムライだ」

「ニャ、ニャニャンしゃん。おはよーごにゃーましゅ。ネコーのこの、にゃんごろーれしゅ。よろしるるる、る!」

「うん。…………よろしる」


 張り切ってご挨拶をするにゃんごろーに、カザンは静かに落ち着いた口調で答えた。

 ネコーには、あまりいないタイプだった。

 にゃんごろーが、ペコリと下げた頭を上げて、にゃんごろーのお顔よりも遥かに高い所にあるカザンの顔を見上げると、カザンはほんの微かに笑みを浮かべている…………ように見えた。

 兎にも角にも、ちゃんとご挨拶が出来た、とにゃんごろーは安心した。けれど、長老が横やりを入れてきた。


「ニャニャンじゃなくて、カザンじゃぞ? 人の名前くらいは、さすがに、ちゃんと発音せんかい。もう赤ちゃんネコーじゃないんじゃぞー? 発声魔法くらい、ちゃんと使いこなさんとなー」

「にゃ!? うぐぐ。ニャ……ニャニャ、カニャンしゃ……あうう。カ、ジャン、しゃん」


 ネコーは魔法を使って、人間のように喋ることが出来る。にゃんごろーも落ち着いて魔法を使えば、まあまあそこそこに喋れるのだが、動揺したり、他のことに気を取られていると、ガタガタになるのだ。特に、美味しいものを食べている時は、目も当てられない有様だった。

 長老に煽られて、にゃんごろーは「ついさっき魔法修業宣言をしたばかりだし、ここは頑張らねば!」と張り切った。けれど、それがアダとなった。ちゃんとせねばと焦るあまり、かえって魔法が空回りしてしまったのだ。

 魔法をしくじったにゃんごろーは、さらに焦った。ちゃんと名前を呼んでもらえなかったカザンが、気を悪くしたらどうしよう、という不安が、尚更焦りを加速させたのだ。

 子ネコーが悪戦苦闘していると、サムライはフッと笑った。


「その方が呼びやすいなら、ニャニャンで構わない。いや、むしろその方が嬉しい」

「ふぇえ!? しょーなの?」

「甘やかさんで、ええぞー?」

「そういうわけではありません。その…………そうだ。常々、可愛らしいあだ名で呼ばれてみたいと思っていたのだ。だから、問題ない。よければ、長老殿も『ニャニャン』と呼んでください」

「あー、いや。わしは遠慮しておくわい。そんなん、呼ぶ方が、恥ずかしいわい」

「そうですか…………」


 子ネコーの不手際を怒ったりせず、優しく許してくれたサムライに、にゃんごろーは感激した。両方のお手々をお腹の前で広げたポーズで、キラキラとカザンを見上げる。

 カザンは、子ネコーを気遣ったわけではなく、どうやら本当にニャニャン呼びを喜んでいるようだった。サムライは、クールな表情の奥に若干の期待を込めて、長老にもニャニャン呼びを持ち掛けて、あっさりと断られた。お断りされたサムライの表情は、ほとんど動かなかったが、声の響きは、はっきりと沈んでいた。

 それを感じ取り、「これはいけない」とにゃんごろーはニャニャン呼びを宣言した。


「りゃ、りゃあ! にゃんごろーは、ニャニャンしゃんってよびゅね!」

「ああ、ありがとう」


 両方のお手々を「にゃー」と上げたにゃんごろーを、カザンは目を細めて見下ろした。サムライの視線は、持ち上げられてよく見えるようになった肉球や、子ネコーの小さなお顔やお耳を行ったり来たりしている。子ネコーに向かって伸ばしかけたカザンの手のひらが、直前で止まった。そのまま、にゃんごろーのお耳の上で、握ったり開いたりを繰り返している。


「ろーしちゃの?」

「いや、その…………」


 不思議に思ったにゃんごろーが、首を傾げながら訪ねると、カザンは動揺したように目を逸らした。「んんー?」と首を傾げたまま見上げていると、カザンは躊躇いながら、子ネコーに、こんなお願いをした。


「その、頭を撫でても、いいだろうか?」

「うん! いいよー! ん! ろーじょ!」


 子ネコーは喜んで、頭を「ん!」と差し出した。ナデナデされるのは、大好きだったからだ。

 子ネコーに三角お耳を向けられたカザンは、仄かに頬を紅潮させた。恐る恐る、子ネコーの小さくて、もふもふしている頭に手を載せる。白の混じった明るい茶色をそっと撫でてやると、子ネコーは嬉しそうに「にゃふにゃふ」笑った。

 一見クールなサムライの口元が、ゆっくりと綻んでいく。

 微笑ましく見守っていたお船の年寄り三人衆は、羨ましそうな顔をした後、次は我らの番とばかりに、しれっとちゃっかりカザンの後ろに並んだ。

 手をワキワキと動かして、来るナデナデに備えている。

 長老はひとり、苦笑を浮かべてその光景を眺めていた。


「仲良くなれそうで結構なことじゃが、あんまり仲良くなりすぎると、ソランがヤキモチを焼くかもしれんのー」


 胸元の白いモサモサを撫でながら、誰にも聞かれないようにこっそりと呟く。

 旅に出ている間に、親友と弟分ネコーが自分よりも仲良くなっていたら、孫ネコーが嫉妬するのではと心配しているわけではない。むしろ、そうなることを期待していた。

 その証拠に。


「それならそれで、面白いもんが見られそうじゃのー」


 お口の中だけで呟きを転がすと、長老はお空に向かって、ネコーの悪い顔でニャフッと笑った。


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