大陸の南西、ピルム半島の砂浜から森にかけて、青い船体の大きな船がデデンと横たわっている。
船の名前は、青猫号。
かつては、魔法の船として大空を飛び回っていた。けれど、ある時、事故により半島の森へ墜落し、海に向かって森を滑り落ちた。ギリギリで海に突っ込むのは回避できたものの、青猫号は、それきり動かなくなってしまった。
飛べなくなった青猫号は、それ以降、乗組員たちの拠点兼住居として使われている。
砂浜に横たわる青猫号の後部デッキを降りた先の空き地から、森の奥へと続く小道があった。
その小道を、ネコーたちがゾロゾロと連れ立って歩いていく。小道は、ネコーたちの住処へと繋がっているのだ。
ネコーとは、猫によく似た魔法生物のことだ。大きさは、大体人間の半分くらい。二本の足で立って歩き、魔法の力を使って人間の言葉を喋ることができる。
ネコーたちは昨夜、青猫号の人間たちが空き地に設営してくれたテントで寝泊まりし、朝ごはんをいただいて、これから住処へと帰るところだった。
昨日は、ネコーたちの住処で大変なことが起ったのだ。
森の住処で暮らす発明ネコーのルシアが、魔法を失敗して工房を爆発させてしまったのだ。小さな爆発なら、いつものことだった。けれど、昨日の爆発は一味違った。
ルシアは怪我もなく逃れることが出来たものの、工房兼倉庫兼家は異臭を放つ火柱に飲まれてしまったのだ。ネコーの長老と、助けに駆け付けた青猫号の人間たちによって、他の家や森に燃え広がる前に火を消し止めることは出来た。しかし、異臭は消えなかった。
それで、ネコーたちは青猫号へと避難してきた、というわけなのだ。
避難生活は、一夜限りのことだった。火柱が鎮圧されたのが夕方近くのことだったので、昨晩は青猫号にご厄介になったが、一晩経てば異臭も治まっているだろうし、治まっていなければ魔法で治めようとネコーたちは住処へと帰っていったのだ。全焼してしまったルシアの工房兼なんちゃらの再建を手伝ったりもしなくてはならなかった。
もふもふガヤガヤと小道を登っていくネコー御一行様。
ネコーの住処は、小道の先、森の高台にあるのだ。
その、もふもふした背中を見送るネコーが、ふたりいた。
真っ白い長毛ネコーの長老と、白が混じった明るい茶色の男の子ネコー、にゃんごろーだ。ふたりは住処に帰らずに、このまま青猫号にご厄介になる予定なのだ。
お泊り続行の表向きの理由は、消火活動を頑張った長老の骨休めだった。「長老は、もうお年だから、住処を何とかするのは若いネコーにお任せして、長老はお船でのんびりする」というのが長老の言い分だった。その間、にゃんごろーは長老と一緒に青猫号で魔法の特訓をすることになっていた。上手に魔法が使えるようになったら住処に駆け付けてみんなのお手伝いをすればいいと長老にそそのかされて、子ネコーはすっかりその気だった。
そして、子ネコーには内緒の本当の理由は、子ネコーの安全を守るためだった。工房の再建を手伝おうと張り切る子ネコーが空回りをして何かをしでかしたり、他のネコーが子ネコーに気づかずにうっかり何かをしでかして、子ネコーが怪我をしたりしないように、工房が完成するまでは青猫号で暮らしてもらおうというネコーたちみんなの気遣いだなのだ。
そうとは知らない子ネコーは、特訓を頑張って、魔法が上手な出来る子ネコーとなって、颯爽とみんなの元へ馳せ参じ、華麗に再建のお手伝いをして喝さいを浴びるのだと張り切っていた。
小道を進む背中にお手々を振り、みんなを見送っていたにゃんごろーは、木立の隙間から、みんなの姿が完全に見えなくなると同時に、クルッと長老へお顔を向けた。
キラキラのお目目で長老を見上げ、ムフンと鼻息を荒くしながら、魔法の特訓をおねだりする。
「しょれで、にゃにきゃら、はりめれびゃいいにょ? にゃんのまほーきゃら、れんしゅうしゅる?」
子ネコーの小さな体には、やる気がパンパンに満ち溢れていた。破裂寸前まで、膨れ上がっていた。その割には、若干とはいえ怪しい発声魔法だが、そこはまあ、御愛嬌というものだろう。長老は、そんな子ネコーを、目を細めながら見下ろし、白くてもふぁもふぁの胸毛を撫でながら、あっさりとこう言った。
「今日は、お休みじゃ」
「えぇーー!?」
「長老は、昨日凄く頑張ってお疲れじゃから、今日はお休みの日じゃ」
「うぐぅ…………」
体いっぱいで盛大に抗議する子ネコーを、長老はやっぱり、あっさりさっぱりとあしらう。
長老が昨日、物凄く頑張っていたことはにゃんごろーにも分かっていた。だから、そう言われてしまうと反論も出来ず、唸りながらも引き下がる。
「明日は、お船の中を案内してやる。魔法の練習は、それからじゃな」
「えー? うー……。あー…………」
長老は、魔法の練習をさらに先延ばしにしてきた。せっかくのやる気を霧散させるような提案に不満を覚えつつも、お船を案内してもらえるというのは魅力的で、煮え切らない返事をしながら、子ネコーは眉間を「むぅ」としかめる。
ネコーたちを見送るため、にゃんごろーたちと一緒に臨時避難所に訪れていたお船の年寄り三人衆は、そのやり取りを微笑ましく見守っていた。
子ネコーはどんな顔をしても可愛い、などと思いながら顔を緩ませている。
「むっふっふっ。にゃんごろーよ。すでに、修行は始まっておるのだぞ? これはのぅ、にゃんごろーのやる気が、どこまで本気かをためすためでもあるのじゃ! にゃんごろーのやる気は、ちょっと修行を先延ばしにしたからって、すぐに消えてなくなってしまう程度のものなのかー? 修行は、ちゃんと毎日続けてこそじゃぞー? そんなことでは、出来る子ネコーになるなんて、夢のまた夢じゃぞー?」
「む! わ、わかっちゃ! ちょーろーが、しょこまでゆうにゃら、ちょーろーのゆうとおりにしゅる! にゃんごろーのやるきは、かんちゃんに、にゃくにゃっちゃりしにゃいみょん!」
「よーし、よく言った! お休みとお船探検の後でも、ちゃんとやる気が残っているか、厳しくチェックするからの!」
「むん! らいりょーるら、みょん!」
半分本気、半分出まかせの長老の焚き付けに、子ネコーはあっさりとその気になった。大丈夫、問題ないと胸を張る。気合が入るあまり、発声魔法が疎かになっているが、その事には気づいていない。
長老は、それを指摘してやろうかと思ったけれど、やっぱりやめた。
長老だって、せっかくその気になっている子ネコーに、早速魔法を教えてやりたい気持ちはある。あるのだけれど、昨日はかなり頑張ったのだし、今日はお休みの日にしたかった。それに、魔法の修行もいいけれど、お船の案内をしてやって、子ネコーが驚いたり喜んだりする顔を見る日を、長老だってずっと楽しみにしていたのだ。
お休みしたり探検したりするうちに、今日のやる気がなくなってしまうことを心配したりはしていなかった。たとえ、やる気が何処かへいってしまったとしても、美味しいごはんをエサに焚きつければ、食いしん坊の子ネコーは駆け足で戻って来るに違いないからだ。
だから、長老は自分のお休みを優先させることにした。
「うむ。それじゃあ、今日の午前中なのじゃがな。実は、お茶にお呼ばれしておるのじゃ」
「およびゃれ? じーじたち?」
「うんにゃ。そこの爺どもとのお茶会は、午後の予定じゃ」
「ふぇ? じゃあ、だりぇとにゃの?」
「むっふっふっ。実はのぅ、このお船に、ソランのお友達がいるのだ」
「にぇ? ショランの!?」
話がまとまったところで聞かされた、長老とにゃんごろーのこれからの予定にびっくりして、にゃんごろーはお目目をパチクリさせた。
お茶にお呼ばれ自体は、別に驚くことではない。
お疲れ長老の骨休みなのだから、別に全然、不思議じゃない。
びっくりしたのは、お茶のお相手だ。
てっきり、一番のお友達だというお年寄り三人衆、トマじーじと、マグじーじと、ナナばーばの三人、もしくはその内の誰かだと思っていたのに。
なのに、長老のお口から出て来たのは、思いもかけない名前だった。
ソランというのは、旅に出ている長老の孫ネコーだ。
気まぐれにふらっと帰って来ては、お土産だと言って不思議な置物を置いていく。おかげで、長老のお家は、不思議で不気味でどこかユーモラスな謎の置物でいっぱいだ。微妙なお土産にブツブツ文句を言いつつも、長老はソランの置き土産を大事にしていた。ソランがやってくるのを、楽しみにしていた。
ソランが帰って来る日を、にゃんごろーもまた、心待ちにしていた。
ソランはいつも、旅であったことを面白おかしく話して聞かせてくれるのだ。にゃんごろーも、今は魔女のところで病気療養中の兄弟ネコーにゃしろーも、ソランの旅のお話が大好きだった。旅ネコーらしく、風のように軽やかなソランのことが、大好きだった。
畑ネコーになって、自分で美味しいものを育てるのもいいけれど、旅ネコーになって世界中の美味しいものを食べて回るのもいいな、と思うようになったのは、ソランの旅話がきっかけだ。にゃんごろーに新しい夢が生まれたのは、ソランに影響を受けたからなのだ。
そのソランのお友達が、このお船に住んでいる。しかも、にゃんごろーと長老を、お茶に招いてくれたのだという。
一体、どんな人なのだろう?
ソランのお友達なのだから、悪い人ではないはずだ。やっぱり、旅が好きなのだろうか?
ソランとは違う、旅の話が聞けるのだろうか?
ふたりは、どうやって仲良くなったのだろう?
にゃんごろーの知らないソランの話が聞けるかもしれない。
そう考えると、ワクワクが溢れて来て止まらなかった。
「ふにゃああああああ…………!」
子ネコーの瞳が、喜びに輝く。
魔法修行のことは、にゃんごろーの小さくて可愛い頭の中から、きれいさっぱりスッカラカンと消え失せていた。