木立の隙間の向こうに、チラチラとお船が見えていた。
船体は、空よりも濃く鮮やかな青色をしている。
青猫号という名前の船だと、ミルゥに教わった。ここからは見えないが、船体の真ん中には、白丸のワンポイントがあり、その中に青い猫が描かれているのだそうだ。
お船は、にゃんごろーの憧れの場所。まだ見ぬ美味しいものが、いっぱいある場所だ。
ミルゥの腕に抱きかかえられたにゃんごろーは、ミルゥの肩と胸に手を置いてバランスを取りながら、上半身を捻って、枝葉の影から見え隠れする青い船体を、キラキラのお目目で見つめている。
海から吹いてくる気持ちのいい風が、にゃんごろーのお耳を撫で、おひげを揺らしていく。
ミルゥは、そんなにゃんごろーを嬉しそうに、愛おしそうに見下ろしながら、草むらの道をゆっくりと下って行く。
話は、少し遡る。
ほんの少し前までのにゃんごろーは、ミルゥの腕の中で、忙しなく腕を動かしながら、森への冒険が始まるまでのことをお話ししていた。
子ネコーの話は、爆発による火柱発生からではなく、菜園でお手伝いをしていたところから始まった。爆発も火柱も衝撃的だったけれど、にゃんごろーにとってはお手伝いの歌を褒められたことも、とても印象深い出来事だったのだ。すべては、そこから始まったと言わんばかりに熱弁を振るい、トマトの美味しさについて語るにゃんごろーの話を、ミルゥは適度に相槌を挟みつつ、にこにこと聞いていた。
にゃんごろーの話が、子ネコーの森デビューまで差し掛かったところで、木立の隙間から青いお船が少しだけ見えてきた。
ミルゥは、抱えているにゃんごろーのお尻を軽く揺すり上げた。にゃんごろーは、お話を中断して、「どうしたの?」というお顔でミルゥを見上げる。ミルゥは目元を緩ませ、口の端を不自然に歪ませてから、何かに耐えるようにキュッと口を引き結び、お船が見えてきたことを、にゃんごろーに伝えた。
「うん、お話の途中なのに、ごめんね。でも、ほら、あそこ。お船が見えてきたよ。まだ、ちょっとしか見えないんだけど」
「え!? み、みりゅ!」
ミルゥの両手は、にゃんごろーを抱きかかえるという重大任務中だったため、ミルゥは視線でにゃんごろーを誘導した。にゃんごろーは、素直にミルゥの視線を追いかけた。お顔をクルリと後ろに向け、木立の向こうに青い船体を見つける。
「うわああああああ!」
子ネコーの可愛い歓声が、木立の間をすり抜けて行く。
子ネコーのお目目は、キラキラと輝いた。
まだ、お船の全身が見えたわけではないけれど、いよいよお船に近づいているのだという事実だけで興奮した。
それからは、木立の隙間から、チラチラ見え隠れするお船に釘付けだった。
海風を受けながら、お船が全貌を現す時を、今か今かと待ちわびる。
話には聞いたことがあっても、実際にお船を見るのは初めてなのだ。美味しいものを抜きにしても、未知なるものへの好奇心がムクムクと頭をもたげてくる。
子ネコーらしい好奇心でお船を見つめるにゃんごろーを、ミルゥは微笑ましく見下ろしながら、ゆっくりと足を進めていく。
ネコーの住処がピンチのはずなのに、ふたりは全く急いでいなかった。
お船からの援助の手は、すでに住処へと向かっているからだ。
お船から、長老を助けに来てくれたのは、ミルゥだけではなかったのだ。
話は、再び遡る。
にゃんごろーが、トマトの女神様こと、ミルゥに出会った、その直後まで。
ミルゥに抱っこされたにゃんごろーが、トマトを思わせる赤髪と緑の瞳に見惚れていると、後から三人の人間がやって来た。
三人は、ミルゥを見上げてポゥッとしているにゃんごろーに優しく笑いかけ、声をかけてくれた。
「君が、にゃんごろー君だね。長老さんから、話は聞いているよ」
「もしかして、長老さんに言われて、青猫号まで助けを呼びに行くところだった?」
「ここまで、ひとりでよく頑張ったね。後は、私たちに任せて! 私たちは、三人とも魔法使いなの! 長老さんを手伝って、すぐに火を消してくるからね!」
三人とも、にゃんごろーのことを知っているようだった。
長老が言った通りだった。
三人は、にゃんごろーの頑張りを労い、これから長老を助けに行くところだと言ってくれた。
にゃんごろーが呼びに行かなくても、お船の人たちは森の異変に気付き、頼まれずとも助けに来てくれたのだ。
ミルゥとの出会いにポゥッとして、ちょっぴり忘れていた使命を思い出し、にゃんごろーは「ほわぁ!」とお目目を見開き、ダバダバと涙を零した。
「あ! あああ! ありあちょー、ろらいましゅ! にゃ、にゃんごろー、ちょーろーに、ちゃのまれちぇ、おふねまれ、ちゃすけちぇっちぇ、いいにいきゅ、ちょころらっちゃの! れも、おねらいしなくちぇも、ちゃすけにきちぇ、くれちゃんら! みんにゃ、ありあちょー! ありあちょー! ちょーろーのこちょ、よろしるおねらいしましゅ!」
感謝・感激の子ネコーは、お顔をダバダバにしながら、助けに来てくれたみんなにお礼を述べた。三人は、一人ずつ順番ににゃんごろーの頭を撫でると、にゃんごろーを連れて先に青猫号へ戻るようにとミルゥに告げ、小道を駆けていった。
置いてけぼりにされるとは思っていなかったにゃんごろーは、びっくりのあまりダバダバだった涙も止まってしまった。
青猫号の人間に会ったら、「長老を助けて」とお願いして、にゃんごろーも一緒に森へ戻るつもりだったのだ。一緒に、長老を手伝うつもりだったのだ。
なのに、置いていかれてしまったのだ。
まさかの事態に呆然となった子ネコーは、森を駆けあがっていく三人の背中と、ニコニコと見下ろしてくるミルゥの顔を交互に見つめながら、ミルゥに尋ねた。
「にゃ、にゃんごろーちゃちは、いきゃにゃくちぇ、いいにょ?」
「ん? ああ、いーの、いーの。三人とも、長老さんとも仲良しな魔法使いだし、腕もいいから、任せておけば大丈夫だから。にゃんごろーは、私と一緒に、先に青猫号へ行って、みんなが戻るのを待ってようねー」
「え? れも…………」
「いいの、いいの! 大丈夫、大丈夫! 頑張ったみんなを、『お帰り。頑張ったね』ってお出迎えするのも、大事な役目だから、ね?」
「おれむきゃえも、らいりにゃ、やくめ…………。わ、わかっちゃ。ミルゥしゃんら、しょーゆーにゃら、にゃんごろー、おれむきゃえを、らんらる!」
戸惑っているにゃんごろーに、ミルゥは、お日様のような笑顔を浮かべて、自信たっぷりに言い切った。長老を心配していたにゃんごろーも、思わずつられて笑顔になってしまう。
トマトの女神様が大丈夫だと言うのだから、きっと大丈夫なのだろう。そんな気がしてきた。
それに、とにゃんごろーは思い出す。確か、長老も言っていたはずだ。あと、二人か三人、魔法の使い手がいれば、火を消し止められる、と。
そして、ネコーの住処へ、長老を助けに行ってくれたのは、ちょうど三人の魔法使いだ。しかも、腕がよく、長老とも仲良しだという。
だったら、きっと。
お任せしても大丈夫だ、とにゃんごろーは思った。
出会ったばかりの人間であるミルゥと二人で青猫号へ向かわねばならないことへの不安もなかった。
にゃんごろーは、ミルゥのことが大好きになっていた。
結局、にゃんごろーが頑張らなくても、助けの手は来たのだけれど、それでも頑張ってよかったと思った。
頑張って、ここまで来たからこそ、こんな風にミルゥと出会えた。
にゃんごろーが、初めてであった人間。
にゃんごろーを助けてくれた人。
こうして出会えたからこそ、ミルゥの赤い髪と緑の瞳が、より一層鮮やかに輝いた。
ミルゥが、にゃんごろーのトマトの女神様になったのは、こういう風に出会えたからこそ、なのだ。
こういう風に出会ったからこそ、ミルゥは――――。
きっと、これは特別な出会いなのだと、にゃんごろーは思った。
臆さずに頑張ったからこそ得られた、特別な出会い。
「よーし、じゃあ、行くよー!」
「はい!」
感動に浸っている子ネコーを抱え直してから、ミルゥは出発の合図をした。
にゃんごろーは片手を上げて、元気よくお返事をする。
高揚するあまり、体の痛みも疲れも、すっかり何処かへ吹き飛んでいた。
にゃんごろーは、ミルゥに請われるまま、子ネコー的大冒険に至る経過を話して聞かせた。
そうして、冒頭へと繋がるわけである――――――――。