辺見家への引き渡し前日、研究所として行なえることは全て終了し、明日の引き渡しを待っている。この時、不要な正男の学習ができないようにと、メインスイッチを切ってある。
車輪が付いたベッド状の台車の上に、無機質な感じの箱の中に正男が横たわっている。明日の運び出しを想定し、車に乗せやすい状態にしてあるのだ。次の日からは人間のような動きになるので、いかにもロボットという感じはこの日までになる。
正男の周りには、岡田主任をはじめ、田代やこのプロジェクトに関わった全員が集まっている。
「この感じ、人が亡くなった時のような雰囲気ね」
誰かがジョーク交じりに言った言葉だが、田代はその言葉に敏感に反応した。
「違うわ。正男はここから生まれるの。明日から辺見家の人として生きてもらうのよ」
その言葉には辺見家のことも慮った気持ちが含まれていた。
田代の力強い言葉には、プロジェクト成功への並々ならぬ思いが込められていたことと同時に、仕事の中でつながった第2の家族への思いがあったのだ。この田代の言葉がきっかけで、周りにいた研究員からは正男に対して「頑張れよ」といった言葉がたくさん聞かれた。
当日の朝、正男は辺見家に向けて発送された。その際、田代も同行した。早春の時期ということで、正男の旅立ちとして良いタイミングと誰もが思った。
配送の車は、荷台にはいろいろな機械が詰まれており、正男は起動した状態で引き渡すことになっていた。家の中に運び込んで起動させるような感じでは、いかにもモノというイメージが付くのではないかという配慮からだ。だから、正男には田代と一緒に辺見家に入ってもらい、最初から人として扱ってほしいという願いがあった。
バッテリーは十分充電してあったので、車内ではメインスイッチを入れるだけだ。だが、もしものことを考え、車内でチェックできるよう、いろいろな機材を持参していた。
スイッチを入れ、モニターを複数の研究員が確認している。
「よし、問題ない。田代さん、では引き渡しをお願いします」
「はい」
田代は満面の笑みで答えた。
輸送車の甲部のドアが開き、階段が設置された。歩行機能についても確認済みなので、階段の昇降、平地を歩くといったことには支障はない。若干のぎこちなさは残るものの、最初の頃とは雲泥の差だ。この辺りはメカ担当の開発力・技術力が光っている。
正男と田代は辺見家の玄関前に立っている。
「玄関の横のボタンを押して」
田代が言った。インターホンのボタンだ。
「はーい」
女性の声がする。田代にはそれが美恵子の声だと分かった。
ドアを開ける正男。そこには家族全員が立っていた。
「いらっしゃい。お待ちしていました」
辺見家には正男が先に入った。
「初メマシテ。僕ハ正男デス」
「こんにちは。私、里香。よろしくね、正男君」