いつの間にか吐く息が白くなっていた。
そういえばと、わたしはコートを着ていないことを思い出してコートを取りに行く。
別に本当は平気なんだけど、着ていないとあの子が心配してしまう。
コートを着て襟を正していると、丁度インターホンが鳴る。確認するまでも無い、この時間にやって来るのはあの子だけだから。月曜日から金曜日まで毎日迎えに来てくれる。
返事をしながら扉を開けると、あの子の細い眉が八の字になっているのが見えた。
「お待たせ、さーちゃん」
さーちゃんはわたしの服装を見ると、まるで電車が止まった時のように大きな息を吐く。
「よかった。また防寒具も無しで出てくるんじゃないかと思ったよ」
「さーちゃんが寒がりなだけ」
わたしは「行ってきます」と言って家を出る。そしてすぐにさーちゃんの隣に並ぶ。私よりもおでこ一つ分高い顔を見上げる。いつものように。
「私達は受験生なんだよ? 風邪なんかひいて受験に影響がでたらダメなんだから」
さーちゃんがわたしの肩に軽くぶつかってくる。受験といってもまだまだ先なのに、さーちゃんは許してくれない。
「まだ先だもん」
「先でも、今から暖かい恰好する習慣をつけないと、ちーちゃん絶対着ないじゃん」
そう言うさーちゃんの眉がまた八の字になる。
去年の冬、私が体調を崩したから心配をしてくれているのは知っている。だけどあの時は防寒具を着ていなかったからじゃなくて、雨に濡れたからなのに。そのことをさーちゃんに言っても聞いてくれない。
「私、ちーちゃんが体調崩して受験失敗して、同じ高校行けなくなるのが嫌だから」
さーちゃんはマフラーで口元を隠しながら、私にだけ聞こえる声で言う。
白い息を吐きながら学校までの道のりを歩く。周りもみんな防寒具を付けている。これからまだ寒くなるのにやりすぎだと思う。
そんな暑い景色を見ていると、わたしの体温が徐々に上がっていく。
「さーちゃん。暑い、脱いでもいい?」
「ダメ」
「でも汗をかくと、体は冷えるよ?」
「うっ……」
わたしの言葉にさーちゃんは声を詰まらせる。もうコートの下では湿度が上がっている。早く脱ぎたい……。
「でも……」
さーちゃんは立ち止まって空を見たり地面を見たり。
その隙に、暑いからコートを脱ぐ。
溜まったぬるい空気が冷たい空気に吹き飛ばされ、わたしの火照った体を冷ましてくれる。
「ちーちゃん⁉」
気づいたさーちゃんが驚いた声を上げる。周りに人がいるのも気にせず。でもすぐにさーちゃんは口を押える。
「早く行こ」
学校まではまだ半分、このペースだとギリギリになる。さーちゃんに心配されるのは嫌じゃないけど、このまま時間を使って、学校まで走るようなことになるのは嫌だ。
だからわたしは先に歩いた。だけど、いつもならすぐに隣に来てくれるさーちゃんがなかなかこない。どうしてかな、そう思ったわたしが振り返ると、さーちゃんは鞄を開いてなにかを探していた。
「さーちゃん、早く」
「ちょっと待って」
「もうっ」
仕方なくさーちゃんの下へ戻ると、タイミングよくさーちゃんが鞄から目当ての物を取り出した。
それは制汗シートだった。
さーちゃんはその制汗シートを一枚引き抜くと、わたしの首元を拭き始めた。
「自分でできるよ。それに、こんなことしてる時間無いよ」
「ごめん、でもちーちゃんが風邪をひくといけないから……」
申し訳なさそうに目を伏せるさーちゃんから制汗シートを貰い、わたしは歩きながら汗を拭いた。
すぐ隣を歩くさーちゃんが、わたしが使い終えたシートを受け取ろうとしてくれたけど、わたしは自分の制服のポケットに入れる。自分で使った物のゴミぐらい自分で捨てられる。
汗を拭き終えた体は気持ち良く、汗で群れた感じもしない。
だけど、わたしは快適に歩いているのに、さーちゃんはわたしを心配そうに見る。
「寒くない?」
「寒くない」
なにか言いたそうに見てくるさーちゃんから顔を背けて、わたしは歩く速度を早める。その隣を、さーちゃんも離れずについてくる。
そして学校が見えてくると、突然冷たくて強い風が吹いた。私の首を撫で、顔を強張らせる。
鼻が少しムズっとして、思わずくしゃみをしてしまう。
「やっぱり寒いんだよ」
「冷たい空気にびっくりしただけ」
さーちゃんは心配性だ。別に体が震えるなんてことはないのに。それに、もう間もなく学校だ。防寒具を身につけるのなら、学校まで走った方が早い。
だけどさーちゃんはそうとは思っていなかったみたいで、自分に巻いているマフラーを外すと、コートの襟を立てて首を隠すと、私にマフラーを巻いてくれた。さーちゃんは寒いはずなのに、それを我慢してわたしにマフラーを巻いてくれた。寒さのせいか、丁寧にとはいかなかったけど。
「学校まで走った方が早いよ」
「いいから、暖かくして」
そして体を震わせながら、今度はさーちゃんが歩く速度を早めた。
今度は、わたしが隣に並ぶ番だった。