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ぼくの家の前に―――が落ちていた
さわき一海
ミステリー推理・本格
2024年11月30日
公開日
3,448文字
連載中
朝起きると、ぼくの家の前に―――が落ちていた。
ぼくは―――を見なかったことにして、散歩を中止して帰宅することにした。
家に入るぼくの目の前を、犬の散歩をするおじいさんが通っていった。
犬は白くてふわふわしていて、とてもかわいかった。


第1話

 早朝に散歩に行こうとしたら、家の前に―――が落ちていた。

 正しくは、家のガレージの前に落ちていた。車を前に出したら、左右のタイヤがそれを均等に挟むような位置だ。

 ぼくは最初、それがなにかわからなくて……薄々はわかっていたけれど違うものだと思いたくて、座り込んでそれを観察した。

「…………」

 そして出た結論は、やっぱりこれは―――で間違いないというものだった。

 ぼくは―――を見なかったことにして、散歩を中止して帰宅することにした。

 時間がたったらなくなっているんじゃないか……そんなもしかしての世界に期待して。

 家に入るぼくの目の前を、犬の散歩をするおじいさんが通っていった。犬は白くてふわふわしていて、とてもかわいかった。


 帰宅してからも、ぼくの頭の中は―――でいっぱいだった。近くで見たから、とてもリアルな姿で思い出してしまう。他にやることがあるのに、全然手につかない。仕方ないので、ずっと気になっていた、―――は人の落とし物なのか人以外の落とし物なのかを考え始める。

 そこで、買い物に行くと家を出た、お母さんとお父さんの悲鳴が聞こえた。そうだ。ガレージの前に―――があっても困るのはぼくじゃない。家に戻ってきた二人は、話し合いを始めた。

「あれじゃあ車が出せないな」

「正面にまっすぐ出せばいけるんじゃない?」

「いや、車の底に当たる可能性がある」

「そうね。当たるかもしれないわね」

「それに、行きに無事に出せたとして、帰りはどうする。バックで入れる時にタイヤで踏むかもしれない」

「踏まなきゃいいじゃない」

「いいや、踏む。踏む自信がある」

 お父さんはそこだけとても力強く言い切った。

「じゃあどうするの?」

 困った顔のお母さんが意見を求めるけれど、いいアイデアが出ないのか、二人は黙ってしまった。

「……回収するしかないだろう」

「誰が?」

「…………」

「…………」

 完全に会話が止まってしまった。ぼくも同じ理由で家に帰ってきたのだから、二人の気持ちはわかる。―――を回収するためには、チリトリと―――をそこに納めるための補助具がいる。ほうきが一番に思いつくけれど、回収の時に、ほうきがほうきであるための一本一本に―――の一部がついてしまう。すると、それをどこで洗うのかという問題が生まれる。お風呂場では洗いたくない。排水口にひっかかったりくっついたり詰まったりするかもしれない。それに、無事に洗えたとしても床のタイルに―――が触れたのだと思うと、今後お風呂を使うのが気持ち悪くなってしまう。

 それに、ナニが置いていったのかわからないままに―――の回収をするには、かなりの勇気が必要だ。

「私、お気に入りのほうきとチリトリに―――をつけたくないわ。お風呂場で洗うのもイヤだし、そのまま捨てるのも気が引けるし」

 ぼくが思っていたのとほとんど同じことをお母さんは言った。

「ぼくは、ほっといたらなくなってるんじゃないかと思ったんだけど……」

 漫画雑誌を読む格好で知らんふりをしていたけれど、ぼくも話に参加することにした。お父さんがそれに食いついてくる。

「知ってたのか。どうして言わなかったんだ」

「ほっといたらなくなってるんじゃないかと思ったから」

 ぼくはさっきと同じことを言った。お父さんとお母さんが顔を見合わせる。

「ほっといたらなくなる……?」

「そんなことあるかしら」

「掃除のおばちゃんが片付けてくれるかもしれない」

 お父さんの声が明るくなった。

「今日は日曜日よ」

「そうか……」

 お父さんの声がしょんぼりとした。

「だが、とりあえずほっといてみよう。ワンチャンあるかもしれん」

 お父さんは元気よく言った。なにがワンチャンあるのかよくわからなかったけど―――はほっとかれることになった。

 二人は公共交通機関を使うと決めて買い物に出て行った。家の中には、お母さんが作ったカレーの匂いが漂っている。うちでは、カレーは切った硬いパンにかけて食べる。でも、パンがなかったから買いに行ったのだ。

 ぼくは硬いパンにカレーをかけたところを想像した。車の前に落ちていた―――を思い出した。

 頭をぷるぷると振って読みかけの漫画を読む。ドラゴンと人間の日常生活が描かれた、エッセイ漫画だった。


 数時間後、お父さんとお母さんが肩を落として帰ってきた。食料品店の袋とトイレットペーパーを二パック持っている。

「なくなってなかった……」

「ちょっと小さくなってたわね……」

「色も変わってたな……」

 小さくなって色が変わっていたということは、硬くもなっていそうだなとぼくは思った。

「これ、おみやげよ。好きでしょう」

 お母さんが食料品店の袋から透明ビニールに包まれた、串に刺さったチョコバナナを出して渡してくれた。お祭りの屋台で見つけるとテンションが上がるやつだ。

「…………ありがとう…………」

 ぼくはとても複雑な気持ちでチョコバナナを受け取った。今日に限っては、あまり嬉しくない。

 食卓に、パンにカレーをかけたものが並ぶ。ぼくたちはなんともいえない表情でそれを見つめた。外の―――を思い出さないようにしてフォークを取る。

「それで、あれはどうするの? なくなってなかったわよ」

「町内会に連絡すれば対応してくれるんじゃないか」

「今日は日曜日よ」

 聞いたことがある会話の後に、お父さんはしょんぼりしてしまった。でも、すぐに元気になった。

「よし、警察を呼ぼう」

「えー? それは大げさよ。事件じゃないでしょ?」

「いや! △△が落としたのであればワンチャンいける!」

 お父さんは口癖のワンチャンを使って宣言した後に警察に電話をした。

「いえ事件でも事故でもないんですが、家の前に―――が落ちていて……はい、―――です。…………でも、△△と犬のとドラゴンのとどう見分けるんですか。△△だったら事件ですよね?」

 お父さんは必死だった。自分で―――を回収したくないのがありありと伝わってきた。


 電話してから二十分後にうちの前にパトカーが来た。警察の人は、とてもテンションが低かった。―――かよというのを隠す気がなさそうだった。気持ちはわかる。

「ここ! ここです! これ!」

 お父さんは必死だった。

「かなり小さくなってますけど、朝はもっと新鮮だったんですよ! ボリュームもあって。朝呼べば良かったですかね?」

 お父さんは必死だった。

「ああこれは―――ですね。でも△△のか犬のかドラゴンのかはわかりませんねえ。新鮮でも小さくても関係ないですねえ」

「じゃ、じゃあ……」

「警察としては何もできませんねえ」

 そう言いながらも、警察の人は現場検証をしてくれた。―――の現場検証を。

「ほら、ここに跡があるでしょ。誰かが踏んで歩いたんですよ。気が付かなかったんですね」

 警察の人は道路をのぞきこみ、―――の跡をまじまじと見ている。

「まあほら、明日は雨が降る予定ですし、流れるんじゃないですか」

「あの、片付け業者を紹介してもらえたりはしませんか?」

「こんな―――のためにあなたが何万円も出すのはバカらしいでしょう」

「そうですが……」

 お父さんと警察の人は、それからなぜか―――についての雑談をしていた。猫ならどうとかユニコーンならどうとか。

「何もしてくれないなら、警察を呼んだ意味なかったじゃないか!」

 パトカーが帰ってから、お父さんは心からの叫びを声に出した。でも、呼ぼうと言ったのはお父さんだから仕方ない。

 その日は結局解決しなくて、ぼくたちはあきらめて寝ることにした。


 次の朝も車の前に―――はそのまま残っていた。天気予報は外れ、空は快晴だ。お父さんはため息をついた。

「仕事に行かないといけない。―――をタイヤで踏まないように気をつけるしかないな」

 ぼくとお母さんが見守る中、お父さんは車に乗りこんだ。エンジンをかけて、ゆるゆると発車させる。いつもよりも前まで出てから左に曲がったけれど、惜しくも後ろのタイヤが―――を踏んだ。―――の一部がぺちゃんこになった。

「あああーーーー」

 お母さんは両手で顔をおおって、座りこんでしまった。

「タイヤを買い替えなきゃ……道路にも―――が……」


 朝の九時になって町内会の事務所が始まると、お母さんはすぐに―――について報告をした。事務員さんは顔をしかめて掃除のおばちゃんに連絡してくれた。

 家の前でおばちゃんを待っている間に、犬を散歩させているおばあちゃんが通りすぎる。酔っぱらいのおじさんも通ったし、エサをつかんだドラゴンも空を飛んでいく。見上げていたらなにかが落ちてきて……

 ぼくの頭に直撃した。


 ――それは、とてつもない臭いを放っていた。

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