「いらっしゃいませ」
建物の中へ入ってきたトシユキを、カウンターの向こうにいたホテルマンが、にこやかな表情と丁寧な会釈で迎えた。トシユキはフロントに歩み寄り、すでに何軒ものホテルでしたのと同じように、空き室がないかを尋ねる。
「あのさ、シングルの部屋って空いてる?なんかその辺のホテル、どこもいっぱいみたいでさ」
「なるほど。他はいっぱいでも、ウチなら空きがありそうに見えたわけですね」
にこやかな表情を崩さぬまま、そう返したホテルマンに、
「いい笑顔で、すげー嫌味言うじゃん」
と、ホテル探しの疲労のせいか、トシユキは思ったことをそのまま口にした。それに対してホテルマンが、
「ありがとうございます」
と丁寧に会釈するので、
「ほめてねーよ」
とトシユキは言った。
「少々お待ちください」
くだらないやりとりのあと、ホテルマンは手元に置かれたパソコンで部屋の空き状況を調べ始めた。その様子をトシユキは、祈るような気持ちで見つめる。少ししてホテルマンは手を止め、トシユキの方を見た。
「申し訳ございません、シングルベッドの部屋はいっぱいです」
ホテルマンの回答にガッカリしつつも、トシユキは食い下がる。
「そう……じゃあダブルベッドの部屋でもいいから、空いてない?」
「そうですね……」
ホテルマンは再びパソコンを操作したが、途中で何かに気づいて手を止めた。
「あっ、ボブルヘッドの部屋なら空いてます」
ボブルヘッド?トシユキは聞き間違いかと思って尋ねる。
「ダブルベッドじゃなくて?」
「はい、ボブルヘッドの部屋です」
トシユキは不審に思い、もう一度確認する。
「ボブルヘッドって人形だよね?メジャーリーグの試合とかで配られる、頭と体がバネでつながってるやつ」
「はい」
「それの部屋があるの?」
戸惑うトシユキに、ホテルマンは迷いなく答える。
「そうです。等身大のものが一体。ですからシングルボブルヘッドのお部屋です」
「ああそう。なんかあれだね、シングルだかダブルだかよく分かんないけど」
「いえ、ダブルではなく、ボブルです」
そう丁寧に訂正するホテルマンに、
「それは分かってるんだよ。ちょっと紛らわしいと思っただけだよ」
と、トシユキは軽くイラ立った。そしてホテルマンがお礼を言いそうな雰囲気を感じると、
「ほめてないからね」
と先回りして言った。
トシユキとしてははやく宿泊を決めて部屋でくつろぎたいが、あとは値段だ。多少高くても仕方ないと思いながら、トシユキは聞いてみた。
「その部屋いくらなの?」
「三千円です」
「ああ、安いね」
思いのほか安く、トシユキは素直に喜び安堵した。しかし、ホテルマンは変なことを言いだす。
「苦手な方は通常料金でもなかなかお泊りいただけないようなので、多少お安くなっています」
「苦手ってどういうことだよ」
「夜中になると、ボブルヘッドが意志を持って動き出すんです」
トシユキは自分が寝ているところへ等身大のボブルヘッドが襲い掛かるところを想像し、ブルっと身を震わせた。
「こわっ、それすげー怖いじゃん」
「はい。ですが心霊好きの方にはご好評いただいてまして」
そりゃそうだろうけど、心霊好きでない自分としてはたまったものではない。そう思いトシユキはホテルマンに訊いた。
「そのボブルヘッド、どっかやれないの?」
するとホテルマンは驚いたように言う。
「そうすると、寝る場所がなくなってしまいますが」
「は?どういうこと?」
困惑するトシユキにホテルマンは、
「こちらのお部屋、ボブルヘッドの中で寝ていただく形になっていまして」
と説明した。
「中?そんなことできんの?」
「はい。充分な伸縮性がありますので」
「じゃあ、ベッドはないの?」
「はい。シングルボブルヘッド、ノーベッドです」
「でも、そのボブルヘッド、動くんでしょ?」
「はい。でも寝心地がとてもいいと評判なんです」
トシユキは自分が中に入っているボブルヘッドが、意志を持って動いている様子を想像しようとしたが、まったくうまくいかなかった。何もない床で寝るのは嫌だが、ボブルヘッドの中で寝るのはあまりにも不安だった。
「あー、だめだめ。やっぱりボブルヘッドはどっかやって」
「承知いたしました。ノーボブルヘッド、ノーベッドですね?」
「いやもうそれ、ただの空き部屋だろ。いいよ変ないい方しなくて」
「はい。空き部屋一室ですと、七千円になります」
突然の料金上昇に、トシユキは驚いた。
「え、値段上がるの?」
「はい。従業員の部屋が、シングルボブルヘッド、エイト寝袋になりますので」
従業員の部屋が狭くなるからということなのだろうが、それで値段が高くなることにトシユキは不満を感じた。しかし一泊七千円ならまだ許せるかと、受け入れることにする。
「まあいいけど。っていうか従業員の人、寝袋で寝てるの?」
「はい。四畳半の部屋で」
「四畳半に八人?で、さらにボブルヘッドが行くの?」
「はい。等身大の」
「しかも、夜中に意志を持って動くんでしょ?」
「はい」
トシユキは八人が寝袋でぎゅうぎゅう詰めに寝ているところで、ボブルヘッドが動いているところを想像した。しかし他人事として考えると、あまり怖くはなさそうだと思った。それよりトシユキは、寝袋のことの方が気になっていた。
「あっ、寝袋ってあるの?あるなら、俺も使いたいんだけど」
「はい、承知いたしました。二万円になります」
「え?そんなにとるの?」
大幅な料金上昇に、トシユキはまた驚いた。
「はい。従業員の部屋が、シングルボブルヘッド、セブン寝袋になりますので」
「従業員の寝袋を使わせてもらうってこと?」
「はい」
トシユキは他人が普段使っている寝袋を借りることになるのかとゲンナリしたが、寝袋がなくなる従業員のことも気にかかった。
「じゃあ、その従業員はどうなるの?」
「支配人の部屋が、ダブルベッド、シングル従業員になります」
「なんだよそれ。従業員が支配人の部屋に泊めてもらうってこと?」
「はい」
そう聞くと、支配人の部屋で寝なければならない従業員に申し訳ない気持ちもわいたが、トシユキの中で、床にそのまま寝たくないという思いの方が勝った。
「んー、まあでも泊まるならそれしかないか。よし、二万で頼む」
「承知いたしました。それでは料金のお支払いをお願いします。部屋の準備はすぐに済みますので」
そう言われたトシユキは金を払ってしばらく待ち、カギを渡された部屋へ向かった。そしてドアを開けて中を見ると、がらんとした部屋の中央に置かれた寝袋の中に、ボブルヘッドが収まっていた。
「なんだよこれ」
部屋に入りしばらくボブルヘッドを見つめていたトシユキだったが、備え付けの電話でフロントに内線をかけた。
「あーあのさ、ボブルヘッドが寝袋で寝てるんだけど」
するとホテルマンは、
「そうですか、すぐに人を向かわせます」
と請け合った。その通り、すぐにふたりの男が部屋へやってきて、ボブルヘッドを寝袋から抜き取り、台車で運んで行った。
トシユキはようやく落ち着いた気分になり、浴室へ行きシャワーを浴びた。しかし部屋に戻ると、またボブルヘッドが寝袋の中にいた。
「なんなんだよマジで」
もちろんまたフロントへ内線する。
「分かりました。人を向かわせますので」
再びふたりの男がやってきて、先ほどと同じようにボブルヘッドを運んで行った。トシユキはもう寝てしまおうと寝袋に入ると、あっというまに眠りに落ちた。しかし、夜中に目が覚めてトイレに行く。最初は寝ぼけていたものの、手を洗うころには意識がはっきりしてきて、まさかと思い寝袋を見ると、やはりボブルヘッドがその中に収まっていた。トシユキは急いでフロントに内線をかける。
「あの、ちょっと、この部屋やっぱりだめだ」
そう言うと、ホテルマンは少し考えたように時間を空け、
「では、従業員の部屋でお休みになりますか?」
と言った。トシユキはその提案を受け入れた。ふたりの男がボブルヘッドを寝袋から出したあと、そのうちのひとりが寝袋を持ち、トシユキを従業員の部屋へ案内した。そこでトシユキは、ついに安心して眠ることができた。ぎゅうぎゅう詰めだったが、むしろそれが安心感を増しているように感じた。
翌朝、トシユキが目を覚まして寝袋から出ると、周囲の様子に驚いた。
「なんだこれ……」
自分以外の寝袋には、等身大のボブルヘッドが収まっていた。トシユキは怖くなり、フロントへ急いだ。しかしフロントには誰もおらず、代わりに等身大のボブルヘッドが置かれていた。
「どういうことだよ。ここホテルじゃないのかよ」
そう言いながら外へ出て、自分が泊まっていた建物を見た。その細長い縦長のビルの上で、ボブルヘッドの頭がフルフルと揺れていた。