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第23話 伝えたい想い

 そして次の日の朝、ときことあかりは鈴木夫妻の家に向かう。曇天の中ふたりを迎える夫妻は、どちらも神妙な顔をしていた。拓郎はじっとときこを見て、花子はうつむきながら胸の前で拳を握っている。


 夫妻の前で、笑顔のときこは語りだす。


「花子さん、あなたは、拓郎さんと離婚したいという気持ちも持っていたんじゃないですかっ」


 その言葉に、花子は全身を震えさせ、その様子を見た拓郎は目を白黒させていた。そして、悲しそうな顔で花子を見る。


「花子、まさか……」

「待ってください。ときこさん、どう推理したのか、説明していただけますか? 花子さん、良いですよね」


 花子はあかりの言葉に、暗い顔でうなだれながら、ほんのわずかに頷いた。そしてときこは、笑顔のまま種明かしを続ける。あかりは、花子がただ自分のためだけに離婚を考えているとは信じていなかった。だから、落ち着いた心地でときこの言葉を待っていた。


「花子さんは、不妊の自分を壊れていると感じていたんですっ。だから、拓郎さんと一緒にいることを良くないことだと感じたはずですっ。さながら、ボロボロのハンカチを捨てたいかのように」

「不妊……? それは、つまり……」


 拓郎の心配そうな表情を見て、花子は一度目をつぶり、とても深く深呼吸する。そして、泣きそうな顔で話していった。


「拓郎さんと結婚して、私は幸せでした。その気持ちを、拓郎さんに返したかったんです」

「返報性の原理ですねっ。でも、恩返しには足りなかった。そういうことですよねっ」

「はい。私は、拓郎さんの血を引く子供を残したかった。立派な子として、育てたかったんです」


 だが、花子は不妊だった。つまり、花子の願いが叶うことはない。あかりには、花子の苦しみが痛いほどに分かった。愛する人の子供を残せない事実は、心をえぐるほどだ。自分の胸まで傷んだ気がして、あかりは胸に手を当てた。


 そんな花子を見ながら、拓郎は拳を握っている。どこか、切なさを抱えた表情で。きっと、複雑な感情が渦巻いているのだろう。あかりには、細かい気持ちまでは分からなかったが。


「そして、枕元のコンドームと精のつく料理は、ある種の防衛機制のようなものだったのでしょうっ」


 ときこは推理を続け、花子は目をつぶる。拓郎は、ただまっすぐに花子を見ていた。おそらくは、コンドームも精のつく料理も、自分以外の何かに不妊を求めたい気持ちの現れだったのだろう。


 そして、ときこは言葉にしていないことではあるが、きっと愛する夫と結ばれたいという気持ちも、心のどこかにあったのだろう。あかりはそう祈っていた。


 花子は深呼吸をした後、拓郎の方だけを見て、言葉を続けていく。声をかすれさせながら、自分の罪を吐き出すかのように。


「愛する人の子供を産めない。こんな欠陥品が、拓郎さんの妻であっていいはずがないんです」


 その言葉を聞いて、拓郎は切なそうな顔で花子に手を伸ばす。その手を見たまま、花子はただうつむきながら言葉を続けた。


「でも、別れたくない。だって、本当に素敵な人なんですから。それでも、彼から別れを切り出されたのなら、諦めようって……」


 きっと、花子にとっての妥協点だったのだろう。不妊の自分は拓郎にふさわしくない。だから、セックスレスをきっかけに別れ話になるのなら、それを受け入れようとした。あかりには、そう見えていた。


 だが、本当は苦しかったはずだ。花子の愛は、あかりにだって強く伝わるほどだったのだから。そんなふたりが、ただ別れて終わって良いはずがない。そんな思いを込めながら拓郎を見ると、拓郎は花子を抱き寄せていた。そして、ゆっくりと語り始める。


「俺は、お前が良いんだ。他の誰でもない、お前が。最初から、ちゃんと伝えていればよかったんだな……。そうすれば、お互いに悩まずに済んだのだろうに」

「あなた……」


 花子は少しだけ笑顔を浮かべて、拓郎を抱き返す。難しい問題を抱えたままではある。だが、ふたりならば、きっと乗り越えられるはずだ。抱き合う夫妻を見ながら、あかりは祈っていた。


 そして拓郎は目をさまよわせた後、花子と目を合わせて告げる。


「養子を取ろう。俺達なら、きっと大切な想いを伝えられるだろうさ」


 大切な想いというのは、ふたりの愛であって、苦難を乗り越える道筋でもあるのだろう。一度はすれ違っても、もう一度つなぎ直す絆でもあるのだろう。あかりは、素直に夫妻の未来を祝福しようと思えた。


 ときこは最後に、笑顔で言葉を告げる。


「花子さん、素敵な想いでしたよっ」

「ありがとうございます、おふたりとも。おかげで、花子と歩むべき道が見えた気がします」

「それは良かったです。私達があなたの未来の手助けになれて、嬉しいです」

「これで、一件落着ですねっ」


 ときこの言葉をきっかけに、夫妻は目を合わせて笑った。そして、穏やかな空気で話していく。


「探偵さんへの報酬分くらいには、来月のお小遣いを増やしますね」

「ありがたい。来月は晩酌も難しそうだったからね」

「それは困りますね。私のつまみを、食べてもらわないと」


 花子は拓郎の腕を組み、ときこ達から離れていく。あかりはそっと胸をなで下ろしていた。ふと窓を見ると、陽が鈴木家を包みこんでいるかのように見えた。


 それから、ときことあかりは事務所に戻って、今回の事件について振り返っていた。


「本当に良かったです。まだ完全に解決した訳じゃないでしょうけど、ふたりなら大丈夫ですよね」


 その言葉に、ときこは変わらない笑顔のまま返す。


「子供の存在って、やっぱり夫婦の幸せの基本なんですねっ」

「それだけではないはずです。もっと大事なことは、きっとあるんです」


 自分に言い聞かせるかのように、あかりは語っていた。

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