目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第21話 隠したいこと

 ということで、ふたりは夫妻のもとへ向かう。とはいえ、完全に素の姿は見られないだろう。それでも、夫妻の心に少しは触れられるはずだ。そこから別のアプローチに移れば良い。あかりはそう判断した。


 花子は部屋の外で何かを握りしめており、そこから手首に紐のようなものが絡んでいるのが見えた。ときこは無邪気な様子で、花子に問いかける。


「それ、何を握っているんですかっ。固くはなさそうですねっ」

「今は、言えません……。本当は、言うべきなのでしょうけれど。まだ、無理なんです……」


 花子はうつむきながら語る。その姿は、あかりには迷いの中にいるように見えた。本当のことを知られる未来は見えている。だが、知られたくないという心を捨てられない。きっと、正しい意味で覚悟が固まったわけではないのだ。


 やはり、少しずつ心を解きほぐしていくしかないだろう。袖の中に手の中身を隠す花子を見ながら、あかりは目の前の花子に提案する。


「しばらく、この家に滞在して構いませんか? とりあえず、今日一日」

「拓郎さんにも聞かないと分かりませんが、私は構いません。逃げていても、追いつかれるのでしょうから……」


 目を伏せる花子は、心のどこかで何かを諦めている。あかりはそう考えていた。真実が明かされる瞬間を、遠ざけたいのだろう。その先の未来が恐ろしいのか、真実そのものを隠したいのかは分からないが。


 結局は、花子は真実を明かされたくないのだ。明かされることは確実だと思っているだけで。やはり、大きな問題が隠れているのだろう。薄々感じていたことに、さらなる確信を抱いたあかりだった。


「直接伝えるのが苦しいのなら、私達が代理で伝えることもできます。そんな選択も、検討していただければと」

「そうですねっ。私は答えが知れたら満足ですからっ」

「もう、ときこさん。花子さんの気持ちも考えてください」

「いえ、私が悪いんです。とどのつまりは、私の罪なんですから……」


 花子は下を見ながら、腹のあたりに手を当てていた。おそらくは、ストレスが溜まっているのだろう。当然のことだ。隠している真実を暴こうとされているのだから。それでも、答えを黙っていたままでは拓郎が耐えられないのだろう。そうでなければ、探偵に依頼などしないのだから。


 ほんの少しでも、答えを明かす苦しみを和らげられたのなら。そう考えて、あかりは柔らかい声を意識して話す。


「拓郎さんが怒るようなら、私が説得しますから。最悪の未来が訪れないように、協力します」


 浮気でないことが前提だが。そう思いながら話すあかり。花子は、わずかに口元を緩めて返事をする。


「探偵というものは、不躾なものだと思っていました……。あなたになら、知られても良いかも知れませんね。言う勇気は、出てきませんが……」

「では、拓郎さんのところに行きましょうっ。そこからが、本番ですよっ」

「分かりました……。着いてきてください……」


 花子の先導のもと、階段を降りていくふたり。リビングに向かうと、拓郎はソファに座ってパソコンと本を並べていた。


「拓郎さん、お二方は、私達の生活を見てみたいようです……。構いませんか?」

「花子は問題ないか? なら、私は受け入れようと思う。依頼をしたのだから、当然だものな。そういうことです、お二方」

「分かりましたっ。それで、今は何をされていたんですかっ」

「仕事についての勉強ですよ。業務は持ち帰れませんが、それでも必要なことですからね」

「拓郎さんは、本当に仕事熱心で。だからこそ、私のミスをフォローしていただけたのでしょうね」

「馴れ初めは、聞かれるのは当然か。いやはや、気恥ずかしい」

「誇って良いんですよ。私は、確かに救われたんですから」


 夫妻は笑顔を交えながら話していた。セックスレスという問題がありながらも、少なくとも普通に話せる程度の関係性ではあるようだ。人前という前提はあるにしろ。あかりから見て、夫妻の笑顔は自然なものだった。おそらくは、いつもと同じ会話なのだろう。そう思えていた。


 ときこはニコニコとしながら夫妻の話を聞いている。そして、少し脈絡のない質問をする。


「拓郎さんから見て、奥さんに悩み事はありますかっ」

「強いて言うのなら、通帳を見ながらため息をついていることでしょうか。私の給料は、安くないとは思うのですが」

「それは、その……。拓郎さんの稼ぎには、不満はありませんが……。生活苦ではありませんし……」


 目をそらしながら、花子は語る。ときこは頷きながら聞いていた。おそらくは、今回の問題に関係のあることなのだろう。ときこの様子を見たあかりは、そう判断していた。


 生活苦でないのに、金銭を必要とする何か。それが、花子の悩みの根源なのだろう。今の情報から、あかりはそう推測した。


「通帳の額を見るってことは、お金と結婚すれば幸せになれたりするんでしょうかっ」

「仕事と結婚した方が、早くないですか? なんて、そこに愛はありませんよね」

「愛がなければ、食事も味気ないものですよ。少なくとも私は、花子と結婚する前は食事に魅力を感じていませんでしたから」

「せっかくですから、お二方も食べていかれますか? そろそろお昼時ですから」

「花子の料理は絶品ですよ。ぜひ食べていってください」


 そう誘われ、ときことあかりは食事の用意を待つ。そこに出てきたのは、うなぎの蒲焼きと牡蠣のアヒージョ、すり芋のソースがかかった野菜炒めだった。


「なんか、精のつく料理って感じですねっ。美味しそうですっ」


 ときこの言葉に、あかりは違和感を抱いた。セックスレスなのに、どうしてなのだろう。あるいは、拓郎が過労気味なのだろうか。そう思って拓郎の顔を見るも、血色はよく健康そのものに見える。


 ならいったい、なぜ。そう考えても、答えは分からなかった。ただ、ときこは軽く頷いていた。だから、何かの手がかりはつかめたのだろう。あかりは納得していた。


「拓郎さんには、いつまでも元気でいてほしいですからね」

「ありがとう、花子。おかげで、今も元気に働けているよ」

「もう、いつも仕事のことばかりなんですから。たまには休まないと、疲れ果ててしまいますよ?」


 今の会話の流れからすると、少なくとも表向きには疲れた拓郎を元気づけるものとして出しているのだろう。実際がどうなのかは、ときこの反応を見る限りでは怪しいが。あかりとしても、違和感があった。


 拓郎はいつも通りという顔をしている。それはつまり、日常的に精のつく料理を出しているということだ。それほどに疲れる激務なのだろうか。だが、拓郎の目にはクマもない。とはいえ、問いかけるのもはばかられる。あかりは納得できないものの、とりあえず黙っていた。


「美味しい料理に愛情がこもっているのなら、料理人は誰でも愛せるんですかねっ」

「違いますよ。特別な人への料理なら、手間も惜しくない。それこそが、愛情なんです」

「なら、妻は愛情を持ってくれていることになりますね。いつも、手の込んだ料理を作ってくれていますから」

「もちろんですよ。あなたには、何度も助けられたんですから」


 そんなやりとりをする姿を見ながら、あかりは花子の柔らかい表情を見ていた。料理を食べる拓郎を見ながら優しげな顔をするのだから、本当に愛情があるのだろう。そう信じたいと感じていた。


 昼ご飯を食べ終えると、花子はカバンの準備をしていた。おそらくは、出かけるのだろう。ときこはいつもの笑顔で、花子に問いかける。


「どこに出かけるんですかっ。買い物でしょうかっ」

「それは、その……」

「妻は買い物と病院以外では出かけませんね。エコバッグを持っていないあたり、病院ではないのでしょうか」

「なにか持病がおありなんですか? 拓郎さんも、心配ですよね」

「花子の命に関わることは、絶対にないと。ですから、本人が言いたくなるまでは待とうと考えています」


 とはいえ、花子を心配そうに見つめながら拓郎は語る。その言葉を聞いて、花子はうつむく。つまり、病気が何らかの悩みのきっかけになっている。察するに、セックスレスの原因である可能性も高い。


 花子はそそくさと動き、そのままドアを開けて出ていく。花子の袖口から、お守りのようなものが落ち、手首に紐が引っかかる。そして花子は、お守りらしきものを隠しながら去っていった。少しだけ、手を震わせながら。


「お守りですかっ。隠すということは、なにか隠したい願いでもあるのでしょうかっ」

「文字までは見えませんでしたね。なんと書かれているかが分かれば、答えには近づけたのでしょうが」

「妻は、とても大事そうにしていますね。私にも、見せてくれたことはないのですが」


 やはり、お守りは重要な手がかりなのだろう。そこに書かれている内容が、悩みの根源であるとあかりは推測していた。


「お守りを買えば願いが叶うのなら、私は相手の心を知りたいですっ」

「誰にでも、隠したい気持ちはあるんですよ」


 花子の隠したい気持ちを解き明かす罪悪感も、あかりには確かにあった。ただ、もう立ち止まるには遅いのだろう。拓郎が探偵を雇ったという事実は、花子も知っている。だから、前に進むしかない。あかりは覚悟を決めて拳を握る。


 どの神社に通っているのか、あるいはどの病院に通っているのか。はたまたその両方を知ることができれば、答えにたどり着けるはずだ。そう信じて、あかりはときこの方を向いた。


「後を付けるのは悪い気もしますが、どの病院かが分かれば答えが分かるとも思います。どうしましょうか」

「決まっていますよっ。後を追いかけましょうっ。気づかれないように、こっそりと」

「拓郎さん、構いませんか?」

「必要なことだというのなら、どうぞ。ただ、妻を傷つけずに済む形を目指していただけると、ありがたいですね。私の言えたことではないでしょうが」


 探偵に依頼している時点で、もっと言えば探偵の存在を知られた時点で、花子は傷ついているだろうから。そんな隠れた言葉が、あかりには聞こえたような気がした。いずれにせよ、夫妻にはお互いが傷つく覚悟がなければ、そしてあかり達には夫妻を傷つける覚悟が必要なのだろう。そう考えた。


 なにせ、今の段階で、夫婦の関係には影が生じているのだから。謎をあいまいにしたままでは、いずれ破綻するだろう。先延ばしにするのもひとつの選択だとはいえ、もうサイコロは投げられてしまった。


 だからあかりは、真実を追求すると決めた。どのみち、答えを隠したままでは、夫妻はいずれ離婚する。そのような予感があったからだ。夫婦が円満に戻るためには、劇薬が必要だろう。それが、あかりの判断だった。


 あかりがときこと目を合わせると、元気いっぱいに頷かれた。そのまま、ときこは歩いていく。最後に一言だけ、拓郎に問いかけながら。


「あなた達は、縁近神社に通っていますかっ」

「はい。どうして、それを?」

「ありがとうございますっ。大事な情報を得られましたっ」

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?