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第20話 ふたつの心の間で

 それから、ときことあかりは、拓郎に連れられて彼の家へと向かっていた。道中、軽く世間話を兼ねた情報収集をしながら。


「奥さんから告白されたとうかがいましたが、どこで出会われたのでしょうか」

「職場でですね。今の妻は専業主婦なのですが、当時は私の部下だったんですよ」

「なるほどっ。当時から、狙っていたんですかっ」


 ときこの言葉に、あかりはため息をつきたくなった。拓郎に対して失礼でもあるし、何より以前の言葉と矛盾していたからだ。思わず拓郎の顔を見ると、また苦笑いしていた。


 あかりはフォローが必要だと考え、ときこの言葉に反論する。


「奥さんから告白されたという話、聞いていましたか?」

「いえ、告白されるように誘導する可能性だってありますからっ。ちゃんと、確認しないとっ」

「探偵さんらしい考え方でいらっしゃる。あらゆる可能性を想定する姿は、仕事として立派な姿勢ですよ」


 拓郎は穏やかな笑顔で納得している様子で、あかりはほっと一息ついた。ときこは情報の正確さを重視する都合上、率直な物言いが多い。それがトラブルを起こす可能性は、常につきまとっている。あかりはあらためて実感していた。


 とはいえ、ズレたときこだからこそ、あかりではたどり着けない答えを出しているのも事実。だからこそ、あかりはときこを強く責めることができなかった。


 そのまましばらく歩き、整った様子の一軒家に到着する。そして、拓郎に案内されて部屋の中に入っていく。鍵の音と同時にドタドタとした音が聞こえ、拓郎が扉を開くと、妙齢の女が出迎えた。その女は、ときことあかりを見て目を見開く。


「あなた達は、探偵の……。そうですか、ついに来てしまったんですね……」


 妻の様子に、あかりは首を傾げそうになった。今の態度からするに、セックスレスで夫との関係に亀裂が入ることは理解していた様子。にもかかわらず、夫と性交渉をしていない。


 何より大きい違和感は、妻がうつむきながらも、どこか覚悟を決めた顔をしているように見えたことだ。あるいは、離婚すら想定しているのかもしれない。あかりにはそう見えていた。


「すまないな、花子。だが、私達の関係には必要なことだと思う。何も無いと信じているが……。いや、探偵に依頼した時点で嘘になるな……」

「いえ、当然のことです。私が、悪いんですから。どうぞ、おふたりとも。思うように、調べてください」


 拓郎は、今でも悩んでいるのだろう。そして花子も、きっと悩みを抱えている。それは、ふたりの様子をほんの少し見ただけのあかりにも理解できた。


 ならば、謎を解くことでふたりの悩みを解決できたら。あかりはそう感じていた。ただし、ふたりの関係がこじれる可能性だってある。そもそも、拓郎の言った通りに、探偵を雇うということは疑っているということだからだ。それを花子も知った。


 現状は、かなり苦しいのかもしれない。あかりは拳を強く握った。せめて少しでも、ふたりの関係がいい方向に進むようにと願いながら。


 ときこは空気を理解していないかのような笑顔で、話を進める。


「では、まずは花子さんに話を聞かせてもらいましょうっ。いいですかっ」

「もちろんです。ここまで来て、逃げることなんてできません」


 やはり、花子は何かしらの覚悟を決めている様子だ。それが離婚ではないことを、あかりは信じたかった。拓郎は妻を愛している。わずかな会話からでも、察することができたからだ。


 とはいえ、現状を理解しないことには何も始まらない。ときこの言葉に合わせて、あかりは花子をうながす。


「それでは、部屋に連れて行ってもらっても構いませんか? 拓郎さんは、別の部屋で待っていていただけると」

「私の前では言えないことも、おふたりの前でなら言えるかもしれません。期待、というと語弊がありますが、成果をお待ちしています」

「また後で会いましょうね、あなた」


 少しだけ優しさを感じさせる表情で、花子は語っていた。だから、花子にも夫への情がある。あかりはそう感じていた。


 ならば、花子の情を引き出す手伝いがしたい。そう考えて、あかりは花子に着いていく。階段を登って、その先にある扉に向かう。


 そして案内された部屋に入ると、そこにはシングルサイズのベッドがひとつだけ。そして、全体的に殺風景な光景が広がっていた。


 シングルサイズのベッドがひとつ。そして枕もひとつ。つまり、鈴木夫妻は別の部屋で寝ているということになる。セックスレスという問題に、さらなる色がついたようにあかりは感じた。


 もちろん、夫婦でも別の部屋で過ごすこともある。ただ、そんな生活形態というより、ふたりの心の距離のように思えていた。あかりはほんの一瞬だけ、目を深くつぶった。


「では、まずは馴れ初めを聞かせてくださいっ」


 相変わらずの明るい表情で告げるときこに、あかりは少しの安心を覚えていた。ときこだけは、謎解きに向かって進み続ける。良くも悪くも純粋な姿勢に、今のあかりは背中を押されたように噛んじていた。


 花子はときこの質問に、少し遠くを見ながら回想し、数秒ほど経ってから話し始める。


「もともと、会社の上司と部下だったんです。その時は、ただ普通に接していたんですけど。あるきっかけから、私がアプローチを始めたんです」


 柔らかい表情で花子は語っていた。だから、大切な思い出なのだろう。やはり、鈴木夫妻の間には絆があるはず。それを良い方向に導けたら。あかりにとっての目標がハッキリした瞬間だった。


 そのためにも、花子の口を軽くする必要がある。あかりは気を使いながら相槌を打つ。


「よほど良いきっかけだったんですね。花子さん、いま幸せそうな顔をしていますよ」

「そうですね……。私は、発注で大きなミスをしてしまって。桁がひとつ多かったんです。でも、あの人は多く来た製品を逆に広告に利用してくれて。私は救われたんです」


 心に刻むかのように、手を胸に当てて花子は語っていた。その姿から、確かな愛情をあかりは感じた。だから、拓郎が言うように料理に手が込んでいるし、普段は距離が近いのだろう。


 ならば、余計にセックスレスの理由が気にかかる。間違いなく、花子は拓郎を愛している。それなのに性行為を拒否するだけの理由は、どこにあるのだろうか。あかりには、何も分からなかった。


「失態をフォローすれば好きになるのなら、優秀な人はモテモテですねっ」

「否定はしないですけど、誰もが即物的な訳ではありませんよ。そこに、特別な何かがあるんです」

「そうですね……。私は、あの人の優しさに救われたんです。だから、結婚したいと思いました」


 あかりの言葉に、花子は迷わず同意する。つまり、特別な感情を抱えていることが事実なのだ。鈴木夫婦には、愛だけでは越えられない壁があるのではないか。あかりはそんな疑いを抱いた。


 ときこは相変わらずの笑顔で頷き、話を続ける。


「では、この部屋を調べてもいいですかっ。そこに手がかりがあるかもしれませんからっ」

「分かりました。では、外で待っていますね。目の前では、調べづらいでしょうから」


 何かを握りながら、背を向けて足早に去っていく花子の態度は、あかりには答えにたどり着いてほしいようにも見えた。なにせ、探偵が調べやすいように自室から出ていくのだ。それに、花子の目はときこをじっと見ていた。何かを託すかのようだと、あかりは感じた。


 おそらくは、花子も悩んでいるのだろう。その結果として、セックスレスという形になった。ならば、答えそのものは、拓郎にとって悪いものではないのかもしれない。花子にとってはどうであれ。


 いずれにせよ、自分たちにできることは謎を解き明かすことだけ。早速ベッドをまさぐるときこを、あかりはまっすぐに見ていた。


 すると、ときこは何かを枕元から取り出した。ビニール袋に入ったなにか。あかりも覗くと、そこには箱が開封されたコンドームが入っていた。


 どうして、枕元に。その疑問にある仮説が浮かんだ段階で、あかりは震えていた。


「セックスレスなのに、枕元にコンドーム……。まさか、浮気? そうだとするのなら、許せませんよ」


 先程まで愛を語っていながら、堂々と男を連れ込んでいたのか。そんな疑いが、あかりの頭からは消えなかった。


 もし本当に浮気をしているというのなら、この謎は解き明かすべきではないのではないか。あるいは、逆に花子の罪を白日のもとにさらすべきではないのか。矛盾した考えを持つあかりを前に、ときこは変わらない笑顔で反応する。


「まだ、決まったわけじゃありませんっ。もう少し、情報を集めてみましょうっ」


 ときこの言葉を受け、あかりは深呼吸をした。いくらなんでも、邪推がすぎる。本当に事実だとしても、まだ証拠と言える段階ではない。そう自省していた。


 あかりは情に厚いが、だからこそ感情で動きやすい。そんな時に、事実だけを語るときこがブレーキ役になったこともある。今回のように。やはり、あかりにもときこが必要なのだ。あかりは実感していた。


「そうですね。決めつけは良くありませんでした。ありがとうございます、ときこさん」

「お礼を言われるようなこと、何かありましたっけ?」


 笑顔で首を傾げるときこの姿に、あかりは心にあった炎が消えゆくのを感じた。そして、あらためて冷静に真実を追求すると決意した。


「それにしても、コンドームですか。セックスレスの状況だと、何に使っているんでしょうか」

「水を入れて遊んでいるのかもしれませんよっ」


 ときこの言葉は突拍子もなかったが、あかりは重要な言葉だと思っていた。謎解きそのものには関係ないだろうが、コンドームの存在が即座に浮気に繋がらないという証明にも思えたからだ。可能性は低いが、避妊以外の用途に使っている可能性も想定できる。そう考えられる事実そのものが、あかりにとっては大事なことだった。


「まあ、普通は避妊でしょうけど。でも、他の可能性もありますよね」

「子供が欲しくないのに、なぜセックスするのでしょうっ。得るものなんて、思いつきませんけどっ」

「そんなに単純ではありませんよ……。愛を確かめ合うことも、必要なはずです」


 セックスを愛を確かめ合うための行動だと考えると、今の鈴木夫妻には確かめ合う機会が欠けている。もちろん、他の部分でも愛を感じることはできる。だが事実として、拓郎は苦しんでいた。謎を解かないことには、ふたりは前に進めないのだろう。


 だからあかりは、もう少し鈴木家の関係について知りたいと考えていた。だから、後で詳しくふたりの生活に触れる必要があるだろう。そのために、しばらくは鈴木家に滞在すると決意していた。


 そんなあかりを気にした様子もなく、ときこは部屋を漁っていく。


「写真立てもありますねっ。夫婦で写っているみたいですよっ」


 ときこが見つけた写真には、ともにスーツを着たふたりの姿があった。おそらくは、同じ会社で働いていた時のものだろう。写真立ては、相当手入れされているように見える。つまり、夫婦関係を大事にしているはずだ。


 やはり、花子が浮気をしているとは思いづらい。枕元のコンドームにも、別の理由があるのだろう。そう信じたいだけかもしれないが。ただ、あかりは少し前向きになれていた。


「ご夫妻は、やはり仲が良いんですね。この写真立てを見ただけで、分かります」

「手入れされてるって話なら、単に綺麗好きなだけの可能性もありますよっ。部屋全体が、ちゃんと掃除されていますっ」


 窓のサッシに指をこすりつけて、ときこは語る。ときこの指には、ホコリひとつついていない。確かに、綺麗好きと言われても納得できる。だが、あかりは特別な情があると信じていた。


 やはり、ふたりがどんな会話をするのか、目の前で見る必要があるだろう。そう考えて、あかりはときこに提案する。


「ときこさん、しばらく、おふたりの生活を見守ってみませんか?」

「良いですよっ。よく観察すれば、答えに近づくかもしれませんからっ」

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