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第18話 ほんの少しだけ未来へと

 ときこが答えにたどり着いた次の日、まずふたりは直人に報告することにしていた。そしてコンビニに向かい、バックヤードに通されて直人と話をする。凍えるような寒さを感じながら。


「直人さん、依頼された件について、答えが分かりました」

「そうですか。少し怖いような気もしますね。美宇さんも、呼んできます。きっと、必要なことでしょうから」


 そう言って、直人は少し離れ、美宇を連れてくる。美宇は不思議そうに三人を見ていた。


「てんちょー、店の改善案って、私も聞く必要ありますー?」

「まずは、美宇さんに謝らないといけませんね。本当は、こちらの方々を呼んだ理由は違うのです」

「じゃあ、なんで探偵さんをー? ……っ! そうか、私……!」


 美宇はどこか不安そうに直人を見ていた。おそらくは、直人が探偵を呼んだ理由が気になっているのだろう。美宇の何を調べていないのかまでは、たどり着けていない様子に見えたが。あかりは、一度美宇を傷つける覚悟を決めて、話を進める。


「ときこさん、まずは結論から話していただけますか?」

「分かりましたっ。美宇さん、あなたがマズいジュースを買うのは、亡くなった恋人に抱えている怒りを発散するためですねっ」


 美宇も直人も、目を見開いていた。察するに、美宇は正解を当てられた驚きで、直人は美宇の事情が重たいものだったからなのだろう。あかりから見て、ほぼ確実な答えだった。


 直人は美宇の方を何度か見て、そして目をさまよわせている。なんと言葉をかけていいのか分からないのだろう。だが、この答えこそが、美宇にとっても直人にとっても、良い未来を迎えるためのものだ。明かりは心から信じていた。


 美宇は目を伏せながら、暗い声でときこに問いかけていく。


「どうして、分かったんですか? 誰にも、気づかれなかったのに……」

「簡単ですよっ。誰も好きにならないジュースを供えるからには、ただ素直に悼むだけの気持ちではあり得ないですからっ。美宇さんは、生きている自分の気持ちをぶつけたかったんですっ」


 言われてみれば、その通りだ。あかりはときこの言葉に、強い納得を覚えていた。きっと、美宇は強く傷ついていたのだろう。なにせ、急に恋人を失ったのだから。


 あかりには推測しかできないが、とても苦しかったのだろう。つらかったのだろう。それを証明するかのように、美宇は歯を食いしばっているように見えた。ときこはさらに、言葉を続ける。


「そして、マズいジュースのことを感じるたびに、美宇さんも恋人のことを思い出していたんですねっ」


 美宇はじっと目を伏せた。そのまま数十秒ほど黙り込む。それから、美宇はうつむいたままで、ぽつりぽつりと言葉をこぼす。


「あの人が死んだ日は、デートの約束をしていたんだ……。それで、今日は遅刻したなって怒ってて。そうしたら、あの人のお母さんから電話がかかってきて」


 かすれた声で、ゆっくりと語っていく。おそらくは、思い出すだけでも傷ついているのだろう。だが、ここで本音をすべて吐き出すことができれば、少しは心が軽くなるはずだ。そう信じて、あかりはただ頷きながら聞いていた。


 ときこの方を見ると、相変わらずの笑顔だ。だが、あかりは注意しようとも思わなかった。きっと、その言葉を発してしまえば、美宇が気持ちを閉じ込めてしまうだろうから。


 直人は、痛ましそうな顔で美宇のことを見ていた。


「死んだなんて言われても、冗談だって思ってた。あの人がジュースを買ってきた時みたいに、からかってるだけなんだって」


 美宇の瞳は潤んでいた。それは泣きたくもなるだろう。あかりには、美宇の苦しみが手に取るように分かった。大事な人が死んだと急に告げられて、心が追いつくはずがないのだ。だから、髪の色を変えてからの3ヶ月間も、ずっと心の怪我が癒えなかったのだろう。


 そのまま美宇は、だんだん声を大きくしていく。


「ふざけてるって言ってくれたら、どれだけ良かったか。デートの約束のせいだって責められても、納得したのに。あの人のお母さんは、私を慰めるだけだった」


 声は大きいのに、平坦なまま。それこそが、美宇の感情を示していたのだろう。今でも、心は凍りついたままなのだ。だからこそ、美宇が抱えている怒りを爆発させることを、あかりは期待していた。その熱が、心を溶かすように。


 あかりの願いに応えるかのように、美宇は語気を強くしていった。まるで呪詛を吐き出すかのような声で叫びだす。


「楽しい思い出になるはずだったのに、あのジュースみたいに苦い思い出になった! だから、その恨みを思い知ってもらいたかっただけ!」


 髪を振り乱しながら、美宇は感情を叩きつけていた。あかりは胸を抑えながら美宇の言葉を聞いていた。ふと視線をずらすと、直人は拳を強く握りしめていた。


 そんな姿に気づいた様子もなく、美宇は言葉を重ねる。


「私が味わった苦い感情を、あのジュースで味わってもらいたかっただけ!」


 その言葉と同時に、美宇は息を荒らげていた。おそらくは、思い出すたびに美宇だって傷ついていたのだろう。それでも捨てきれない想いを、どうにか吐き出そうとしたのだろう。あかりはそう推測した。


 しばらくして、美宇は再び言葉を紡ぐ。先ほどとは違い、わずかにこぼすように。


「……いや、違うよ。本当は分かってたんだ。彼は何も悪くないって。私が、納得できなかっただけなんだ。どうしてなの……。ずっと、幸せで居られるはずだったのに!」


 顔を手で覆いながら、最後に叫んでいた。それから、しゃくり声だけが部屋の中に響く。誰もが無言のまましばらくの時が過ぎ、直人は一度下を見て、ゆっくりと美宇に向き合った。


「美宇さん、今まで気づけなかった私が言うのも何だが、美宇さんの想いはきっと届いているよ。抱える怒りだって、本当に大切に思っていた証だってことは」


 亡くなった恋人にだろうか。あるいは、その家族にだろうか。どちらでも良い。あかりはそう感じていた。なぜなら、美宇は直人の目をじっと見て、涙を拭いながら頷いていたからだ。


 直人の言葉は、きっと美宇に近しい相手だからこそ言えるものなのだろう。出会ったばかりのあかりには、その詳細は分からないが。だが、きっと美宇には伝わった。だから、細かいことなんて気にする必要はない。それが、あかりにとっての正しい答えだった。


 美宇は赤い目を腫らしながらも、それでも憑き物が落ちたかのような顔をしていた。おそらくは、思いの丈をすべて吐き出したことで、気持ちが整理できたのだろう。その手伝いをできたという事実が、あかりには誇らしかった。


 ときこは笑顔でふたりを見ながら、そっと言葉を残す。


「美宇さん、素敵な思いでしたよっ」


 そんな言葉を聞いて、美宇は少し笑った。


「怒ってるのに素敵って、意味が分からないですー。でも、褒めてもらってありがとうございますー」

「いえ、あなたが亡くなった恋人を大切にしていたのは、昨日出会ったばかりの私にも分かります。そんなあなたが好きになる人なんですから、きっと素敵な人なんでしょうね」


 その言葉が、美宇の心を軽くできたなら。あかりはそう祈っていた。直人すら、恋人が死んだことに気づいていなかったのだ。だから、美宇は誰にも気持ちを語ることなどできなかったのだろうから。


 少しでも恋人への気持ちを言葉に残すことが、今の美宇に必要なことだと、あかりは信じていた。


 それを証明するかのように、美宇はほんの少しだけ笑顔を見せながら、思い出を語っていく。


「ずっと買ってたジュースも、ふたりで飲んだものだったんですよー。あの人が言い出して、でも私が先に一口飲んで。それでも、残りは全部飲んでくれたんです」

「とっても、良い思い出だったんですね。今の美宇さん、笑っていますよ」


 その言葉に、美宇は自分の口元に手を当てる。そして、一度目をつぶった。そして目を開き、ゆっくりと話を続ける。


「そっか……。つらいことばかりだと思ってましたけど、やっぱり楽しかったんですね。それを知れただけでも、良かったです」

「私も、あなたが笑顔になれて嬉しいです。直人さんも、そうですよね?」


 あかりの言葉に、直人は迷わず頷く。そして美宇は直人の方を見て笑った。


「うん、全部叫んだら、ちょっとだけスッキリしたかもですー。てんちょーのおかげですねー」

「私は何もしていないさ。みんな、探偵さんの成果だよ」

「いえ、直人さんの想いがあったからこそ、今の結果につながったんだと思います」

「謎を解いたのは、私ですけどねっ」

「もう、ときこさん! 空気を読んでくださいよ!」


 そんな流れに、美宇も直人も笑顔を見せていた。ときこは狙っていないだろうが、結果的には良い流れになった。あかりは、ときこを褒めたい気分だった。


 美宇と直人は向き合い、美宇は落ち着いた様子で言葉を続ける。


「今はまだ、新しい恋なんて考えられないですけど……。でもいつか、絶対に幸せになります。あの人は、私の笑顔が好きって言ってくれてたから」

「そうでしょうね。美宇さんほどの人が、好きになった方なんですから。きっと、美宇さんの幸せを祈っていますよ」


 直人の言葉に、美宇はまっすぐに頷いた。これで、ひとまずは解決だろう。あかりは胸をなでおろしていた。ときこは相変わらずの笑顔のままだった。


「興味本位で変なことを聞いて悪かったよ。今月の給料には、依頼料程度を上乗せしておこう」


 直人の言葉は、きっと美宇にお金を受け取らせるためのものなのだろう。なにせ、依頼の時には心配だったからだと言っていたのだから。おそらくは、美宇を慰めるためのようなことを言えば、美宇は受け取らないのだろう。直人の言葉から、あかりはそう推測していた。


 対する美宇は、涙の跡を残しながらも、きっと心からだろう笑顔を見せた。


「なら、新作のワンピースを何着か買っちゃいますね。あの人に、久しぶりのおしゃれを見てもらおうかな」

「それはいい。きっと、目を離せなくなるはずさ」

「ついでに髪も切っちゃいますかー。見たら忘れられないくらい、綺麗になっちゃいましょー」


 晴れやかな顔をした美宇を見て、あかりは確かな満足感を覚えていた。これからは、きっと美宇は前を見て進めるだろう。暗い感情が落ちることもあるかもしれないが、直人のような身近な人間が支えてくれるはずだ。


 つまり、あかり達の仕事はこれで終わりだ。そう考え、ときこを連れ立って去っていった。朝陽の暖かさを感じながら。


 そして、事務所でふたりは今回の依頼を振り返っていた。


「良かったですね、美宇さんが心の整理をできて。これからは、きっと引きずることは少ないでしょう」

「少ない、なんですねっ。でも、依頼が解決できたのは良かったですっ」

「素敵な想いでしたというセリフは、ちょっとどうかと思いましたけど。でも、今回の依頼があったから、美宇さんは一歩進めたんでしょうから」


 そんなあかりに頷いて、ときこは興味深そうな笑顔でこぼす。


「それにしても、亡くなった人を思い続けるような気持ちって、どんなものなんでしょうね」

「きっと、自分を削り続けるようなものでしょうね。私は、経験したくないものです」


 そして、ときこは経験することのないことかもしれない。あかりは邪推と知っていても、その考えを抑えることができなかった。

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