ときこが答えにたどり着いた次の日、まずふたりは直人に報告することにしていた。そしてコンビニに向かい、バックヤードに通されて直人と話をする。凍えるような寒さを感じながら。
「直人さん、依頼された件について、答えが分かりました」
「そうですか。少し怖いような気もしますね。美宇さんも、呼んできます。きっと、必要なことでしょうから」
そう言って、直人は少し離れ、美宇を連れてくる。美宇は不思議そうに三人を見ていた。
「てんちょー、店の改善案って、私も聞く必要ありますー?」
「まずは、美宇さんに謝らないといけませんね。本当は、こちらの方々を呼んだ理由は違うのです」
「じゃあ、なんで探偵さんをー? ……っ! そうか、私……!」
美宇はどこか不安そうに直人を見ていた。おそらくは、直人が探偵を呼んだ理由が気になっているのだろう。美宇の何を調べていないのかまでは、たどり着けていない様子に見えたが。あかりは、一度美宇を傷つける覚悟を決めて、話を進める。
「ときこさん、まずは結論から話していただけますか?」
「分かりましたっ。美宇さん、あなたがマズいジュースを買うのは、亡くなった恋人に抱えている怒りを発散するためですねっ」
美宇も直人も、目を見開いていた。察するに、美宇は正解を当てられた驚きで、直人は美宇の事情が重たいものだったからなのだろう。あかりから見て、ほぼ確実な答えだった。
直人は美宇の方を何度か見て、そして目をさまよわせている。なんと言葉をかけていいのか分からないのだろう。だが、この答えこそが、美宇にとっても直人にとっても、良い未来を迎えるためのものだ。明かりは心から信じていた。
美宇は目を伏せながら、暗い声でときこに問いかけていく。
「どうして、分かったんですか? 誰にも、気づかれなかったのに……」
「簡単ですよっ。誰も好きにならないジュースを供えるからには、ただ素直に悼むだけの気持ちではあり得ないですからっ。美宇さんは、生きている自分の気持ちをぶつけたかったんですっ」
言われてみれば、その通りだ。あかりはときこの言葉に、強い納得を覚えていた。きっと、美宇は強く傷ついていたのだろう。なにせ、急に恋人を失ったのだから。
あかりには推測しかできないが、とても苦しかったのだろう。つらかったのだろう。それを証明するかのように、美宇は歯を食いしばっているように見えた。ときこはさらに、言葉を続ける。
「そして、マズいジュースのことを感じるたびに、美宇さんも恋人のことを思い出していたんですねっ」
美宇はじっと目を伏せた。そのまま数十秒ほど黙り込む。それから、美宇はうつむいたままで、ぽつりぽつりと言葉をこぼす。
「あの人が死んだ日は、デートの約束をしていたんだ……。それで、今日は遅刻したなって怒ってて。そうしたら、あの人のお母さんから電話がかかってきて」
かすれた声で、ゆっくりと語っていく。おそらくは、思い出すだけでも傷ついているのだろう。だが、ここで本音をすべて吐き出すことができれば、少しは心が軽くなるはずだ。そう信じて、あかりはただ頷きながら聞いていた。
ときこの方を見ると、相変わらずの笑顔だ。だが、あかりは注意しようとも思わなかった。きっと、その言葉を発してしまえば、美宇が気持ちを閉じ込めてしまうだろうから。
直人は、痛ましそうな顔で美宇のことを見ていた。
「死んだなんて言われても、冗談だって思ってた。あの人がジュースを買ってきた時みたいに、からかってるだけなんだって」
美宇の瞳は潤んでいた。それは泣きたくもなるだろう。あかりには、美宇の苦しみが手に取るように分かった。大事な人が死んだと急に告げられて、心が追いつくはずがないのだ。だから、髪の色を変えてからの3ヶ月間も、ずっと心の怪我が癒えなかったのだろう。
そのまま美宇は、だんだん声を大きくしていく。
「ふざけてるって言ってくれたら、どれだけ良かったか。デートの約束のせいだって責められても、納得したのに。あの人のお母さんは、私を慰めるだけだった」
声は大きいのに、平坦なまま。それこそが、美宇の感情を示していたのだろう。今でも、心は凍りついたままなのだ。だからこそ、美宇が抱えている怒りを爆発させることを、あかりは期待していた。その熱が、心を溶かすように。
あかりの願いに応えるかのように、美宇は語気を強くしていった。まるで呪詛を吐き出すかのような声で叫びだす。
「楽しい思い出になるはずだったのに、あのジュースみたいに苦い思い出になった! だから、その恨みを思い知ってもらいたかっただけ!」
髪を振り乱しながら、美宇は感情を叩きつけていた。あかりは胸を抑えながら美宇の言葉を聞いていた。ふと視線をずらすと、直人は拳を強く握りしめていた。
そんな姿に気づいた様子もなく、美宇は言葉を重ねる。
「私が味わった苦い感情を、あのジュースで味わってもらいたかっただけ!」
その言葉と同時に、美宇は息を荒らげていた。おそらくは、思い出すたびに美宇だって傷ついていたのだろう。それでも捨てきれない想いを、どうにか吐き出そうとしたのだろう。あかりはそう推測した。
しばらくして、美宇は再び言葉を紡ぐ。先ほどとは違い、わずかにこぼすように。
「……いや、違うよ。本当は分かってたんだ。彼は何も悪くないって。私が、納得できなかっただけなんだ。どうしてなの……。ずっと、幸せで居られるはずだったのに!」
顔を手で覆いながら、最後に叫んでいた。それから、しゃくり声だけが部屋の中に響く。誰もが無言のまましばらくの時が過ぎ、直人は一度下を見て、ゆっくりと美宇に向き合った。
「美宇さん、今まで気づけなかった私が言うのも何だが、美宇さんの想いはきっと届いているよ。抱える怒りだって、本当に大切に思っていた証だってことは」
亡くなった恋人にだろうか。あるいは、その家族にだろうか。どちらでも良い。あかりはそう感じていた。なぜなら、美宇は直人の目をじっと見て、涙を拭いながら頷いていたからだ。
直人の言葉は、きっと美宇に近しい相手だからこそ言えるものなのだろう。出会ったばかりのあかりには、その詳細は分からないが。だが、きっと美宇には伝わった。だから、細かいことなんて気にする必要はない。それが、あかりにとっての正しい答えだった。
美宇は赤い目を腫らしながらも、それでも憑き物が落ちたかのような顔をしていた。おそらくは、思いの丈をすべて吐き出したことで、気持ちが整理できたのだろう。その手伝いをできたという事実が、あかりには誇らしかった。
ときこは笑顔でふたりを見ながら、そっと言葉を残す。
「美宇さん、素敵な思いでしたよっ」
そんな言葉を聞いて、美宇は少し笑った。
「怒ってるのに素敵って、意味が分からないですー。でも、褒めてもらってありがとうございますー」
「いえ、あなたが亡くなった恋人を大切にしていたのは、昨日出会ったばかりの私にも分かります。そんなあなたが好きになる人なんですから、きっと素敵な人なんでしょうね」
その言葉が、美宇の心を軽くできたなら。あかりはそう祈っていた。直人すら、恋人が死んだことに気づいていなかったのだ。だから、美宇は誰にも気持ちを語ることなどできなかったのだろうから。
少しでも恋人への気持ちを言葉に残すことが、今の美宇に必要なことだと、あかりは信じていた。
それを証明するかのように、美宇はほんの少しだけ笑顔を見せながら、思い出を語っていく。
「ずっと買ってたジュースも、ふたりで飲んだものだったんですよー。あの人が言い出して、でも私が先に一口飲んで。それでも、残りは全部飲んでくれたんです」
「とっても、良い思い出だったんですね。今の美宇さん、笑っていますよ」
その言葉に、美宇は自分の口元に手を当てる。そして、一度目をつぶった。そして目を開き、ゆっくりと話を続ける。
「そっか……。つらいことばかりだと思ってましたけど、やっぱり楽しかったんですね。それを知れただけでも、良かったです」
「私も、あなたが笑顔になれて嬉しいです。直人さんも、そうですよね?」
あかりの言葉に、直人は迷わず頷く。そして美宇は直人の方を見て笑った。
「うん、全部叫んだら、ちょっとだけスッキリしたかもですー。てんちょーのおかげですねー」
「私は何もしていないさ。みんな、探偵さんの成果だよ」
「いえ、直人さんの想いがあったからこそ、今の結果につながったんだと思います」
「謎を解いたのは、私ですけどねっ」
「もう、ときこさん! 空気を読んでくださいよ!」
そんな流れに、美宇も直人も笑顔を見せていた。ときこは狙っていないだろうが、結果的には良い流れになった。あかりは、ときこを褒めたい気分だった。
美宇と直人は向き合い、美宇は落ち着いた様子で言葉を続ける。
「今はまだ、新しい恋なんて考えられないですけど……。でもいつか、絶対に幸せになります。あの人は、私の笑顔が好きって言ってくれてたから」
「そうでしょうね。美宇さんほどの人が、好きになった方なんですから。きっと、美宇さんの幸せを祈っていますよ」
直人の言葉に、美宇はまっすぐに頷いた。これで、ひとまずは解決だろう。あかりは胸をなでおろしていた。ときこは相変わらずの笑顔のままだった。
「興味本位で変なことを聞いて悪かったよ。今月の給料には、依頼料程度を上乗せしておこう」
直人の言葉は、きっと美宇にお金を受け取らせるためのものなのだろう。なにせ、依頼の時には心配だったからだと言っていたのだから。おそらくは、美宇を慰めるためのようなことを言えば、美宇は受け取らないのだろう。直人の言葉から、あかりはそう推測していた。
対する美宇は、涙の跡を残しながらも、きっと心からだろう笑顔を見せた。
「なら、新作のワンピースを何着か買っちゃいますね。あの人に、久しぶりのおしゃれを見てもらおうかな」
「それはいい。きっと、目を離せなくなるはずさ」
「ついでに髪も切っちゃいますかー。見たら忘れられないくらい、綺麗になっちゃいましょー」
晴れやかな顔をした美宇を見て、あかりは確かな満足感を覚えていた。これからは、きっと美宇は前を見て進めるだろう。暗い感情が落ちることもあるかもしれないが、直人のような身近な人間が支えてくれるはずだ。
つまり、あかり達の仕事はこれで終わりだ。そう考え、ときこを連れ立って去っていった。朝陽の暖かさを感じながら。
そして、事務所でふたりは今回の依頼を振り返っていた。
「良かったですね、美宇さんが心の整理をできて。これからは、きっと引きずることは少ないでしょう」
「少ない、なんですねっ。でも、依頼が解決できたのは良かったですっ」
「素敵な想いでしたというセリフは、ちょっとどうかと思いましたけど。でも、今回の依頼があったから、美宇さんは一歩進めたんでしょうから」
そんなあかりに頷いて、ときこは興味深そうな笑顔でこぼす。
「それにしても、亡くなった人を思い続けるような気持ちって、どんなものなんでしょうね」
「きっと、自分を削り続けるようなものでしょうね。私は、経験したくないものです」
そして、ときこは経験することのないことかもしれない。あかりは邪推と知っていても、その考えを抑えることができなかった。