そして事務所で、状況を整理していく。そんな中で、あかりはときこに説教していた。
「いいかげん、ちゃんとメモを取ってください! 探偵としての仕事ですよ!」
「頭に入っているから、大丈夫ですよっ」
あかりは状況をノートに整理しながら、ため息をつく。そして、ときこに質問する。
「では、ときこさんは次に何を調べるべきだと思っているんですか?」
「まずは、美宇さんの恋人についてですねっ。直接聞ければ、話は早いんですけど」
「それでは、聞き込みをするしかないでしょうね。さてと、美宇さんはどこに住んでいるのでしょうか」
「じゃあ、それから聞いていきましょうっ。方針も決まりましたし、出発ですねっ」
空に赤みが混ざりだした頃、ときことあかりは再びコンビニへと向かう。すると、ビニール袋を持った美宇が出てくる姿が見えた。
挨拶に向かおうとするあかりの手を、ときこがつかむ。そして、ひそひそ声で耳打ちした。
「着いていきましょうっ。そうすれば、答えに近づけるはずですっ」
「家まで着いていくということですか? でも、それは……」
「ビニール袋の中を見てくださいっ。あのペットボトルが入っていますよっ」
その言葉を聞いて、今が夕暮れ時であることをあかりは思い出した。そして、あごに手を置いて考えていく。覗き見のような形になるが、それでも美宇を追いかけるべきだろうかと。
細かく美宇に質問するよりも、傷つけなくて済むかもしれない。あるいは、自分たちが美宇を調査していることに気づかれて、直人を疑われる可能性を減らせるかもしれない。
そこまで考えて、あかりは決断した。ふたりの関係を思いやるのなら、着いていくのが最適解に近い。そんな思いを込めて、ときこに頷いた。
ときことあかりは、こっそりと美宇を追いかける。笑顔のときことは裏腹に、美宇はずっとうつむいているように見えた。やはり、マズいジュースに答えがある。そう考えて、しばらく美宇の後を追うふたり。
そこで、美宇は寺の中に入っていった。あかりは、追いかけようとするときこの肩をつかんで制した。ときこはずっと笑顔のまま、首を傾げる。
「あかりちゃん、どうして止めるんですかっ」
「少なくとも、今はひとりにしてあげましょう。話を聞くにしても、美宇さん以外の人にです」
仮説が正しければ、美宇を傷つけるだけだ。あかりはそう判断していた。そして、その仮説を口に出すことをためらっていた。きっと、とても残酷な現実が美宇を襲ったのだ。そう考えただけで、あかりは胸が締め付けられるように感じて、胸を抑えた。
「謎の答えが、待っているのにですかっ」
「そうです。遠回りも悪くないと言っていましたよね? それで納得してください。しばらく、待っていましょう」
ときこは貼り付けたような笑顔で頷き、そのまま待つ。あかりは、何も言葉に出来ないままだった。
しばらくして、美宇が寺から出てくる姿が見えた。それから見えなくなるまで待って、あかりはときこと目を合わせて頷いた。
「住職さんに、話を聞くんですねっ。さて、何を聞きましょうかっ」
「まずは挨拶からですよ。忘れないでくださいね」
ときこはニコニコとしながら頷き、境内へと足を踏み入れる。そのまままっすぐに進み、本堂へと入っていった。
そこでは老齢の住職が仏壇に祈りを捧げており、物音でときことあかりに気づいた様子。そして真剣な顔から笑顔に変わり、ふたりに声をかける。
「入門にいらっしゃったのでしょうか。お若い方が、珍しい」
「いえ、私達は探偵事務所のものです。少し、お話をうかがってもよろしいでしょうか」
「美宇さんは、どんな用でここにやってきたんですかっ」
「もう、ときこさん。言いにくいこともあるんですから。それに、まだ返事をうかがっていませんよ」
「いえ、お構いなく。彼女は、恋人の墓参りにいらっしゃいました。よほど恋人が大事だったのでしょうね。毎回、とても丁寧に墓の手入れをしていらっしゃいますよ」
その言葉を聞いて、嫌な予感が当たったと理解できた。やはり、美宇は恋人を失っていたのだ。だから暗い顔をしていた。だから髪の色が変わった。どんな理由で恋人が死んだのであれ、それは苦しいだろう。
ただ、あかりは美宇の心を解き明かしたいと感じた。心に踏み込むことこそが、美宇の傷を癒やすと信じて。おそらくは、美宇は誰にも内心を語っていない。だからこそ、苦しみが消えないのだ。美宇が感情のすべてを吐き出す機会を作るには、答えを提示するのが近道だろう。そう考えていた。
「お墓参りをしたら、死んだ人は喜ぶんですねっ」
「分かりません。それでも、喜ぶと願いたいんですよ」
「そうですね。我々にできることは、ただ冥福を祈ることだけ。それこそが救いなのだと、信じることだけです」
住職の言葉には、どこか実感がこもっているように見えた。老齢であることもあり、大切な人を失った経験は多いのだろう。あかりは、もしときこを失ったらと想像すると、それだけで何も考えたくなくなってしまう。
実際に大切な人を失った美宇は、想像より遥かに強い苦しみを味わったのだろう。だからこそ、あかりはなんとしても美宇の心を癒やしたいと感じていた。
そのためにも、今は情報を集めることに徹するべきだ。そう考え、続けて質問していく。
「美宇さんの恋人は、どんな形で亡くなられたのですか?」
「交通事故でした。きっと、彼女も予想していなかったのでしょうね。だからこそ、心の整理がつかないのでしょう」
「新しい恋人を作るのは、ダメなんでしょうかっ」
「私なら、簡単には割り切れないです。誰かは誰かの代わりにはならないんですよ」
「そうですね。だからこそ、一期一会の考えが大事なのです。大切な相手との一瞬一瞬を、心に刻みこむことが」
自分自身は、そうできているだろうか。あかりは、住職の言葉に考え込んだ。そしてきっと、美宇にはできていなかったのだろう。おそらくは、自分も。
当然だ。いま隣にいる人間が急に死ぬなどと考えて生活する人間など、ほとんど居ない。だからこそ、美宇は突然の喪失に心を凍らせてしまったのだろう。あかりとて、ときこを失えば同じになる可能性が高い。その気持ちが、前に進む決意をさせた。少しでも、美宇の心を溶かすのだと。
ときこは穏やかな笑みを浮かべている。場にそぐわない姿に、あかりはどこか安心感を覚えていた。同じような気持ちを、美宇が感じることができたら。
おそらく、きっかけは直人になるだろう。あかりはそう信じていた。
「あのジュースは、お供え物ですかっ」
「そうですね。真面目な彼女が、どうしてあのようなものを供えるのか。きっと、深い理由があるのでしょう」
その言葉から察するに、住職もジュースのマズさを知っている。にもかかわらず、美宇の行動を止めようとしていない。それだけ、普段の美宇が真面目なのだろう。つまり、それでもマズいジュースを供えるだけの理由がある。あかりはそう推測した。
おそらくは、答えこそが恋人への想いなのだろう。どんな形かは、推測しかできないにしろ。
「まずいジュースを供えられたら、助手ちゃんは怒りますかっ」
「それこそ、理由次第です。いたずらなら、怒りますね」
「少なくとも、彼女はイタズラで供えたわけではないでしょう。それくらいのことは、この老いぼれにも分かります」
頷きながら、住職は語る。そこには、強い信頼が見えていた。おそらくは、美宇は周囲の人間に好かれていたのだろう。きっと、恋人にも。あかりには分かった。
だから、恋人を忘れさせようとは思わない。そっと、心を軽くすることができればいい。あかりはそう信じていた。
「ときこさん、情報は集まりましたか?」
「とりあえず、一度帰りましょうっ。分からなければ、また聞きに来ればいいんですっ」
「はい、歓迎させていただきますよ。入門もしていただければ、なお嬉しいですね」
「突然の訪問にも関わらず、今日はありがとうございました」
あかりは深く頭を下げて、ときこは軽く礼をして、ふたりは曇り空の中を去っていく。それから事務所に戻り、集まった情報を整理していた。
「まさか、お墓参りのためにジュースを買っていたとは……」
「だとすると、故人を悼むために買っているのでしょうかっ」
ときこの予想は、当たっているだろう。だが、なぜマズいジュースなのか。あかりは、そこだけが気になっていた。とりあえず、思いついた意見を口にする。
「それなら、恋人の好物だったんでしょうか」
「違いますよっ。彼女は、あんなジュースは誰も好きにならないと言っていましたっ」
「だとすると、いったいなぜ……」
「それが、最後の謎になるでしょうねっ」
笑顔を浮かべて、ときこは語る。その謎を解き明かすことができれば、きっと美宇は少し前に進めるだろう。そう信じて、あかりは情報を整理していく。
「美宇さんは、なぜかマズいジュースを供えています。その恋人が亡くなったのは、事故だったみたいですね」
「はいっ。だから、マズいジュースが大事だと思うんですっ。それを満たす可能性は……」
ときこは目を伏せて、考えに浸っていく。その様子を見て、あかりはときこが問題を解き明かすだろうと考えていた。
いつも、ときこがうつむくと答えが出る。それが宗心探偵事務所のお決まりのパターンだった。
あかりはいつも通りに、ときこの答えを待つ。まっすぐに、ときこのことを見ながら。きっと、美宇が亡くなった恋人に抱えている想いこそが、マズいジュースを買う最大の理由なのだろう。それはどんなものなのだろうか。あかりは想像しながらときこを見つめていた。
だが、10分経っても、20分経っても、ときこは目を伏せたまま。そんな姿を初めて見たあかりは、ときこが体調が悪いのかと疑った。だが、顔色はおかしくないし、触れても体温は正常だ。
なら、何があったのだろう。そう考えていると、ときこはあかりの方を向いて、切なそうに言葉を漏らした。
「あかりちゃん、お墓参りって、亡くなった人を悼むためのものですよねっ。その情報と全部の仮説に、どうしても矛盾ができてしまって」
ときこの言葉に、あかりは一般的な常識だけでの判断なら正しいと感じた。そして確信した。ときこは感情を理論で解き明かしているのだと。だから、今みたいなところで悩むのだろうと。
ただ、あかりは知っている。ただの常識ではないところに、本当の心が隠れているのだと。だから、あかりは自分の知っていることをときこに伝えると決めた。ほんの少しの、胸の痛みを隠しながら。
「違うんです、ときこさん。お墓参りは、自分の感情を整理するためのものなんです。冥福を祈るなんて、ただの建前。本当は、生きている人のためのものなんです」
きっとあかりは、ときこを失った時には自分のために祈るのだろう。なにせ、ときこは亡くなった人間を悼むことに共感などしないのだろうから。死人は何も思わない。そんな想いを抱えているのだろう。
それでも、あかりは墓参りをするのだろう。理由なんて、自分のため。ときこはきっと、喜びも悲しみもしない。そんな感情を乗せつつ、ときこに言葉を伝えた。
ときこはあかりの言葉を受けて、再び考え込んでいく。思考を言葉にして、整理しながら。
「自分の心を整理する。つまり、故人を思い出すということ。プルースト効果のように。あのジュースの匂いが、味まで思い出させるように。そうか……」
数十秒ほどときこは考えに浸り、そして顔を上げた。あかりの方を向きながら、堂々と宣言する。
「美宇さん、あなたの想い、届きましたよっ」