「亮太くんが何を考えていたのか、分かったんですか?」
美佳はときこに、期待を込めたような目を向ける。だからこそ、あかりは確信した。美佳も、亮太との関係を取り戻したいのだと。
そのためには、亮太を連れてくる必要がある。そう告げようとすると、美佳が口を開く。
「私、亜子ちゃんを呼んできます。ふたりを見ていて分かったんです。ひとりじゃ、きっとダメなんだって」
そのまま、返事も聞かずに駆け出していく。その様子を見て、ときこは不思議そうに首を傾げていた。
「どうして、亮太くんを呼びに行かなかったんでしょうねっ」
「きっと、美佳さんのわずかな勇気なんです。だから、それを私が支えますね」
そう言い残し、あかりは亮太を呼びに向かった。早足で向かうと、亮太は相変わらず数学の教科書をながめていた。
「亮太くん、私と一緒に来てください。あなたの気持ちを、美佳さんに伝えるチャンスです」
その言葉に、亮太は少しだけ下を見る。それから拳を握り、強く頷いた。おそらくは、決意が固まったのだろう。あかりはそう信じていた。
「分かった。この機会を活かせないのなら、きっと俺は何もできない。連れて行ってくれ」
そう言った亮太を、あかりは先導する。亮太の強い足音に、あかりは緊張と決意を感じていた。しばらくして、ときこの居場所にたどり着くと、そこには亜子と美佳がたどり着いていた。
あかりがときこの隣に立つと、依頼人達は三者三様といった様子でふたりを見ていた。亮太は真剣な瞳で、亜子は期待を込めたようにまっすぐ、美佳は少し不安そうに瞳を揺らして。
そして、笑顔のときこは元気に話し始めた。
「では、今回の依頼について、結論から話しましょうっ。亮太くんは、自分への怒りをテストにぶつけたんですっ」
亮太を指さしながら、ときこは宣言する。亮太は目を見開き、亜子はどこか納得したような顔で頷き、美佳はうるませた瞳で亮太を見ていた。
あかりは、ここからが本番だと理解していた。亮太の本心を明かすことで、3人の関係が大きく動くことになるだろう。そのためにも、ときこの回答をしっかりと聞く必要がある。そう考え、ときこの言葉に集中していた。
「それは、私への怒りではなくて、ですか……?」
「はいっ。では、順番に説明しますねっ。まずは、亮太くんは美佳さんに勉強を教えていました。それは、うまく行かなかったんですっ」
その言葉に、亮太は唇を噛み、美佳は目を伏せる。そして亜子は、ふたりを心配そうに見つめていた。あかりは、勉強会がうまく行かなかったことが問題の根源であると、しっかりと理解した。
つまり、勉強会に込められた想いを解き明かせば、ふたりの問題が解決するのだろう。そんな期待を込めて、ときこの言葉が続くのを待っていた。
ときこは笑顔のまま、続けて語りだした。
「あかりちゃんは、親しい人のために教えることを、大事な気持ちだと言っていましたねっ。それも重要な情報でしたっ」
ときこには、その感情は理解できていなかったのだろう。だから、あかりの言葉を推測の材料にした。ほんの少しの寂しさを覚えながら、あかりは続きを待つ。
亮太は美佳の方をじっと見つめ、美佳はその亮太と目を合わせられない様子。亜子は、そのふたりの間で視線をさまよわせていた。
「そして私は、今回の件で計画書を書けと言われて、完璧にこなせるから大丈夫だと返しましたっ」
亮太と美佳は、同時にうつむく。その姿を見て、あかりは直感した。亮太も美佳も、勉強会に自信を持っていたのだ。それが壊れたことが、きっかけだったのだろう。詳細までは、まだ分からないが。
つまり、ふたりともが真剣だったことこそが、ふたりの関係をこじらせてしまった。悲しいすれ違いだという思いを、あかりは抑えきれなかった。その気持ちのままに、胸に手を当てていた。
ときこは相変わらずの笑顔で、話を続けていく。
「確認しておきますねっ。美佳ちゃんは、勉強会をすれば、すぐに成績が伸びると信じていた。だけど、うまくいかなかったんですねっ」
「……はい、そうです。私が、バカだったから……」
美佳はうつむき、亮太は心配そうに美佳を見つめる。亜子は、ときこをじっと見ていた。あかりには、亜子はときこが更なる答えを出すことを期待しているように見えた。
そのまま、ときこは笑みを浮かべて話を続ける。
「まとめると、勉強会でうまくいかなくて、ふたりとも自信を失ったんですっ。最初は自信を持っていたにもかかわらず」
「それなら、亮太くんは自信を失った怒りを、テストに叩きつけていたんですか?」
亜子はそう問いかけ、美佳は瞳を揺らしながら亮太を見つめ、亮太はふたりから視線をそらした。
ただ、あかりは信じていた。亮太は、美佳のことを大事に思っている。その発露の形が歪んでしまっただけなのだと。その気持ちを伝えるために、亜子に笑顔を向けた。
そのまま、ときこは満面の笑みで結論を語る。
「正確には、美佳ちゃんが悲しんでいる怒りを、ですね。美佳ちゃんの役に立てない気持ちを、テストにぶつけたんですっ。美佳ちゃんの成績が伸びないことに苦しんだ、その感情を」
亮太は頭を右手でガシガシとかく。その反応を見て、あかりはときこの推理が正しいのだと直感した。もともと、ときこの推理が外れた姿は見たことがない。それでも、安心できる瞬間だった。あかりは、ほっと息をついた。
美佳は、亮太の顔を見て、口を半開きにしていた。しばらくして、軽く首を振ってから、ゆっくりと言葉をもらす。
「それって、私のため……? でも、どうして……?」
美佳に問いかけられて、亮太は頬をかいていた。おそらくは、気恥ずかしくて口に出せないのだろう。そんな姿を見もせず、ときこは言葉を続けていく。
「亮太くんは、自分の無力感を言葉にしていましたっ。きっと、美佳ちゃんの役に立てない無力感なんですっ」
「なるほど。亮太くんは、ずっと美佳さんとの関係に悩んでいましたから。納得できます」
あかりが視線を向けると、亮太はうつむいて視線をさまよわせた。その様子を見て、亜子が問いかける。
「亮太くん、答えてほしい。そのために、私はふたりに依頼したんだから」
亜子の強い視線を受けて、亮太は瞳を閉じて息を吸う。そして、ぽつりぽつりと話しだす。
「美佳から勉強を教えてほしいって言われた時は、嬉しかった。こんな俺でも、誰かに頼られるんだって思えたよ 」
わずかに頬を緩めながら、亮太は語る。その姿を、亜子はまっすぐに、美佳は悲しそうに見ていた。あかりには、亮太の言葉は悔い改めているかのように見えていた。
「それに、美佳は俺の話をよく聞いてくれた。面白い話なんてできなかっただろうに、笑顔で頷いてくれていたんだ」
その言葉を最後に、亮太は拳を握る。歯を食いしばりながら、悔しさを隠せないかのように。
「でも、それは最初だけだった。だんだん、美佳の顔から笑顔は失われていったよ」
亮太も美佳もうつむく。亜子は二人から目を離さない。そして、亮太はすべてを吐き出すかのように叫びだした。
「必死に教え方を考えても、美佳の成績は良くならない。顔も暗くなるだけ。好きな子を笑顔にできないのなら、本当に欲しいものが手にはいらないなら、あんな紙切れの点数に何の価値があるんだよっ!」
絞り出すかのような言葉に、あかりは強く共感していた。好きな人を幸せにできない自分になど、何の価値もない。そんな気持ちは、あかり自身も体験していたことだった。
美佳は亮太の言葉を受けて、瞳を閉じて胸に手を当てる。ゆっくりと息を吸ってから、穏やかに話し始めた。
「亮太くん……。私のことを、好きで居てくれてたんだ……!」
「あっ……。いや、そうだ。ごめんな、美佳。俺が情けないばかりに、お前を悲しませて」
亮太は憑き物の落ちたような顔で、落ち着いた声で語りかけていた。対する美佳は、涙を瞳ににじませながら微笑んだ。
「ごめんね。私を大切にしてくれていること、気づかなかったよ。私がバカだから、イライラしてるんだとばかり…….」
「そんなことはない。俺の教え方が悪かったせいなんだ。あげく、我慢もできずに……」
亮太はうつむいて、強く拳を握る。自分のこれまでを、強く後悔しているのだろう。おそらくは、美佳を恐れさせたことも、美佳の成績を伸ばせなかったことも。
ただ、美佳の穏やかな顔を見る限りでは、きっと大丈夫なはずだ。あかりは、そう願っていた。
「ううん。ときこさんとあかりさんを見ていて、分かったんだ。私たちは、ひとりで解決しようとしていたからダメだったんだって」
「美佳……。そうだな。俺だって、ずっとひとりで解決策を考えていた。本当は、相談すべきだったんだよな」
亮太は、美佳の方を見ながら、一度頭を下げた。美佳は亮太に手を差し出した。それを亮太がつかむと、美佳はそっと微笑んだ。亜子は、そんなふたりを優しい顔で見つめていた。
これで、ふたりの関係が良い方向に進むだろう。あかりは、そう確信していた。胸が暖かくなっているのを、強く感じながら。
美佳は亮太の手を両手で握り、微笑みながら話し出す。
「こんな私で良ければ、また勉強を教えてくれないかな? 私のことを本気で考えてくれるあなたとなら、もう一度頑張ってみたいんだ」
「もちろんだ。それこそが、俺の望みだったんだから」
亮太は頷き、美佳は亮太の手を優しく握りしめていた。亜子はその様子を見て、何度も頷いていた。
「これで収まるところに収まったかな。もともと、彼に教えてほしいって言ったのはあの子だったんですよ。私だって成績がいいのにね。つまり、お互いを大切に思っていたずなんです」
亜子の顔からは、強い安心が見て取れた。亜子は、亮太と美佳の関係を心配したからこそ宗心探偵事務所に依頼を出したのだと、あかりは強く実感した。
亮太と美佳はお互いに微笑み合い、亜子の方を向く。そして、ふたりは頭を下げた。それに対し、亜子は胸の前で両手を横にふる。
そして、亮太は亜子に笑いかけながら話しだした。
「悪かったな、心配させて。おかげでうまく行ったよ。お前に金は出させられないし、俺に払わせてくれ」
「ううん、気にしなくていいよ。私が気になっただけだからね」
「心配してくれたんだから、そのお礼だよ。それに、私達はこれからも手を取り合うっていう、おまじないだから。私だって、出しちゃうよ」
「ふふっ、仲がいいことだね。なら、お願いしちゃおうかな。一月くらいは、おやつが食べられなさそうだったから」
その言葉を受けて、亮太も美佳も笑っていた。これで一件落着だ。これからも、ふたりの未来が、いや、三人の未来が明るいように。あかりはそう願っていた。
「ありがとうございました、ふたりとも。私たちは、ふたりみたいに支え合っていきますね」
「それは良かったです。素敵な思いでしたっ」
最後に三人は頭を下げて、笑いながら去っていく。亜子はゆっくりと距離を取っていたが、亮太と美佳に気づいた様子はなかった。そんなふたりは、夕日に向かって歩いていく。
ふたりを見送った後、ときことあかりは事務所に帰った。そして、今回の依頼を振り返っていた。
「良かったですね、亮太くんと美佳さんがうまくいって。依頼がなければ、きっと関係は改善しませんでしたよ」
そう語る明かりに、ときこは笑顔で返す。
「自分より相手の能力が高い方が、嬉しいこともあるんですねっ」
「違いますよ。能力は本質ではありません。大切な人の努力は報われてほしい。そんな気持ちなんです」
ときこには、その感情が理解できるのだろうか。いや、できるようになってほしい。あかりはそんな祈りを込めて、ときこをじっと見ていた。