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第7話 本当に苦手なものは

「さて、ときこさん。頑張って、答えを見つけましょうね」

「もちろんですっ。答えが分からないままなら、もどかしいですからねっ」


 それからあかりは調査の許可を各所に取り、次の日から本格的な調査を始めることに決めた。そして次の日、ときことあかりは目的地である縁近学園高等部に向かう。


 小綺麗な校舎をしたその高校は、縁近市では進学校として知られている。毎年数名ほど、国立大の中でも最難関の大学に生徒が合格することがあり、地元で受験を考えるならばここだと考えられていた。


 とはいえ、本気で難関大を目指すのなら市外に出ることも珍しくなく、それほど入学は難しくないといった程度だった。


 まずは、亜子や亮太が受けている授業を見に向かうときことあかり。そこには、静かにペンを走らせる生徒たちが居た。和気あいあいとした雰囲気はなく、あかりは少し背筋を伸ばした。ときこは、ふわふわした笑みを浮かべ続けていた。


 教室の外から覗き込むと、亜子の姿も見える。亜子はあかりの方に気がつくと、軽く手を振った後で視線を教科書に戻していた。


「みなさん、真面目に授業を受けていますね。やはり、進学校ということでしょうか」

「亮太くんは、あまり黒板を写していませんねっ。ふむふむ、なるほど」

「不真面目な生徒なのでしょうか? だとしたら、成績が伸びていないんでしょうかね」

「まだ判断はつきませんよっ。昼休みにでも、色々な人に話を聞いてみましょうっ」


 それまでにはしばらく時間があるので、予定通りに教師に話を聞くことにしたふたり。職員室に向かうと、それぞれの教師がパソコンに向き合っていた。カタカタという音だけが響き、あかりはわずかに息をのんだ。


 ときこは特に気にした様子もなく目的の人物の前に進み、話しかけていく。


「すみません、宗心探偵事務所のものですっ。少し、質問をしたいんですけどっ」

「ああ、話はうかがっていますよ。守秘義務の範囲になりますが、よろしくお願いします」


 ずいぶんとしっかりした教師のようだ。あかりにとって、母校のOBがどのような成績であったかなどの話を聞くことは珍しくなかった。進学校だからなのか、母校が変わっていたのか。いずれにせよ、慎重に質問する必要がある。あかりは、真剣な目でメモを構えた。


「まずは、中村亮太くんがどんな生徒かを教えていただけますか?」

「そうですね。教科書によく付箋を貼っていたり、勉強を頑張っている印象ですね」


 先ほど、ときこが黒板を写していないと言っていた情報と矛盾する。あかりは軽く困惑したが、それでも努めて表情を崩さないようにした。


 ときこは、笑顔を浮かべたまま何度か頷いている。ときこの中では矛盾はないのだろう。あかりはそう感じた。


「やっぱり、勉強には熱心なんですねっ。ただ、付箋を貼るより、ページ数を覚えたほうが早くないですかっ」

「誰もがあなたのように記憶力が良いわけではないんですよ。これは努力の形なんです」

「そうですね。あなたのような生徒にも、心当たりはあります。ですが、それは特別な才能なんですよ」


 教師の言葉に、あかりは内心で何度も同意した。あかりにとっては、教科書のどこに何が書いてあるかを覚えることは相当な難題だ。だからこそ、ときこの優秀さを肌で感じている部分もあったのだが。


「となると、亮太くんは努力家なんですね。私も、見習いたいです」

「その努力が実るかどうかは、今後次第でしょうね。教師としては、期待していますが」

「なら、成績を教えてもらえますかっ」


 ときこの言葉に、あかりはため息を抑えきれなかった。間違いなく、守秘義務の範囲だろう。そう考えたからだ。案の定、教師は困ったような顔をしていた。


「すみません、そこまでは言えないんです。本人から聞く分には止めませんが、それでも無理強いは止めていただきたいですね」

「分かりました。こちらとしても、依頼者を含めた皆さんの問題を解決することを目標にしていますからね。苦しめてしまっては、意味がありません」

「あなたはお優しい方のようだ。そんなあなたなら、もしかしたら彼の心を開けるのかもしれませんね」


 やはり、亮太は何かの問題を抱えている。あかりはおおよそ確信にいたっていたが、正しいのだと理解できた。少し下を向き、今後について考えていく。


 繊細な年頃だろうから、言葉を間違えれば答えは遠のくだろう。今後も慎重に動く必要がある。軽く拳を握り、あかりは決意を再確認した。


「では、これで失礼しますねっ」


 それだけを言い残し、ときこは去っていく。あかりは慌てて頭を下げ、早足でときこを追いかける。ときこの突飛な行動には慣れたつもりでいたが、それでも予想はつかない。うなだれたい気持ちを抑えつつ、天を仰いだあかりだった。


「もう、ときこさん。相手の返答くらい待ってくださいよ。先生、きっと困っていましたよ」

「そうなんですかっ。なら、今度は待ってみますねっ」


 おそらく、ときこは理由を分かっていないのだろう。説明したところで、正確には理解できないのだろう。あかりには、そんな諦めがあった。額に指先を当てつつ、話を次に進めていく。


「次は、教室ですか? そろそろ昼休みですよね」

「そうですねっ。また、情報を集めていきましょうっ」


 ふたりは再び亜子たちの教室へと向かう。そこでは、弁当を食べる者、教科書をながめている者、雑談に興じている者などが居た。


 ときこはまっすぐに進んでいき、雑談をしている女子生徒たちに話しかけていく。


「すみません、中村亮太くんについて、なにか面白い話はありますかっ」

「私達は探偵事務所のものです。差し支えなければ、聞かせていただければと」


 あかりは深く頭を下げ、生徒たちは互いを見つめ合った後、ゆっくりと話し始めた。


「そういえば、数学の公式を覚えられないとか言ってたなー」

「ああ、なんか毎回いろいろ書いてるんだよね。そうやって思い出してるんじゃない?」


 数学の公式を覚えられないから、付箋を貼るなどの努力をしているのだろうか。なら、なぜ亮太は黒板を写していないのだろうか。あかりには、納得の行く答えが思い浮かばなかった。


「恋愛に公式があれば、私も楽ができそうですねっ」

「ときこさんが必要なくなるんじゃないですか? それに、決まった形がないからこそ良いんですよ」

「公式なんてあったら、誰でも落とせそうじゃん」

「結局、公式を使いこなせる人がモテモテになるだけかなー」


 そのまま、生徒たちは自分たちの話に入り込んでいった。ときこは特に振り返りもせずに次に向かい、あかりもそれを追いかけた。


 次に、弁当を食べている男子生徒にときこは話しかける。


「中村亮太くんは、なにか愚痴のようなものを言っていましたかっ」

「すみません、急に。良ければ、話してくださいますか?」


 男子生徒は少し視線を落とし、それからときこの方を向く。


「あいつ、テストなんかが何の役に立つんだって言ってたな。珍しいことを言うもんだと思ったよ」

「テストが役に立たないのなら、恋愛はどうなんでしょうっ」

「役に立つ立たないの話ではないです。心を満たすのが、全てですよ」

「良いこと言うじゃん。楽しいことだって、いっぱいやらないとな」


 男子生徒は、あかりに笑顔を向ける。ときこは明るい笑顔を浮かべたまま、亮太の方に視線を向けていた。なにか手がかりがつかめたのだろうか。あかりがそう考えていると、ときこは次の生徒に向けて歩き出した。


 あかりは軽く頭を下げ、次の生徒のもとへ向かう。そして、教科書を見ている生徒に話しかけていく。


「お勉強中に、すみません。少し、話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか」

「中村亮太くんは、特定の授業で変わった反応を見せたりしていましたかっ」


 ときこの言葉に、女子生徒は目を見開く。そして、少し目をさまよわせてから話し始めた。


「数学の授業のたびに、暗い顔をしていた記憶がありますね。それ以上のことは、分かりません」

「元気がなくなるのなら、やめれば良くないですかっ」

「努力したいという気持ちは、きっと誰にもあるものですよ」


 あかりは、亮太が暗い顔をしてまで努力を重ねる理由があるのだと考えていた。おそらくは、それが悩みの根源なのだろう。だからこそ、それを解き明かす手伝いをしたい。そうすれば、きっと亜子が望む方向に進むだろうから。


 にこやかな顔のときこを見ながら、あかりは今までの問答でときこが何かをつかんだことを期待していた。そうであれば、未来に近づけるだろうから。あかりは、じっとときこを見つめていた。


「ありがとうございましたっ。あかりちゃん、行きましょうっ。もうすぐ、昼休みが終わりますよっ」

「分かりました。ご協力いただき、ありがとうございました」


 あかりは女子生徒に向けて頭を下げ、ときこについていく。笑顔を浮かべたときこに、期待を隠せないまま。


 そして、空き教室に向かったふたり。そこで、あかりはこれまでの情報について、自分なりの考えを話していった。


「亮太くんは、数学が苦手だったのでしょうか。公式を覚えられなくて、数学の授業で暗い顔をする。そして、テストに不満をぶつけたのかもしれません」


 勉強しているのに、なにも上達しない。そんな気持ちは、よく分かるつもりだ。あかりは、ときこと比べて明確に成績が劣っていたから。胸に手を当てて、あかりは過去を思い出していた。


 客観的には、あかりとて成績は良い方だと言えるのだろう。それでも、平気で満点を叩き出すときこに劣等感を抱えていたのも事実だ。だからこそ、あかりは亮太に感情移入している自覚があった。


 だが、そんなあかりに対して、ときこは首を横に振る。そして、穏やかな笑みを浮かべながら話していった。


「違いますよっ。あの会話の意味は、毎回証明から公式を導き出しているってことですっ」


 あかりは、口を半開きにしていた。その口に手を当て、ときこをまっすぐに見る。ときこの言葉が正しいとすると、亮太は公式を証明できることになる。それは、とても高度なことではないだろうか。あかりは疑問を抑えきれなかった。


「それって、ただ公式を覚えるよりも難しくないですか?」

「さあ? でも、私は同じやり方で点数を稼いでいましたよっ」


 朗らかに笑うときこ。それを見ながら、あかりはあごに手を当てながら考えを進めていく。ときこと同じやり方だというのなら、おそらくは亮太は数学が得意なはずだ。なら、どうしても解消しなければならない疑問がある。それを確認するために、ときこの方を向き直した。


「なら、彼はどうして数学のたびに暗い顔をしていたのでしょう」

「それを知るためには、もう少し情報を集める必要があるでしょうねっ。聞くべき相手は、きっと決まっていますよっ」

「亜子さん、ですね。彼女は、何かの核心を隠している。そういうことなんですね」


 依頼を受けた時の、亜子の不安そうな表情からして、おそらくは悩みの根本に近い。だからこそ、簡単には言葉にできなかったのだろう。それでも、真実を知ることができなければ、問題は解決しないだろう。


 おそらく、状況はとても複雑だ。あかりはそう信じていた。だからこそ、ときこの活躍に全てがかかっている。あかりは一度目を伏せ、ときこに向き直った。


「では、亜子さんに質問しましょう。放課後で、良いですね」

「はいっ。そうしなくちゃ、謎は解き明かせないでしょうからっ」


 そう語るときこに、あかりは期待を隠せなかった。

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