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第6話 悩みのタネ

「すみませーん、予約していた山本やまもと亜子あこと言います。探偵さんはいらっしゃいますか?」


 とある日曜日の朝、宗心探偵事務所に、制服を着た少女の良く通る声が届いた。町外れの小さなビル、その一室から、身長の高い女が出てくる。それを見て、亜子は顔をほころばせた。


「私は、宗心探偵事務所で助手をしている、江繋えつなぎあかりと申します。予約、確かに承っております」


 一礼しながら、あかりは朗らかな笑顔で話しかける。それに対し、亜子もまた一礼を返す。同じタイミングで頭を上げ、亜子は少し笑う。それを見て、あかりも口元に手を当てて笑った。


「探偵さんは、この中にいるんですよね。どんな方なんですか?」

「一言で説明するのは、難しいですね……。ただ、私が依頼をするのならば、彼女だと思います。不思議な方ではありますが」


 あかりは亜子を先導しながら、ゆっくりと歩いていく。亜子は背筋を張ったまま、あかりについていった。いくつかの扉を越え、真っ白な壁紙に白い家具で揃えられた部屋へと入っていく。


 そして、ふわふわとした雰囲気の女が、あかり達を笑顔で出迎えた。


「ようこそ、宗心探偵事務所へ。私が、探偵の宗心そうしんときこです」


 亜子はときこをまっすぐに見つめ、それから頷く。あかりは、ふたりを笑顔で見ていた。


「ときこさん、穏やかな雰囲気ですね。あかりさんは、気を引き締めてくれそうです」

「ありがとうございます。あなたは、真面目そうですね」

「なるほど、ありがとうございますっ」


 まずはあかりが一礼し、遅れてときこも続く。それに対し、亜子も再び返す。目があったあかりと亜子は、お互いに笑い合う。ときこは、それを不思議そうに見ていた。


 亜子は、期待を込めた瞳でときこをじっと見る。それを見たまま、ときこはずっと微笑んでいた。


「彼女は心理学に詳しいので、感覚では分からないことも分析してくれるんですよ」

「それなら、あの謎も解けるかもしれませんね。期待していますよ、ときこさん」

「任せてくださいっ。それで、どんな謎なんですかっ」


 ときこは前のめりに話しかけ、あかりはときこの肩を軽く握って咳払いをする。そして、続けてあかりは亜子をソファへと案内した。


 亜子が座ったのを確認して、机を挟んだ対面にあかりは腰かける。ときこは、笑顔を崩さないままゆっくりと座っていった。


 それを確認した後、亜子は息を吸ってから話し始める。


「私の依頼は、私自身の問題ではないんです。ただ、友人の様子がおかしくて」


 眉をハの字にしながら、やや細い声で語っていく。それを見て、あかりは亜子の不安を感じていた。おそらくは、友人関係か何かに問題を抱えている。ときこが恋愛専門の探偵であることも考えると、恋をこじらせたのかもしれない。そんな推測をしていた。


 だからこそ、慎重に話を進める必要がある。ひとつも聞き逃さないようにメモを構えながら、あかりは柔らかな声を意識して話していく。


「それは心配ですよね。焦らなくても大丈夫です。ひとつひとつ、聞かせてください」

「正確な情報は、謎解きにとって大事ですからねっ」


 ときこは明るい笑顔を崩さないままだ。亜子は、そんなときこの様子を見てわずかに微笑んだ。ときこは意識していないだろうが、良い流れだ。あかりはそう感じていた。その流れを崩さないように、亜子に向けて手のひらを差し出す。話を続けやすいように。


 それを受け、亜子は続きを話していく。


「一番大事なことから話しましょう。実は、私の友人は、テストを破り捨てているんです」


 亜子は、ほんの少しだけ下を見た。あかりから見て、その行動はどこかに不満を隠しているようでもあった。


 とはいえ、決めつけては真実にたどり着けない。探偵役がときこだとしても、自分だって依頼人の支えになることが仕事だ。そう決意を込めて、真剣な目を意識して亜子の方を見る。


「それは……。テストの点数が悪いということでしょうか?」

「分かりません。私達の学校では、順位は発表されませんから。ただ、本当にビリビリに破られていたんです。まるで怒りを叩きつけるかのように」


 亜子は、少し深刻そうな顔をしている。素直に考えれば、赤点かそれに近い点数を取って怒りをぶつけているのだろう。そこまで考えて、あかりは首を横に振った。ただの単純な話だと思っているのなら、わざわざ探偵に依頼しないはずだ。


 つまり、この依頼の裏には何かが隠れている。あかりは確信していた。まずは、話しやすい環境を作る必要があるだろう。そう判断した。


 亜子には、言えない何かがあるはず。それに少しでも近づくためにも、まずは心を開くところからだ。そう考え、なるべく穏やかな笑顔で話を続ける。


「それでは、そのご友人と亜子さんの関係に問題ができたから、依頼にいらしたということでしょうか」

「えっと、それは……。私は、亮太くんを悪くは思っていません。ただ、心配で……」


 亜子は目を伏せながら語る。亮太という人物の周囲には根深い問題が隠れている。あかりは直感した。本質に近づくためにも、的確な質問をする必要がある。亜子に気づかれないように、あかりはそっと息を吸った。


「その亮太くんは、普段はどんな事をしているんですか?」

「今だと、教科書とにらめっこしていることが多いですね。ただ、どんどん自信がなくなっていって」

「その話を聞くと、ダニング=クルーガー効果を思い出しますねっ」

「もう、ときこさん! ご友人に失礼ですよ!」

「その、どうして失礼なんですか? ダニング=クルーガー効果というのは?」

「簡単に言えば、初心者ほど自信満々で、少ししたら自信を失う現象です」


 ときこの言葉を聞きながら、あかりは目を伏せていた。どう考えても、亮太を悪く言うような流れだったからだ。


 ただ、亜子は少し頷いたように見えた。もしかしたら、なにか思い当たるフシがあるのかもしれない。そんな期待を込めて、あかりは亜子に頭を下げた。


「ごめんなさい、亜子さん。ご友人を悪く言ってしまいましたね」

「いえ、勉強になりました。そういう効果もあるんですね。他に、なにか話はありますか?」

「例えば、自信がある人は魅力的に見えるそうですよっ。だったら、何も経験しなければ良いんじゃないでしょうかっ」

「自信だけあっても、結果がついてこなければ悲しいだけですよ」


 その言葉を聞いて、亜子はじっと自分の手を見ていた。結果を出せない何かを抱えているのだろうか。あかりはそんな推測をした。少し傷つけるかもしれないが、今の話を続ければ真実に近づくだろう。


 それこそが、結果的には大きな傷を避けてくれるはず。そう信じて軽く拳を握ったあかりは、ときこに目配せした。


「そうかもしれませんね。分かった気持ちにだけなっても、仕方ないですから」

「特に人の心は、とても難しいですからね」

「勉強だけでは、なかなか分かりませんよねっ」

「ときこさんは宿題をサボっていましたよね。それで、私が手伝う羽目になって……」


 頭を抱えるあかりの姿に、亜子は軽く笑いを浮かべていた。今の流れで、なにか情報を引き出せれば。そう考えて、あかりはときこに向き合っていく。


「そうでしたねっ。あの頃から、あかりちゃんには助けられていますよっ」

「私もテスト前には教えてもらっていましたから、お互い様ですよ」


 その言葉に、亜子は少しうつむいた。おそらくは、今の会話の中の何かが亜子の心を刺したのだろう。それを理解すれば、きっと答えに近づくはずだ。申し訳無さを感じながらも、あかりは会話を続けると決めた。


「テスト勉強を手伝うくらいなら、大した事じゃないですよっ。あかりちゃんに恩返しできるものなら、安いものですっ」

「ときこさんは、あの時から優秀でしたよね。今回も、その優秀さを発揮してくださいね」

「もちろんですっ。この謎に込められた想い、解き明かしてみせますっ」


 笑顔を浮かべて胸を張り、ときこはそう告げる。亜子は、ふたりの間に何度も視線を行き来させていた。不安を隠せない姿に、あかりはまっすぐに亜子と目を合わせた。


「お願いします。その答えが分かれば、きっと私達は前に進めるはずなんです」


 少しかすれた声で語ってから一礼して去っていく亜子を見ながら、ときこは明るい顔で手を振っていた。あかりは玄関まで亜子についていき、頭を下げて見送った。少し高くなった日が、わずかに眩しく見えていた。

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