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第5話 手と手を繋いで

 それから放課後。あかりは剛と愛花のふたりを空き教室に連れてきた。愛花は、リストバンドをぎゅっと握りしめながら、ときこと剛の間で視線をさまよわせていた。


 剛は、愛花から視線を外せないまま、それでもわずかにときこの方を向く。


「まったく、急に呼び出されたと思ったら。あれ以上話すことなんてねえよ」

「ごめんね、剛君。でも、私は聞きたいな」

「仕方ないな。なら、その推理とやらを聞かせてくれよ。間違ってたら、笑ってやる」


 その言葉に、いつも通りの笑顔を浮かべたときこは推理を示す。


「剛くんは、絵馬に書きたいことなんて無いって言っていましたよねっ。あれが全部です。本当に、何も書きたくなかったんですよ」


 剛は、拳を握ってうつむく。愛花は、剛の姿を見て、思わずといった様子で声を出す。


「えっ、剛君……?」


 驚きを隠せないという声で、愛花は剛を見つめる。とても不安そうに。だが、あかりは落ち着いた心持ちだった。間違いなく、剛は愛花を大切にしている。そう信じていた。


「待ってください。二人とも。ときこさん、まだ終わっていないんですよね」

「そうですねっ。では、順番に話していきますねっ」


 その言葉を聞いて、愛花はほっと息をつく。剛はうつむいたままだった。そんな動きを気にした様子もなく、ときこは話し続ける。


「まず、二人は付き合ったばかりです。その時間は、一般的には、これまでより強い幸福を覚えると言いますよね」

「はい、そうですね。恋愛の始まりは、とても幸せなものです」

「普通、誰だってそうだろ。当たり前のことじゃないか」


 ぶっきらぼうながらも、剛は確かに自らの感情を肯定していた。あかりは手応えを覚える。


 あかりにとっても、恋の幸福は大きなものだった。だからこそ、いま付き合っている二人はもっと満たされているのだろう。そう推測していた。


 ただ、剛はどこかバツが悪そうにうつむいている。愛花は、それを心配そうに見つめていた。


「そして幸子さんは、ふたりが付き合ってから愛花さんが変わったと言っていましたっ」

「そりゃあ、恋人になって相手を幸せにする努力なんて、ただの義務だろ」


 その視線を受けて、愛花は微笑んだ。剛に対する想いを形にするかのように、華やかに。


 剛はそっぽを向きながらも、視線は愛花から外れない。やはり、隠せない好意があるのだろう。あかりには容易く見て取れた。


「あかりちゃんによると、素敵な彼女は一緒にいるだけで幸せらしいです」

「もちろんです。恋人との時間は、どんな相手かによって変わりますよ」

「ふん。それを否定した記憶はねえよ。余計なことばかり言いやがって」


 剛は目を伏せ、愛花はそんな剛の方を見ていた。ふたりの出会いは、本当に運命だったのだろう。間違いなく、素晴らしい関係を築けている。あかりは、見ているだけで胸が暖かくなると感じていた。


「そして私の話なんですけど、計画書に、良い感じにこなすとだけ書いたんですよ。特に変えたいことがなかったので」

「ああ、ありましたね。探偵としては、どうかと思いますけど」

「ときこさん、だらしないんですね。だから、あかりさんはしっかりしているんでしょうね」


 愛花は、少し楽しそうに話す。そんな愛花に、剛はほんの少しの視線を向けた。


 ため息を吐きたいあかりだったが、依頼主達の手前、我慢する。それに何より、今のような時間も大切な思い出だと感じていた。


「そして、単純接触効果の話になります。これは、過ごす時間が長いほど、好意が増幅すると説明しました」

「まあ、そこまで単純ではないでしょうけどね。でも、傾向はあるのでしょう」

「私も、初めて出会った時より、剛君がずっと好きです」

「愛花……」


 胸に両手を当てて、愛花は語る。剛は頬を染めて視線をそらした。


 当たり前のようにある関係は、あかりにときことの付き合いを想起させた。剛と愛花には、自分達のように長く続く仲で居てほしい。あかりはそんな祈りを抱いていた。


「まとめると、付き合ったばかりの幸せは、とても大きい。だからこそ、これ以上幸せになるイメージができなかった。ずっと増幅する幸福なんて、信じられなかったんですっ」


 そこまで話し、ときこは剛を指差す。そんな剛は、ときこから目をそらした。


「そこから導き出される結論は、単純ですっ。剛くん、あなたは、何も変わってほしくなかった。今が一番幸せだからこそ。その証が、空白の絵馬なんですよねっ」


 剛は、目を見開いた。そして、顔を真っ赤に染めていく。図星だろう。あかりは直感した。つまり、剛だって愛花のことを大好きなままだった。信じていたとはいえ、事実がハッキリしたことに、あかりはそっと息をついた。


「なに勝手なこと言ってんだよ!」

「間違っているのなら、そう言ってくださいねっ」

「……」


 剛は口を引き締めて黙り込み、視線をさまよわせていた。その様子を見た愛花は、顔を喜色に染める。


 あかりは、ようやく剛の想いに届いたのだと感じた。反応を見る限りでは、おそらく正解だろう。つまり、剛は心から愛花を大切に思っている。ほぼ確信していたとはいえ、事実がハッキリとしたことに、確かな安堵を得ていた。


「ねえ、剛さん。あなたの心を、明かしてください。愛花さんは、ずっと心配していたんですよ」


 その言葉を受け、剛は下を見て拳を握る。そして愛花の方を見て、更に拳を握りしめ、ゆっくりと話し出す。


「愛花と付き合ったところで、今までとそう変わらないだろう。最初は、そう思っていたよ」


 ぽつりぽつりと、剛はこぼす。あかりにだって、分かる気持ちだ。恋人は特別な関係だと信じたい。だが、本当に大きく感情が変わるのか。そんな疑いを抱えていたのも事実だったから。


「でも、違った。デートをするたびに胸が弾んだ。ただ同じ時間を過ごせるだけで、穏やかな気持ちになれた」


 その幸せを思い出しているのだろう。どこか頬を赤らめながら、剛は語っていた。そんな様子を、愛花も嬉しそうに見ている。そのまま、剛は言葉を続けた。


「これ以上の幸せなんてあるのかって、本気で思ったよ。ずっと一緒だったのにな」


 満たされたように、剛は胸の前で拳を握っていた。とても理想的な恋人関係だ。あかりには、そう思えていた。ただ、剛はすぐにうつむく。


「それなのに、神様に幸せにしてほしいなんて言えないだろ?」


 本当に幸せだったから、剛はためらったのだろう。どこか切なそうな笑顔を浮かべる剛の感情は、あかりには強く伝わっていた。


「怖かったんだよ!バチが当たりそうで!こんなに幸せなのに、もっともっとって求めたら! そんな強欲、許されるわけがないだろ!」


 吐き出すように剛は叫ぶ。その様子からは、心からの恐れがうかがえた。きっと、災害と信仰の関係を調べたからこそ、バチという概念を強く考えた。おそらくは、天罰として扱われている災害について知って、想像を抑えきれなかったのだ。あかりには、そう見えた。


 ほんの少し震える剛の姿に、あかりは確かな信仰心を感じていた。信仰が無かったのではない。むしろ、強い信仰を抱えていたからこそ、空白の絵馬が生まれたのだろう。剛にとって、さらなる幸福を求めることは罪だったのだ。そんな結論に至った。


 今の幸せが失われることが怖い。そんな気持ちは、あかりにはよく理解できた。幸せであればあるほど、それを無くした未来は空虚に思えてしまう。剛が叫ぶほどの感情を抱えていることに、強く共感していた。あかり自身とて、感じたことのあるものだったから。


 ただ、愛花はゆっくりと剛の両手を包む。そして、すべてを受け止めるかのような笑みを浮かべた。


「剛君、そんな風に思ってくれていたんだ……! 心配だったんだよ。嫌われていたらどうしようって。不満だったならどうしようって」

「悪い、愛花。俺は、自分の不安に負けただけだったな……」

「ううん。それなら、私だって同じ。どうせ罰を受けるなら、一緒にだよ。だから私、もっと幸せになれるように頑張るね!」


 確かな決意を秘めた瞳で、愛花は宣言する。ふたりはじっと見つめ合い、剛は軽く息を吐いた。


 あかりには、それは重荷を下ろした人の様子に見えていた。つまり、愛花の心は剛に届いたのだろう。これなら、二人の未来は明るいはずだ。曇りなく、そう信じることができていた。


「ああ、そうだな。お前さえ居てくれるのなら、きっとどんなことだって乗り越えられる。そう信じるよ」


 憑き物の消えたような瞳で、剛は語る。その言葉に、愛花は花開くような笑顔で答えた。その笑顔が、ふたりの幸せな未来を象徴している。あかりはそう感じていた。


 ふたりのすべてを、ときこは笑顔を浮かべたまま見ていた。


「ありがとうございました、ときこさん、あかりさん。おかげで、二人の未来が見えた気がします」

「悪かったな、妙な態度を取って。俺からも、感謝する」


 誰もが明るい未来を信じている。少なくとも、あかりから見て。だからこそ、あかりは目一杯の笑顔を浮かべた。


「いえ、こちらこそ。これからの皆さんに幸があることを、心から願っています」

「ありがとうございましたっ。おかげで、楽しかったですよっ」


 そんなときこの言葉に、剛と愛花は顔を見合わせて笑う。あかりは、その光景に満足感を抱いていた。


「探偵さんへの依頼料は、俺が払うよ。おかげで、大切なことに気づけたからな」

「ううん。私だって出したい。ふたりの未来の話なんだから、ふたりで、ね?」


 愛花と剛は、お互いの顔を見て頷き合う。そんな絆があれば、ふたりはどんな苦難でも乗り越えられるだろう。あかりは、心から信じていた。


「ふたりとも、素敵な想いでしたっ」


 笑顔のときこは、そう語った。そして依頼人達は、ときことあかりに深い礼をした。ときこは頷いて、あかりは礼を返した。晴れやかな空の下、剛と愛花は手をつないでいた。


 そして、料金を受け取ったときことあかりは、事務所へと帰る。そこで、今回の依頼を振り返っていた。


「良かったですね。愛花さんと剛さんの関係は、これからもずっと続きますよ」

「そうだと良いですねっ。私は、謎が解けて満足ですっ」

「ときこさんのおかげです。やはり、優秀な探偵ですね」

「もちろんですよっ。それにしても、今が一番幸せ、ですか。どんな気持ちなんでしょうねっ」


 首を傾げながら、笑顔のときこは語る。疑問を感じているとは、とても思えないほどの笑顔で。そんな姿に、あかりは強い寂しさを感じていた。愛花と剛の姿を見てさえ、謎に思うのだから。


「やはり、あなたには分からないのですね」


 どんな気持ちでそんな言葉をこぼしたのか、あかり自身にすら分からなかった。ただ、胸の奥がきゅっと締まるような感覚だけが、ずっと残ったままだった。

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