事務所が空いたので、あかりは情報を整理する。その中で困ったものを見つけたため、ときこに説教をする。机の上に雑に置かれた紙を指差し、声を荒らげながら。
「もう、計画書に一言だけ書くのをやめてください! 何が『良い感じにこなす』ですか!」
「だって、書きたいことが特にないんですよっ 」
「だからといって、一行だけで良いはずがないでしょう! 今日こそは、ちゃんと書いてもらいますからね! 愛花さんの大事な依頼なんですから!」
「あかりちゃん、手をひっぱらないでくださいよっ」
そんな一幕もありつつ、次の日。ときことあかりは愛花の通う学校に向かう。事前にあかりが学校に連絡しており、授業の邪魔をしない範囲であれば生徒や教師に確認を取っていいとの許可を得ていた。
ここ縁近高校は、宗心探偵事務所のある縁近市の公立高校だ。近所に住む学生達は、特に理由がなければここを選ぶ。良くも悪くも平均的と言える場所だった。
また、今後も地元で生活を考えている生徒が多い。唯一の特徴は、文化祭で地域の信仰について発表するのが恒例になっていることくらいだろう。同時に、ときことあかりの母校でもあった。
始業前にもかかわらず、校門あたりは賑わっている。その中で、あかりは剛を見つけた。そこで、情報を集めるために話しかけていく。
「すみません、宗心探偵事務所のものです。近藤剛さんですね?」
剛はあかりを一目みて、明らかに面倒くさいという顔をする。それを気にした様子もなく、ときこは話していく。
「どうして、絵馬に何も書かなかったんですかっ」
その言葉に、顔をしかめる剛。あかりはため息を付きたい気分をこらえながら、話を代わろうとする。だが、その前に剛が話し始めた。
「それが、あんた達にどう関係があるって言うんだよ。他人に言うことじゃないだろ」
「私達は、依頼を受けまして。愛花さんは、嫌われたのではないかと不安がっていました」
剛は一瞬目を伏せた。その姿に、あかりは愛花への想いを感じた気がした。愛花の不安を気にしているのだから、本気で愛想が尽きたことはありえない。あかりは胸を撫で下ろすような心地でいた。
そして剛は、語気を強めた様子で話し始める。
「愛花が……。いや、それでも関係ないだろ。書きたい望みなんてない。それだけだ。嫌いになったわけじゃない」
「もう何も欲しくないって、恋人もでしょうかっ」
「そもそも恋人はひとりで十分ですよ……。それに、どうしてこの場で……」
「当たり前だろ。俺には愛花がいるんだ。他の恋人なんて、欲しがるわけ無いだろ」
機嫌を損ねた様子で、剛は語る。あかりはときこの態度に嘆きたい気持ちでいっぱいだった。とはいえ、希望は見えている。少なくとも、別れ話にはならないだろう。剛の言葉で、ハッキリしたからだ。
とはいえ、剛の内心次第では、愛花が傷つく可能性は否定できない。あかりは今後の様子を注視しようと、剛をじっと見つめていた。そして、努めて明るい様子で話していく。
「なら、愛花さんには今の言葉を伝えておきますね。彼女の不安も、少しは消えるでしょうから」
「そうだな。それは頼む。俺から言っても、信じづらいだろうしな」
少しバツの悪そうな様子で頬をかきながら、剛はこぼす。あかりには、愛花に対する心配と、座りの悪さを覚えているように見えた。
そんな姿を見ながら、ときこは剛に質問を続ける。
「ところで、文化祭ではどんな信仰を調べたんですかっ」
「それは……」
剛は深くうつむいた。そのまま、ずっと黙り続ける。おそらくは、文化祭で信仰について調べた結果、何かが引っかかったのだろう。あかりはそう推測した。
そしてときこは、少し剛をながめた後、振り返って去っていく。あかりは一礼した後、ときこについていった。そのまま、ときこは他の生徒の前に向かう。あかりは、ときこが話しだす前に自己紹介をした。
「すみません、宗心探偵事務所のものです。近藤剛さんはご存知ですか?」
「探偵ってやつ? 初めて見たかも。あいつなら、最近は彼女の自慢をしてばっかだな」
あかりの方を、男子生徒は興味深そうに見ていた。それから、羨ましそうな様子で話す。あかりは男子生徒の言葉に、自分の考えを深めていた。
剛は文化祭の題材を調べたことをきっかけに、何か引っかかりを抱いたのだろう。おそらくは、愛花との関係に関することで。その内容を知ることができれば、ふたりの未来はまっすぐなものになるはずだ。あかりは男子生徒の言葉をメモしながら、ペンに力を入れた。
「私が、探偵ですよっ。彼女は、助手ですね」
ときこは、胸を張って男子生徒の前に立つ。自信が見えるような姿に、男子生徒も感心している様子だった。
「へーっ。まさに本物って感じだな。俺も彼女を自慢してーなー」
「自慢ですかっ。彼女の自慢とテストの自慢、どっちの方が嬉しいんでしょうねっ」
「それを比べたら、台無しですよ……。素敵な彼女は、一緒にいるだけで幸せなんです」
ときこは笑顔で問いかけ、あかりは、胸に手を当てながら語る。男子生徒は、悔しそうな表情であかりに話しだす。
「一緒にいるだけで幸せって、俺も感じてみてえよ。あいつら、幼馴染なんだろ? 俺にも、幼馴染が居たらな。付き合えたのかもしれねえのに」
「幼馴染がいっぱい居たら、モテモテになるんでしょうかっ」
「男女複数が幼馴染なら、修羅場一直線ですよ……」
頭を抱えながら、あかりはツッコミを入れる。その言葉に対し、ときこは感心した様子でうなづく。男子生徒は、わずかにときこを睨んだ。
「もう良いか? そろそろ、宿題を解けなくなっちまう」
「それはいけませんね。では、どうぞ。ありがとうございました」
男子生徒は、手を大きくあげて去っていく。ときこは顔の横で小さく手を振り、あかりは一礼した。あかりは、剛と愛花に思いを馳せていた。幼馴染だったからといって、付き合えるわけではない。
そして、剛と愛花は現実にある壁を乗り越えて恋人にまでなったのだ。だからこそ、ふたりの思いが途切れないでほしい。きっと、これから先も幼馴染であるという関係は変わらない。ときことあかりのように。だが、もっと良い未来をつかみ取ってほしい。わずかに曇った空を見ながら、あかりは願った。
「剛さんは愛花さんを大事にしていた可能性が高いですね。そうじゃなきゃ、自慢なんてしないでしょうから」
「そうですねっ。でも、まだ答えにはたどり着けていませんっ。もう少し、調べてみましょうっ」
それからは、早足で歩く生徒が多くなったため、あかり達はいったん調査を停止した。ホームルームを終えるのを待ち、職員室に向かう。そこで、壮年の男に問いかけていく。剛と愛花の担任だ。
「おはようございます、先生。近藤剛さんの話を、お聞きして良いですか?」
「もちろんです。といっても、話せることは多くありませんが。ぶっきらぼうなところはありますが、良い子ですよ」
あかりは、担任の言葉に確かな信頼を感じていた。声にゆらぎはなく、落ち着いた調子は崩れていない。また、笑顔のままであったからだ。
つまり、剛が悪意を持って絵馬を空白にした可能性は低い。あかりはそう判断していた。
「ぶっきらぼうだけど良い子って、ツンデレみたいなものでしょうかっ」
「そんな単純なものでは……。年頃と思えば、納得できる話ではありますが」
「実際、高校生としては一般的なラインかと。多少言葉にトゲはありますが、可愛いものです」
「なるほど。彼女である愛花さんとの関係は、どう見えますか?」
担任は少し考え込み、感慨深そうに話し始める。
「若いというのは、ああいう事を言うのでしょうね。恋にのめり込んでいる様子ですよ」
「恋愛に集中していると、相手以外見えなくなるって言いますよねっ。信号に引っかかったりしないのでしょうかっ」
「そういう意味では……。いや、部分的には合っているのでしょうか」
首を傾げながら言うときこと返事をするあかりを見て、担任はくつくつと喉を鳴らす。その穏やかな表情は、あかりには何かを懐かしんでいるように見えた。おそらくは、かつての生徒とときこを重ねているのだろう。そう思っていた。
「探偵さんは、どうにも恋愛が苦手なご様子。あるいは、だからこそ客観的に見られるのでしょうか」
「そうですね。ときこさんは優秀な探偵ですよ」
「恋愛専門なんですよっ。とても興味があるのでっ」
「なるほど。それは、いい経験になるでしょうね。応援していますよ」
担任はその言葉を最後に、パソコンへと視線を向けた。そのままキーボードを打ち込み始める。ときこは担任に対して、一言だけの質問をする。
「剛くんは、文化祭で何を調べていたんですかっ」
「信仰と災害の関係について、ですね」
「なるほど。ありがとうございましたっ」
「お邪魔して、申し訳ありません。ご協力、感謝します」
ときこは軽く、あかりは深く礼をして、職員室から去っていく。ときこは笑顔で頷いていたが、あかりには納得できなかった。どうして、信仰と災害の関係についてというだけで十分だと判断したのだろうか。それが分からずに。
そしてふたりは空き教室に入り、ときこは元気いっぱいに話していく。
「さて、いったん情報をまとめてみましょうかっ。そうすれば、何かが見えてくるかもしれませんっ」
ときこは迷いなく話を進める。その言葉を受け、あかりはメモ帳を見ていく。一つ一つ確認しながら、情報を口に出す。
「まずは、剛さんの絵馬が空白だったこと。剛さんと愛花さんは最近付き合い始めたこと。後は、剛さんが災害と信仰の関係について調べていたことですね」
「はいっ。もうひとつは、剛くんが神社の作法に詳しいということですねっ」
「なら、願いたいことが多すぎて、書くことが決められなかったというのはどうでしょう」
信仰心があるのなら、願いが叶うと期待しながら絵馬を書くものだろう。抱える願いがどれも大事で、選びきれなかった。そんな感情ならば、自分にも分かる。あかりはそう感じていた。
だが、ときこは笑顔のまま首を横に振る。
「違いますよっ。剛くんは、書きたいことなんてないと言っていましたっ。それと矛盾していますからっ」
「では、どうしてでしょうか」
「信仰心が、関わっているでしょうねっ。そうですねっ、災害……、祟り……」
ときこはあごに指を当て、考え始める。その姿を見て、あかりは今回の事件を解決できると判断した。おそらくは、重要な手がかりをつかんだのだろう。そう考え、あかりはときこを待った。
そして、ときこはまっすぐに前を見て、胸に手を当て、明るく言葉を発した。
「近藤剛さん。あなたの想い、届きましたよっ」
それは、ときこが謎を解いたという宣言だった。