──漆黒の道着に着替える。
刀哉との最後の試合の時も、僕はこの道着を着ていた。
八咲が道着を着て来いと言うからには、それ相応の意味があるのだ。
孤独に病と闘い続けた八咲を理解し、彼女を孤独から解放する。
覚悟を決めた八咲に、死ぬなとは言えない。助けてやるとも言えない。ただ、孤独のまま死なせたくない。君は独りではないのだと、それを伝えなければならない。
上着を羽織り、竹刀袋を持つ。中には験の良い、試合用の竹刀が一振り。足袋に足を通す。学生なら本来靴なのだろうが、恰好が様にならないのでやめておく。外でも履けるように改良された足袋だ。室内ではもちろん脱ぐ。
玄関に腰を下ろし、外出用の足袋を履いていると、後ろで床が軋む音がした。振り返らない。その人の貌を見てしまったら、泣き崩れてしまいそうだから。
「振り返らずに聞きなさい」
その人は僕の後ろから言葉を投げかける。僕は足袋を履きながら聞く。
「私はあなたを、弟子として心の底から大切に想っています」
そんなことは知っている。とっくの昔から知っている。
この人ほど僕を理解してくれている人はいない。師匠の愛は偉大なのだ。
「あなたはどんな困難にも立ち向かう勇気がある。強さがある。だから私は胸を張って言いましょう。あなたは私の一番弟子だと」
その言葉が、僕の背中を強く押してくれた。
「後悔しない選択などありません。あなたは必ず後悔をするでしょう」
分かってる。とっくに後悔してる。もっと早く、このトラウマを克服するべきだった。もっと早く、刀哉と向き合っていればよかった。もっと早く、八咲のことを理解していればよかった。考えれば後悔しかない。僕はきっとそういう生き物なのだろう。
先生もそれが分かっている。だからこう言うんだ。
「だからせめて、清々しく後悔できるよう、全力でぶつかってきなさい。彼女は必ず、あなたを受け止めてくれるはずだから」
戸に手を掛ける。先生はもう、何も言わなかった。
「ありがとうございます、先生……行ってきます」
「ええ、行ってらっしゃい」
そうして、僕は前に進む。八咲の待つ場所へ。