目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

二十七本目:僕は

 一から整理しよう。


 ──八咲は生まれつき体が弱く、心臓の病を患っていた。僕と刀哉の事件のあたりで、彼女は余命を告げられた。


 その時の絶望は、おおよそ僕なんかが想像することはできないものだ。


 それでも彼女は絶望を抱えながらも前に突き進み、己の魂の宿命を全うすべく僕の前に現れた。以上が、僕が頭に入れておかなくてはならない前提だ。


 真に考えるべきはこの後。八咲の過去を踏まえて、僕と出会ってからを考えるんだ。


 その中で、思い当たる節があれば決して逃してはならない。よく思い出せ。彼女との思い出を。脳裏に焼き付けた彼女の姿を、最期の瞬間まで忘れないように。ここから、僕との関わりの中で、僕にしかできないことを探していく。きっと、見つかるはずだ。


 僕にしかできないこと。僕が八咲をどう想っているかの答えが。


 さぁ、思い出せ。記憶を最初から掘り起こそう。


 初めて見た時の彼女は、まるで剣に愛された存在だと思った。剣の申し子、剣が人の姿を得て竹刀を振っている。そんな感想を抱いた。今なら分かる。彼女から聞こえたあの煌びやかな鉄の音は、彼女の魂に宿っている剣の音だ。


 美しく、儚い、透き通った硝子のように綺麗な、彼女の剣。

 八咲は僕を入部させるために強引な手段を取った。今となっては僕のためを思ってやってくれた行動だと分かる。無茶苦茶な行動の奥に、仄かな優しさも薫っていたのが、分かる。


 三年生を相手に暴君のまま立ち回る姿は圧倒的だった。入学式の時に部長をのしていたのもそうだが、刀哉という強者を従えていたこともなお威圧感を滲ませる要因だったのだろう。


 一緒に食べた団子は美味しかった。あれもきっと、八咲の中では一つの夢だったのだと思う。僕たちと稽古することに加えて、中学の頃にできなかった青春を取り戻そうと。


 僕のことを本気で心配してくれていたからこその、先輩に対する態度、刀哉を引き連れて僕の家に突撃してきたこと、全部全部、八咲は自分の結末が分かっていたから、必死だったんだ。全力で、余裕なんかなくて、自分の願いのために、そして、僕がこれから歩む未来のために、彼女は文字通り命を燃やして、一歩ずつ、一歩ずつ、歩んできたのだ。


 三年生を倒した後の彼女は、本当に陳腐な表現だけど、どこにでもいる女子高生みたいな感じで、美味しいものを美味しそうに頬張って、やったことないゲームでも全力で楽しんで、そして、長年の夢だった僕たちとの稽古も、心の底から笑顔で取り組んで。


 最後の大会、決勝を戦う彼女の剣技は、紛うことなき神へ捧げる舞だった。剣の神様へ、魂を差し出すための儀式のようだった。彼女は剣に愛されている。


 ああ、そういうことか。彼女は愛されているからこそ、命が短いのだ。

 神が早く、彼女の魂を迎えたかったから。


 あの剣舞は、今でも網膜に焼き付いている。瞬きなんか忘れていた。脳天から爪先まで、彼女の姿を今でも思い描ける。一生忘れることはないだろう。それほどまでに、彼女の剣は僕の心を虜にした。永遠に続けばいいとさえ、思っていた。


 だが、残酷にも時は来た。彼女の宿命という刃が、彼女の喉元に突き付けられた。

 そうして彼女は、僕と刀哉に全てを話した。


 ──記憶の旅を終える。全てを思い出し、そして再び思い描く。


 八咲の姿を。八咲の声を。八咲の顔を。八咲の剣を。全部、全部、全部。僕は一つも忘れていない。何故なら。僕は、彼女のことを大切に想っているからだ。恩を感じているから。トラウマの克服に躍起になってくれたことに恩を感じているから。


 違う。そうじゃない。もっと踏み込め。僕自身の魂に語りかけるんだ。考えろ。どうして、僕は、八咲の全てを、大切に想える。どうして、八咲を理解したいと、強く想うんだ。


 それは、八咲のことが大切で。

 八咲 沙耶という少女を、僕は──。





「あ、そうか。僕は、八咲のことが好きなんだ」





 ストン、と。魂が腰を落ち着けた。


「気付きましたか。そう、それでいいのです」


 先生は、ずっと僕を見続けていた。否、見守り続けてくれていた。

 そして抱き締める。僕の魂が答えを得たことを喜ぶように。


「なら、もう分かりますよね、剣司君」


 一度、目を閉じる。思い出すのは、大好きな人の姿。

 その姿がもうすぐ失われることを、考えてしまう。


「先生」


 頭に浮かぶのは、八咲の笑顔。みたらし団子を美味しいと言って食べる八咲の笑顔。

 ゲームをしている時の、無邪気な笑顔。念願の稽古ができて喜びに満ちた八咲の笑顔。

 笑顔。笑顔。八咲の笑顔ばかり。焼き付いて、魂に貼り付いて、消えようとしなかった。


「涙が、」


 だけど消える。彼女は死ぬ。大好きな人が死ぬ。

 治る奇跡は起こらない。神に祈っても、現実は残酷だ。


「好きな人が死ぬって、悲しくて、辛いん、ですね」


 先生の、僕を抱き締める力が一層強くなった。嗚咽が聞こえるが、先生の顔が見えなかった。


「その通りです。辛いのです。でも、孤独じゃない。みんな、独りじゃないんです。どうか、どうか私からもお願いします。私にできなかったことを──あなたが、してあげて」


 たとえ死を迎えるとしても、孤独からは解放できる。それが、僕にしかできないことだ。

 彼女に想いを告げ、その果てに報われなくても。彼女の恩に報いる。それだけは、必ず果たさなければならない。魂に──灯が燈った。


 それと同時だった。自室に置いてきた僕のスマホに一件の着信が入っていた。

 LINEのメッセージ。八咲 沙耶。


 今日、二十一時に道着姿でここへ来てくれ。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?