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二十二本目:『夢』そのもの

「さぁ、稽古を始めようじゃないか」


 稽古終了後、八咲は着替えに行こうとする僕と刀哉の首根っこを捕まえてそう言った。


「いや、稽古って、もう終わったじゃんか」

「はっはっは、私に打たれ過ぎて頭がおかしくなったか刀哉? 稽古が終わって五代部長から最終下校時刻までは良いと許可を取った。もう私たちを止めるものはない。さぁ稽古をするぞ。あのゲームの大敗の雪辱を晴らしてくれる。なぁ達桐?」


 八咲の満面の笑みを見て、僕も刀哉も何も言えなくなる。


 ──あの一件の余韻がまだ抜け切らぬ中の部活動。正直言って相当気まずいんじゃないかと思ったけど、拍子抜けするほど何もなかった。唯一変化があったとすれば、僕が稽古に復帰したという点だ。僕ら一年生に対して好意的じゃない面々もいただろうに、そんな雰囲気は僕が鈍いだけかもしれないけど、あまり感じられなかった。


 何故かは、なんとなく分かる。


「にしてもまさか、沙耶が今度の大会の個人戦選手に選ばれるとはな」


 刀哉が今日の部活であった報告を口にする。うん、それは僕も驚いた。個人戦は各校男女ともに選抜二名しか出場できないのだ。どうやら八咲の剣道は、あの試合において反発していた全ての先輩方を認めさせてしまったらしい。


 ウチの剣道部は女子がほとんどいないが、それでも数人はいる。いくら実力主義な部活とはいえ、八咲は三年の先輩を押し退けて個人戦の座を獲得してしまったのだ。


 おそらく剣の実力だけではなく、五代部長の口添えもあったからだろうとは思うけども。しかし、八咲の強さは確かにもう敵視するとか、対抗意識を抱くとかそういった心すらも放棄せざるを得ないほど怪物じみている。


「どうした達桐。防具を着けたまえ。早く始めようじゃないか」


 当の八咲は、僕ら三人で稽古をすることがよっぽど待ちきれないのか、おあずけをされている犬のように目を輝かせて僕を急かす。いつになくハイテンションな八咲だが、それも当然だろう。


 待ちわびた瞬間が、今目の前にあるのだ。僕が中学時代、刀哉とベスト16でぶつかったことを思い出す。


 あの白線の向こう側に刀哉が立っている姿を見た時、そりゃあもう興奮して心臓が加速したものだ。それと同じ気持ちなんだ。なら、とやかく言うのは無粋だ。


「うん、やろう」


 三人だけの道場。僕たちが床を踏む音と、防具の擦れる音で満ちる空間。この場こそが八咲の求めた桃源郷なのだ。部活で十分に体は温まっている。


「勝ち残りだ。順番待ちの一人が審判。一本勝負。時間は……まぁ三分でいいだろう」

「そうだな。巡りを良くするのもあるし、体力的にもな」


 一瞬、刀哉の発言は八咲の体調を慮ったものだろうと思い、心臓が跳ねた。しかし、八咲は軽く「うむ」と肯定するだけで別段気にしていない様子だった。


 今日の稽古ではしんどそうにする姿は見えなかった。調子が良いのだろうか?


「じゃーまずは俺と沙耶で行くぜ! 剣司、審判頼むな!」

「分かった」


 タイマーをセットし、二人が白線の内側に入る。抜刀から蹲踞の動作だけで、二人が遊園地のアトラクションを前にした子どものようにワクワクしているのが伝わってきた。


 始め、の声と同時に、二人が全く躊躇なく飛び込んだ。


 刀哉は上段に構えながらそのまま。八咲は飛び込んでくるのが分かっていたかのように合わせにいった。三十センチ以上の身長差があるはずなのに、相殺するあたりやはり八咲の打突の強さには舌を巻く。鍔迫り合いで互いの視線が交差した。僕の見間違いじゃなければ。


 二人は、笑っていた。


「っりゃああああ!」

「サァアアアアアッ」


 それは歓喜の気勢だった。刀哉が体重を利用して八咲の矮躯を弾こうとする。

 だが、その力の流れからすり抜けるように八咲の体が力の向きとは逆に動いた。刀哉が驚いて体勢を入れ替えながら面を守るが、八咲はその防御の動きまで読んでいたらしい。


「コテェェッ」


 気持ち良いくらいに乾いた炸裂音が響く。文句なしのコテアリだ。


「だぁーっ! なんで俺の動き読めるんだおまえは!」

「はっはっは、分かりやすすぎるんだよ刀哉は。ほら、交代だ」


 ちくしょー、と唇を尖らせながら正座して面を外す刀哉。僕から審判の旗を受け取った。

 僕もすぐに面を着けて、八咲の正面に立つ。


 そういえば、八咲と防具を着けて向かい合うのは初めてだ。鉄格子の向こう側に、黒い道着を纏った、一人の女侍が佇んでいる。しかし、その姿は決闘に臨むというものではなく、どこか友人と団子でも食べに行く、町娘のような。


「さぁ、剣司。逢引きをしようじゃないか。五代部長を打った一撃を見せてみたまえ」

「……やってやるさ」


 逢引き。まったく、八咲が好きそうな言葉遊びだ。思わずドキッとするが、僕の反応を見て揶揄っているだけだ。


 でも、そうかもな。青春ど真ん中の高校生にとって楽しいことと言えば、そりゃあ男女のデートだ。街に買い物に出かけたり、遊園地に行ったり、ご飯を食べに行ったり。世間一般ではそれがデートなのだろう。


 でも僕たちは違う。僕たちにとっては。


「おぉおおおおおおおッ」


 お洒落の欠片もない道着と防具を身に纏い、色気の欠片もない竹刀を振りかぶり、可愛さなんて微塵もない動きでぶつかり合い、百年の恋も冷める気勢の声を上げる。

 それでいい。それが僕たちの──逢引きデートだ。


 一瞬も気が抜けない。一回でも瞬きをしたら斬り落とされる。息が続かなくなりそうだ。

 苦しいはずなのに、どうしてだろう。八咲から笑顔が消えない。


「はは、ははは! なんだ剣司、良い笑顔じゃないか! 楽しいか?」

「え? 笑ってる?」

「ああ! 心の底からな! 私もだよ!」


 八咲が中段から動く。技の起こりが見えた。面を狙ってくる。ならば相面で勝負に──、

 と、思った瞬間だった。八咲の微かに浮いたと思った竹刀がまっすぐ伸びてくる。面打ちじゃない。最小限の動きで僕の動きを誘導する、身の毛もよだつ技術だ。


「突いたァッッ」


 視界がブレる。喉に衝撃が走る。首を貫通したかと思った。思わず片膝をついてしまう。

 突き、か。最短距離で進む、剣道における最速の打突だ。全く見えなかった。


 刀哉もニヤニヤしながら旗を上げる。


「おらぁ! 突きアリじゃあ! 代われ剣司! リベンジだ沙耶!」

「ちょっと水を飲ませてくれよ。二人でやっていいぞ」


「あぁん? しゃーねぇな。オラ剣司立て! 打たれたら自己申告な!」

「ゲホ……分かったよ、ちょっと待って」


 早く立て! と言いながら刀哉が僕の首根っこを引っ張り上げる。さらに苦しい。


「しゃーっ! 行くぞ! あの日の再戦だ!」

「……それはちゃんとした舞台で、じゃないのか?」


「おっと、それもそうか。じゃあいいや前哨戦だ!」


 刀哉が上段に構える。ようやく突きのダメージが抜けた僕も構えて刀哉と相対する。

 あの日の続き。ちゃんとした舞台で、とは言ったものの、やっぱり意識する。


「行くぞ剣司!」

「来い、刀哉!」


 やっぱり、気分が上がる。咆哮は同時、打突も同時。僕は動き出す瞬間の小手を。刀哉は捨て身で僕の面を打ち抜いてくる。互いに芯は外した。面金で火花を散らせて同時に引き技。


 見逃さなかった。僕の打突の方が早かった。頭への衝撃よりも先に、刀哉の面を捉えたという手応えが確かに伝わってきた。互いに切っ先を天に刺すようにして残心を取り切る。


「ハッハァ! 俺の一本だ剣司!」

「な、はぁ? どう見ても僕だろ! 僕が先だった!」

「あ? 寝ぼけてんじゃねぇぞ? 俺のが先に当たってたっつーの!」

「いいや、僕だね!」

「俺だ!」


 ズカズカと互いに近付き、メンチを切ること数秒。


「……二人とも私より弱いのだから、どんぐりの背比べは止めたまえよ」


 かっちーん。八咲が禁句を放ちやがった。


「上等だ! 入りやがれ沙耶ァ!」

「僕も今のは聞き捨てならないな。リベンジだ八咲」

「フン、いいだろう。ならばここから私が一本を取るたびに、団子を一本奢ってもらおうか」

「俺が一本取ったらファムチキ奢れよ?」

「僕はフランクフルトで」

「貴様らの財布はどうやら太っているようだ。健康的じゃない。私が痩せさせてやる」


 強気な笑みを浮かべる八咲は、やっぱり心の底から楽しそうで。


「剣司、まずは俺が行く」


 刀哉も、いつも以上に犬歯をむき出しにして、


「かかってこい。君たち二人でも私には勝てないよ」

「やってやんぜオルァッ!」


 なんていうか、青春してるな、って。心の底から思ったんだ。



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