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八本目:おまえは一体

 クラス分けは、僕にとっては非常に助かる組分けだった。


 刀哉と八咲が一緒で、僕だけ別のクラス。八咲の投げかけてくれた言葉が心に沁みる。


 手のマメを撫でた。あそこまで手放しにこのボロボロの手を褒めてくれた人はいなかった。

 嬉しかった。誉めてほしいから努力していたワケじゃないけど、やっぱり人知れないところでコツコツと積み重ねてきたことには誇りを持っていたから。


 いざ試合になって、不安を感じない選手はいけない。そんな時、今まで積み重ねてきた努力を思い返して弱い心を吹き飛ばすのだ。


 僕だってそうしてきた。だから、自分の頑張ってきた努力を認めてもらうのは、とても嬉しいことだった。


 きっと、彼女も筆舌にし難いほどの努力を重ねてきたのだろう。でなければあんな言葉は出てこない。さらには、華の女子が肌のことを一切放棄して、あそこまで自分の手を傷だらけにできるはずがない。


「──……以上です。それでは新入生の皆さん、これからよろしくお願いします」


 壇上に立つ校長が最後に礼で締めくくり、進行役が二言三言述べて入学式は終わりとなった。


 教室に戻り、入学式の日によくある自己紹介を済ませ、いくつかの連絡事項を聞いて解散。入学式と言っても昼くらいまでで、授業に比べたら早く終わる。


 さて、どうしようかな。窓際の席で体を伸ばしながら、強く照ってくる陽射しを見る。


 今日はかなり暑い。四月の上旬にしては異様なほどだ。アスファルトが空気を温めてより気温を上げている。その暑さのせいで午前中だけだったのにやたらと時間が長く感じた。


 夏とか酷いことになりそうだ。そう思いながらスマホを適当に触る。よく覗くSNSからお気に入りのコミックスの新刊情報が僕の目に飛び込んできた。これ、今日発売だったのか。買いに行かなきゃ──と思って席を立った瞬間、携帯に着信が入る。LINEだ。


『剣司』


 相手は──と画面を見た瞬間、心臓が棘で締めつけられるようにズキリと跳ねた。


『今朝は悪かったな』


 刀哉からだった。


「……だから、なんで君が謝るんだよ……」


 刀哉は悪くない。情けない僕が悪いのだ。


 あぁ……また余計に気を使わせる結果になってしまった。なんで僕はいつもこうなのだろう。


 あまり人と関わるべきではないのか。もうさっさとコミックスを買って帰ろう。


 クラスメートたちは思い思いにLINEを交換し合っているが、どうしてもそんな気になれない。

 スマホをポケットに突っ込もうとした瞬間、手の中でスマホが再び震えた。


『ホームルーム終わったなら、ちょっと中庭に来てくれ』


 中庭? 行くワケがない──。


『俺に対して申し訳ないと本気で思ってるなら、来い』


 体が固まる。刀哉からのメッセージが持つ引力は、僕の目線を釘付けにして離さない。

 それは、僕にとっては条約よりも強制力を持った言葉だった。


「……ずるいなぁ。そう言われたら、行くしかないじゃないか……」


 しかし、今まで刀哉はこんな風にあの時のことを人質──この言い方が合っているかは別として──というか、僕の後ろめたさにつけ込むようなやり方はしてこなかったはずだ。


 どこか違和感を覚えながらも席を立ち、重たい足を引きずった。




×××




 中庭。学校紹介のパンフレットにも記載されていた、二段の噴水の脇。公立の高校にしては珍しいからこそのアピールポイントなのだろう。背中を向けて、囲うように四つのベンチが配置されていた。


 しかし、刀哉は自分が座る代わりに竹刀の入ったケースをベンチに横たわらせていた。「よっ」と気さくに手を挙げて僕を迎える。


「……来たよ。なんだ、尋問でもするのか」

「ンなことするワケねぇだろ」


 刀哉が鼻で笑う。


「勧誘だよ、勧誘。勧誘するもしないも、俺の自由だろ?」


 断わるのもおまえの自由だけどな、と付け加えた。道場の去り際に言ったことの意趣返しのつもりか。上手くない。ニヤリとドヤ顔を浮かべているのが腹立たしい。


「やらない。言っただろ。あんなことを起こす可能性があるヤツが、どうして剣道を──」


 いい加減しつこいな、とため息をこぼした時だった。

 刀哉の背後から、背の低い生徒が姿を見せた。


「や、八咲」


 どうしてここに、と思ったが考えれば当然か。刀哉と八咲は同じクラスだ。刀哉が僕を勧誘すると知ったら八咲も付いてくるに決まっている。また剣道をさせようと僕を言葉巧みにノせようとするのだろうか。


「やはり剣道をする気はないのか」

「……ないよ。さっきも言っただろう。僕は竹刀を構えることができない。そんなヤツが部に──こんな強豪校にいたって迷惑なだけだ」

「そうか」


 あっさりと受け入れる八咲。ちょっと肩透かしを食らった気分になり、右肩が少し下がる。




「じゃあ、勝負をしようじゃないか」




 と、思っていたら、まったく脈絡のないことを言い出した。


「──は?」

「君は剣道部に入りたくない。しかし、私と刀哉は君に剣道部に入ってほしい。互いの意思は平行線だ。ならばいくら話したって無駄だろうさ」


「そ、そうだね」

「話し合いが成立しないなら、力づくしかないだろう?」


 なんじゃそりゃ。思わずズッコケそうになる。


「待て待て待て! なんだその短絡的な考えは!」

「不毛な議論をしたくないのだよ。時間の無駄だから」


「こっちの意思は関係ないってか……」

「入部を強制していないのだ。君の意思は尊重しているぞ。そもそもの話、どうして直接教室へ行かず、わざわざ私が刀哉のスマホから君を呼び出したと思っている? 私たちがその気になれば、有無を言わさず君を道場まで連行することだってできるんだぞ」


 ……なるほど、あの違和感のあるメッセージは八咲が刀哉になりすまして送っていたのか。僕の逃げ道をなくすために。


 頭がくらくらしてきた。コイツ、とんでもない暴君だ。


「嫌なら勝負に勝てばいい。それだけの話だ。私が君から一本を取ったら、君は剣道部に入部し、トラウマの克服に勤しむこと。君は──」


 刀哉がベンチに置いていたケースから、八咲が二本の竹刀を抜く。


「私に向けて一度でも竹刀を振るうことができたら、君の勝ちだ。刀哉と私は二度と君を剣道部に勧誘しないと誓おう」


「──」


 かぁ、っと頭に血が上るのを感じた。馬鹿にしやがって。

 そんな僕の表情を見て何故か微笑む八咲。「そら」と言いながら竹刀を投げ渡してきた。


 竹刀を投げるなよと思ったが、咄嗟に掴み取ってしまう。

 僕にとって呪いの──竹刀。


「構えろ、でなければ斬るぞ」

「──っ」


 剣呑なセリフと同時に、全身が切り刻まれるような、とんでもない殺気が僕を襲った。

なんだこれは。まさか八咲は本気で僕を殺そうとしているのか? そう錯覚するほどの迫力に、反射的に竹刀を構えてしまった。


「──あ」


 どぐん、と心臓が一際強く脈打った。

 トラウマが蘇ろうとしてくる。視界の端から、罅が走るように血が巡ってくる。点滅して、ゆっくりと、目の前で沈む防具姿の剣士。言うまでもなく、刀哉の──。


 赤く染まる視界の中に、竹刀を構える八咲を見る。




 瞬間、しゃらん、という煌びやかな鉄の音がしたのと同時に、

 視界を染める鮮血が、刀哉の幻が、一瞬で吹き飛ばされた。




「え──」


 視界が鮮明になる。正しく配置された色が目に飛び込んでくる。

 トラウマが、発症しない。あの日から、竹刀を構えてこんなことはなかった。


 どうして──と疑問に思うよりも、僕の思考は八咲の姿で埋め尽くされていた。


 綺麗だ。全ての思考を置き去りにして、僕はそう呟いた。八咲の構えは、今までに見たどの構えよりも、先生の構えよりも、綺麗で。


 脳天から爪先まで、僕の全細胞が彼女の姿に夢中になった。


「もう一度互いの条件を確認するぞ。一太刀でも振ってみたまえ。そうすればもう二度と私たちは君を勧誘しないよ」


 だが、と空気を叩く噴水の音に紛れて、鈴のような八咲の声が響く。


「私が打ち込むまでに竹刀を振れなかったら──剣道部に入り給え」


 ちょっと待て。そんなの、知るか。ふざけるな。ああ、ダメだ。動けない。鮮血の映像の代わりに、絶世の構えが君臨している。


 どうしてトラウマが発症しない? 

 こんなことは今まで一度だってなかったのに。


 水が弾けるような、流麗な動き。空気に溶けるような、無駄のない体捌き。何だおまえ。なんなんだ。八咲 沙耶。おまえはいったい──。


「メェエエエンッッ!」


 何者なんだ。

 学校を象徴する噴水の中庭に、甲高い炸裂音が響いた。



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