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第10話 Launen

 考えてみれば、ハールヴァルドはいつもシンゴに「元の世界に戻してやる」と言っていた。

 何故それを真剣に受け止めていなかったのかと言われれば、自分でも「元の世界に戻れるか分からない」と思っていたというのもあるけれど、割とどうでもいいことだったから、かもしれない。

 どうでもいいというのも少しばかり違うかもしれないが、シンゴの中では今の生活に慣れるので精一杯で、彼の言葉を本気にしていなかったのだろうと思う。

 ハールヴァルドはいい人だ。その言葉を疑うような意識だって、シンゴにはない。

 でも、元の世界に戻る方法が分からない以上は彼の言葉は「希望」という他なく、それならば現在の生活に集中したほうがいいのではと思ってしまって、いて。

 それってもしかして結構失礼だったんだろうか。

 ヴァレリアと入れ替わりで戻ってきたハールヴァルドの背中をなんとなしに眺めながら、シンゴは思う。

 今日は特に買い物なんかもなかったのか、ハールヴァルドは前回のように大荷物ではなく少しの買い物だけで戻ってきた。外は結構な寒さだったらしく頬と鼻と耳が赤くなっていて、なんだかそれが彼を随分と幼く見せてちょっとだけ笑ってしまった。

 危うく出かけた「可愛い」という言葉を飲み込んだのは、正解だった。

 年上の成人男性相手に可愛いだなんて失礼にもほどがある。まぁ、なんだか幼く見えて可愛かったのは本当なのだけども。

「シンゴ、どうした? 疲れてんのか?」

「うぅん」

「またヴァレリアに遊ばれたんだろ。アイツはお前のことを気に入ってるからな」

 買ったものをデスクに乗せて外套を暖炉のそばに干してから、ハールヴァルドはシンゴがぼんやりとしているソファまでやってきた。

 熱を測るように額に触れた手は氷のように冷たくて、思わずその手を取って眺めてみれば指先も鼻の頭やなんかと同じように赤く、少しばかり湿っていた。

 手袋もしていなかったんだろうか。これではしもやけになってしまうのではと心配になって、シンゴは両手のひらでハールヴァルドの手を挟んでやった。

 片手だけでも、少しは違うだろう。

「はは。あったけぇ」

「氷みたいだ」

「まぁ、寒かったからな」

「手袋は?」

「あっという間に濡れちまったよ」

 あぁ、雪か。

 チラッと窓の方を見れば、窓は少し曇って外が見えにくくなってしまっている。確かこの砦は寒い地域にあるから二枚窓になっているとか言っていたが、それでもこんなにも寒そうだ。

 外はもう真っ白で空も灰色で、夜が近付いてきている今の時間は昼よりももっとキンキンに冷え切っていたことだろう。

 ちょっとばかりハールヴァルドを呼び出していた王様とやらにムカついて、眼の前に立っているハールヴァルドの腹に突進するように腕を回す。

 ハールヴァルドはちょっと驚いていたようだったが、何やらクスクスと笑いながらシンゴの頭を撫でてきたのでこれは子供扱いされているなとむくれてしまう。

 分かってるんだろうか、この人は。俺は、アンタを抱いた男なんだぞ。

「紅茶でも淹れるか、シンゴ。向こうの世界にもあるって聞いたんだ」

「うん」

「向こうの世界にもあるっていうお菓子も買ってきた。今日はもうゆっくりしような」

「うん」

 あぁ、そうだ。ハールヴァルドは、いつもシンゴに「向こうの世界のもの」を用意してくれた。

 最初に買ってきてくれた服も、珈琲も、今日買ってきたという紅茶も、彼はシンゴと同じ世界からやってきた人々が作っているものを探して、買ってきてくれた。

 出来る限り元の世界のものを、という考えなのだろうか。

 それはやはりシンゴを元の世界に戻すことを前提としているようで、まるでこの世界のことを教えたくないとでも思っているかのようにも、思えて。

 それが少し、さみしい。

 いま頭を撫でてくれている手が優しいから、伸ばす手を拒否されたりしないから、余計にさみしく感じてしまう。

「でんか」

「うん? どうした」

「でんかは、オレが戻る方が、いい?」

「え」

「戻らないといけない、のかな」

 ピタリと、頭を撫でてくれていた手が止まる。後頭部に添えられたまま動かなくなった手はさっきよりもあたたかさを取り戻しているが動きを止めると妙にひんやりしているようにも感じて、シンゴはハールヴァルドの腹に顔を押し付けるようにしてハールヴァルドを見上げた。

 ハールヴァルドはびっくりしたような顔でシンゴを見ていて、鼻と頬がまだほんのり赤いからさっきよりもずっと幼く見えて、今度こそ「かわいい」という言葉が声で出た。

「戻りたくねぇのか?」

「戻らないとだめ?」

「いや、そうじゃなくて……オレは、シンゴが戻りたいものだとばかり、思ってたから……」

「日本には、ハルが、居ないよ」

 ハル、と今まで呼んだことのない言葉で呼びかけると、ハールヴァルドの目がさらに大きく丸く、見開かれた。

 思ってもない一言だったのだろうか。シンゴはちょっと意外になって、後頭部を支えたまま動かなくなってしまったハールヴァルドをちょっと強引に隣に座らせた。

 頭から手が外れてしまったのはちょっとさみしいが、代わりにハールヴァルドの両手をシンゴが両手で包み込む。

 されるがままにソファに座ったハールヴァルドは、まだ目を丸くしたまま呆然とシンゴを見ていて、その表情がなんだか一時期ネットで話題になったフレーメン反応を起こしている猫に見えるなと笑みが浮かんでしまう。

 一度可愛いと思うと、認めてしまうと、そうとしか見えなくなるのが不思議だった。


「ハル」


 もう一度呼ぶと、呆然としたままだったハールヴァルドがビクリと肩を震わせてからようやく、シンゴを見た。

 青のようにも、紫のようにも、赤のようにも見える不思議な色の目がようやくシンゴを見て、困ったように伏せられた。

 自分は彼を困らせているんだろうか、いや、困らせているんだろうな。そう理解はするけれど、どうすればいいのかその指針が欲しくってぎゅっとハールヴァルドの手を握る。

 ソファで並んで座って、真正面から顔を覗き込むなんて、初めてだ。なんだか、寒さのせいで赤くなっている彼の顔の赤みが違う意味のようにも感じられてドキドキとしてくる。

 好きなんかじゃない。まだ、惚れてはいないと思う。

 自分で自分にそう言い訳をしながら、ハールヴァルドが何も言わないのをいいことにそっと、唇を重ねる。ハールヴァルドはまた少しビクッと身体を跳ねさせて、それでも目を細めるだけで何も、抵抗も、しなかった。

 子どもの戯れのように重ねるだけのキスから、ハールヴァルドの唇を舐めて促し、開いた唇の隙間に舌をさしこむ。

 ン、と鼻にかかった声が聞こえて、ハールヴァルドの手に力が入ったのがなんだか凄く、興奮した。

「ハルが優しいから、おれ、駄目になったかも」

「そんな、」

「もっと怒ってよ」

 抵抗してよ。殴ってよ。嫌がってよ。

 再び唇を重ねても嫌がらないハールヴァルドに、胸の中でぐるぐるした気持ちがどんどん強くなっていく。

 何であなたはオレを受け入れるんだ。オレはあなたに酷い事をしたのに、なんでまたキスを受け入れて、止めも、殴りもしないんだ。

 あなたがそんなだから、オレは駄目になって、もっと、駄目になってしまう。

 膝の上に置いたままのハールヴァルドの手をぎゅっと両手で抑え込んで、ハールヴァルドが逃げないのを良いことに舌を絡めて、吸って、垂れてしまった唾液を舐める。

 はふはふと自然と上がる呼吸の合間にハールヴァルドを見れば、赤っぽい目がとろんとした涙の向こうで青く揺らいで、舌を軽く食むとピクリと身体が揺れた拍子にぎゅっと閉じられて涙が目尻から落ちていく。

 顔を逸らせばいいだけじゃないか。それだけで、顔を抑えてもいないキスからは逃げられる。

 なのに、なんで逃げないんだ。

 どうして?


「ハルといたいっていったら、許されるの」


 片手でハールヴァルドの手を抑えたままハールヴァルドを抱き締めて、そのままソファに押し倒す。

 日本で言えばソファベッドくらい余裕があってふかふかしたベッドはギシッと音を立ててハールヴァルドの背中を受け止めて、それを良いことにシンゴはまたハールヴァルドの唇を食べるようなキスをした。

 シンゴ、と、小さく小さくハールヴァルドが名前を呼んでくる。キスの合間に、何度も、何度も。

 その声の優しさに、甘さに、自分は自惚れてもいいのだろうかとぎゅーと胸が締め付けられるような気持ちになりながら、シンゴはようやく傷跡が消え始めていたハールヴァルドの肌にキスを落とした。

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