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第9話 Herzensneigung

 ハールヴァルドの体調が回復してからは、シンゴとハールヴァルドの生活は少しばかりの変化を見せた。

 2つある寝室から朝に先に起きてくるのはシンゴだ。元々部活のおかげで朝に強かったシンゴは、監禁生活から開放されて決まった時間に太陽を浴びることが出来るようになるとあっさりと体内時計を回復させた。

 そうなると研究だ資料作成だで夜中まで起きているハールヴァルドよりも健康的な生活を送るようになり、毎朝決まった時間に起きて暖炉に火を入れ、軽く運動をしてから頃合いを見てハールヴァルドを起こし共に朝食をとるようになる。

 朝には寝ぼけ眼なハールヴァルドも、寝癖をつけたまま食卓について元の世界で言う珈琲によく似た飲み物を飲むと徐々に意識をしゃっきりさせていく。

 そうやって覚醒したハールヴァルドが食事を終えた後に一度自分の寝室に引っ込んでまた戻ってきた時の変化たるや、シンゴは毎朝拍手をしたくなってしまうほどだ。

 モサモサ頭の寝ぼけ眼が一気に王子様に変身するのだから、本当に魔法でも使っているんじゃないかと思ってしまう。

『シンゴ! シンゴ! オハヨウだよぅ!』

「おはよ」

 その頃には部屋もすっかり暖まって、ハールヴァルドのベッドで眠っていた白蛇のヴィーもハールヴァルドと共にやってくる。部屋が寒い間は起きることが出来ないらしく、使い魔と言っても蛇は蛇なんだなと少しだけほっこりしてしまった。

 シンゴは元々爬虫類は好きな方だ。そりゃあ身体に毛が生えている動物は可愛いし大好きだが、大きなきゅるきゅるした目でこちらを見てくる爬虫類だってそれはそれで可愛い。

 初めてヴィーと対面した時にそんなことをもぞもぞ書いて見せれば、その時はまだヨレヨレだったハールヴァルドが何故か自慢げに

「分かってんじゃねぇか」

 と言ったので、それはやけに印象に残っている。自分の相棒を褒められて嬉しかったのかな、と思うと、なんとなく「可愛い人だな」と思ってしまったのも本当だ。

 一緒に過ごすようになって一番の変化といえば、やはりそこだろう。

 朝食を終えると午前中はシンゴへの言語レクチャーが始まるのだが、ハールヴァルドがそこで見せてくる表情のなんと可愛いことか。

 シンゴが新しい言葉を一つ覚えるたびに、新しい言葉をひとつ書けるようになるたびに、ハールヴァルドは大げさなくらいに驚いて褒めてくれる。

 しかも首に巻き付いているヴィーと一緒に大喜びしてくれるものだから、シンゴも悪い気はしないというものだ。

 彼にとってこれがどういう意味を持っているのかは知らないが、これだけ喜んでくれると毎日驚かせてやりたくなるというもので。

 自分が思っているよりもずっと早く声が出るようになってきたのも、きっと彼のお陰だろうとシンゴは思っている。

 喉を良くするための蜂蜜やこの世界独自の果物に、喉に負担をかけないドロドロのお粥みたいなご飯は彼がわざわざ騎士たちに頼んで用意してくれたものだという。

 わざわざ2人分違うメニューを用意する気はないのかシンゴ用のメニューにしてしまうとハールヴァルドの食事も病人食のようになってしまうのだが、彼は文句の一つも言わず……いや「味がないな」なんて笑ってはいたけれど、そんな風にして一緒に経験して、過ごしてくれた。

 そんなの、嬉しくないわけがないじゃないか。

 自分は彼にあんな事をしたのに。この世界で与えられた苦痛のストレスを、八つ当たりをしたのに、ハールヴァルドはずっと自分のことを気にかけてくれている。

 初めてほんの一音でも声を発した時の笑顔は本当に綺麗で、優しくて、「お前はそんな声をしていたんだな」と言ってくれた声は、凄く優しくて。


「俺って、自分で思ってるより」

「うん?」

「ちょろい、のかも」

「今更?」


 午前中の授業を終えて昼飯を食った後、ハールヴァルドはまた王城に呼び出されて出かけていった。

 外はすっかり雪で真っ白だというのにこの砦からハールヴァルドを呼び出すなんて、面倒な王様だと思う。

 それはそれとして、ハールヴァルドが居ない状況でもそもそと自分の心境を吐露出来る相手がいるというのは貴重な時間だ。

 ヴィーに何の肉だかは分からないがとりあえずなんかピンク色の小さな肉の塊を上げていたヴァレリアは、今のところシンゴが唯一本音を話せる相手だ。

 最初はちょっとばかり敬遠していた彼女だが、自分が段々とハールヴァルドに惹かれていっていると気付いた瞬間からシンゴの中でヴァレリアの立ち位置はすっかり変わってしまったのだ。

 元の世界にいる時には、ヴァレリアのような綺麗な女性と関わるのは嬉し恥ずかしだったのだが今はもう心の片隅に引っかかりもしない。つまりはまぁ、彼女に対して恋愛感情を抱くことはなくなったということだ。

 最初に彼女を敬遠していたのも、情けない姿を年上の女性に見せるのが恥ずかしいという思春期を抜け出したばかりみたいな微妙な感情があったせいだろう。それもまぁ、もうないのだが。

「シンゴってぇ、エッチしたら惚れちゃうタイプ?」

「ンなわけない」

「ってことはマジ惚れってことかー」

「マジ惚れかー……」

「マジマジのマジ?」

「わかんね」

 まだ長い単語を話すことが出来ないので途切れ途切れに、時折咳き込みながらヴァレリアに心情を吐き出していく。

 自分はハールヴァルドに惹かれている、とは、思う。でもそれが恋とか愛とかそういう感情かはまだ分からなかった。

 だって、シンゴはノンケだ。恋愛対象はずっと女の子だったし、これからもそうだと思っていたのに。

「……笑っててほしいのは、恋?」

「んー。どうなんだろ?」

「でんかには、笑っててほしい」

 褒めて欲しいし、笑っていて欲しいし、その笑顔を自分に向けて欲しい。

 そういう気持ちは恋とか愛とか、そういうのに分類される感情なんだろうか。

 今まで女の子と付き合ったことはあるけれど、他の男と仲良くしている所に嫉妬したりはあっても自分にだけ笑っていて欲しいとか、ずっとそばに居たいとか、そんな感情を抱いたりはしなかった。気がする。

 相手にも感情があって、交友関係がある。だから、自分の気持ちだけをぶつけてはいけないと思って一歩退いていたところもあると思う。

 子どもの恋愛だ。だから仕方がないとは思うけれど、かなり消極的だったなと今更ながらに思った。

「もし、シンゴがハル殿下のことが好きなんだとしたらサァ」

「うん」

「シンゴは、ここに残るの?」

「……え?」

「元の世界」

 ピ、と人差し指を上に向けて、ヴァレリアが言う。

 そこでようやく、シンゴは「あ」と思って、「そうか」と気付いた。

 ハールヴァルドは【世界の大穴アブグルント】と【神のいたずらガーベ】についてを調べる研究者だ。彼が元々ここに派遣されてきたのも、彼が王子だからというだけではなく研究者という側面があったから、だったはずで。


『どうせ元の世界に戻ったら必要のない知識だろ』


 ほんの数日前に聞いたハールヴァルドの言葉を、不意に思い出す。

 ハールヴァルドは二人で話をしている時、何かにつけてシンゴに「元の世界に戻ったら」の事を話していた。

 それはハールヴァルドにとってはシンゴが元の世界に戻るのは確定事項であり、この世界に残ることは想定していないということで間違いがないだろう。

 その事を今更実感して、気付いて、シンゴは力が抜けたように空を仰ぐように天井を見上げた。

 この世界には、【世界の大穴アブグルント】の外から来た人間が沢山居るという。そういう人たちは冒険者になったり、貴族付きの騎士になったりとそこそこ優遇されていて、普通に生活をする上でも生活拠点となる国から補助金が出ると言う。

 きっとシンゴがこの国アロガンツに残ると言えば、それ相応の待遇は約束されるはずだ。少なくともくそ貴族が換金してまで欲した血液は何らかの役には断つはず。

 なのに、ハールヴァルドの中では自分は「元の世界に戻る人間」なのか。

 そうか、自分は……


「残って欲しいとは……思われてない、のか」

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