こうしてハールヴァルドと暮らし始めたシンゴが最初に取り組んだのは、この世界の知識を取り入れるという事だった。
何故自分があんな扱いを受けていたのか、奪われ続けたシンゴの血液が一体何に使われているのか。それらを知るには、まずはこの世界のことを知るしかないだろう。
毎日少しずつ練習をしていると声もカッスカスなものから徐々に出るようになってきたし、質問をする事が容易になれば出来る事の幅も広がっていくはず。
そう言ってくれたのは、ハールヴァルドが読んでくれた『冒険者ギルド』の冒険者だった。
その冒険者はシンゴと同じくらいの年齢の日本人で、びっくりしているシンゴに様々な事を教えてくれた。
この世界にはシンゴや彼のように時折地球側から人間が迷い込んでくる事。
それはあの空に見える2つ目の月のような大きな穴【
【
そして、この世界――アスゲイルではそういった迷い子の保護システムがきちんと成立しており、シンゴのような扱いは違法とされているという事。
じゃあなんで自分はあんなメにあったんだ、と言いたくなったが、ただ教えを授けてくれているだけの彼にそんな事を聞いたところで多分はっきりとした返答はあるまいと、それ以上は聞かないことにする。
結局のところ、シンゴの【
血液に関しても説明を受けた気がするが、やはり平和な日本で暮らしていたシンゴにとっては異世界の話でしかなくてまるで理解が出来なくって。
「その方がいいんじゃないか? どうせ元の世界に戻ったら必要のない知識だろ」
冒険者の人が帰宅をしてからもう一度詳しく自分の【
ハールヴァルドはこちらの世界の人間で、【
結局あれから3日ばかり病床に臥せったハールヴァルドは、ようやくノソノソとベッドから起きてくると自分が寝てる最中のシンゴの勉強の成果を聞きながら「ふぅん」とやはり興味なさげで。
なんでそんなに他人事みたいなんだ、と軽くイラッとしたシンゴだったが、よくよく考えてみれば彼にとっては他人事にも近しいのだなとため息が出てしまう。
シンゴを監禁していたのがハールヴァルドの国の貴族であったというだけで彼はその貴族との接点もないに等しい人物だ。シンゴを助けてくれた騎士団だってハールヴァルドの事をあまり良く思っていないようだったし、逆に何で彼が自分のところに来たのか分からないくらいには距離感がある人。
それでも、彼は優しい人だとシンゴは思っている。
いや、優しいという単語が適切なのかどうかはわからないけれど。
ハールヴァルドという人について、シンゴはいまいちまだ良くわからない事が多かった。
あの冒険者も、ヴァレリアも、ハールヴァルドの事を「いい人だ」と言っていた。「研究馬鹿だが、この国の王族の中ではまともな人」だとも。
シンゴはこの国の王族を彼以外は知らないけれど、この国で活動をしている彼らがそう言うのだから王族というのはやっぱりファンタジーの世界でよくあるみたいに根本が腐っているものなのかもしれない、と、シンゴは思う。
シンゴが好きなファンタジーは、よくあるRPGのゲームだ。小学生で始めてゲームに触れてから、誕生日やクリスマスにゲームソフトをねだって沢山RPGをプレイしてきたシンゴだが、完全に味方であると思っていた国家でもシナリオ上で主人公を裏切るというのはそこそこある。
RPGというジャンルが一番好きだったので色々と手を出してみたけれど、根本が腐っている国や王族が色々やらかしている国、大臣連中が王族を傀儡としている国、世界征服を狙っている国と、厄介な国は沢山存在していた。
それでも、そういう世界観であっても必ずと言っていいほど味方になってくれる王族が居たのも事実で、きっとハールヴァルドはそういう存在なのだろうなと、シンゴは解釈をしている。
勿論この世界はゲームの中ではなく現実に存在している世界で、傷つけば痛いし傷つけられれば相手も苦しい。
それなのにどこか物語の中に居るように感じてしまうのは自分の考え方が悪いのか、それともどこか現実的ではないと思える要素がどこかにあるのか、シンゴにはまだ分からなかった。
自分の感情がよくわからなくなっている、というのもあるけれど、なんというか、感情ってのは意識してみると難しいものだなと思ってしまう。
ここに来るまでは感情だとかそういうものは頭で考えるよりも先に本能的に出てきているものであって、深く考えるようなものでもなかった。
シンゴはこれでもそこそこ短気で自分の欠点はそこだと思っていたのだけれど、この世界に来てからは感情にセーブがかかっているのか何か行動するにしてもワンテンポ遅れてしまう。
それが誰かの手に対しての本能的な恐怖であると言われればそうなのかもしれないが、何となくそれも違うというかしっくりとこなくって、シンゴは冒険者から話を聞きながら何となくモヤモヤしたものを胸に抱き続けていた。
「何か難しい顔してんな、シンゴ」
そんなだからか、何故かハールヴァルドに関してだけは色々と対処が遅れてしまう。
今までがアレだったせいでシンゴは誰かの手が顔の近くに来れば反射的に目を閉じたり、両手で顔を庇うような動作をしてしまうことがよくあった。
だというのに、今のようにハールヴァルドが前髪に触れてきてもそういった拒絶反応が出ない。
ハールヴァルドという男は本当に無遠慮な男で、突然シンゴの前髪を掻き分けて顔を覗いてきたり熱をはかろうとしたり、特に意味もなく手を握ってきたりとスキンシップが多かった。
本人もあまり意識していなかったようで一度指摘したらきょとんとした後にびっくりした表情でシンゴから離れていったが、翌日にはその距離感は元に戻っていた。
一度身体を繋げると距離感がバグるものなのだろうか。
そんなワケがないだろう、と思いつつもそんな事を考えてしまって、一人で頬を赤くしてしまう。
正直言って、シンゴはハールヴァルドを美しい人だと思っている。
男に対して「美しい」もどうかとは思うのだが、日本で見るような人の顔の造形とはまるで違っていて、なんというか、とても綺麗に整っているのだ。
そんな事本人に言う事は出来ないけれど、本当にただただ、綺麗だなと、思う。
決して惚れているわけではない。
シンゴは自分にそう言い聞かせているのだが、「あの人の肌に触れた」とはっきりと思い知らされる瞬間というのは日常的にあって、あの酷い行為のあと数日しても彼の身体に残っている痕跡はまだまだ消えてくれそうにはない痕跡を見ると胸が引き絞られるような心地になった。
罪悪感、ではない、はずだ。
はずだけれど、外で降り出した雪のように真っ白な彼の肌に残っている赤い鬱血痕だとか歯型だとかは自分がつけたものなのだと思うと、なんというか、もぞもぞする。
いっそこれが罪悪感ならば良かったのにと思う所はあるけれど、本人が気にしていないのに加害者が勝手に罪悪感を抱いて落ち込むのはなにか違うだろう、と思ってしまうので考えないようにはしている。
ハールヴァルドが怒ったならば――シンゴを弾劾したのであればそれに対して反撃する事だって考えるのだけれど、彼はそんな事はしないから、いけない。
今日みたいになんでもない空白の時間が出来た時に不意に横に並んでソファに座って、自然と触れ合える距離感にいると気付いた瞬間に湧き上がる感情に説明がつかないから、本当にだめだとシンゴは思った。