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第6話 Schlangengrube

 ハールヴァルドに用意された馬車は王族用と銘打たれてはいるものの、実際の質は直径王族のそれよりもずっと貧相なものだ。

 設置されている椅子も尻が痛くなるし、車軸が脆いのかガタガタとよく揺れる。カーペットもカーテンもペラペラで、この時期の寒さを防いでくれるようなものでもなかった。

 だがそれもまぁ、仕方がないだろう。

 現国王の父が他所の国の女との間に作って連れ帰った不義の子供。それがハールヴァルドだ。

 世間的には現国王の側室の子でその側室はハールヴァルドを産んですぐに死んだ、と発表されてはいるが、実際には現国王とは年の離れた異母兄弟に当たる後継者争いの邪魔者だ。

 ハールヴァルド本人が望まなかったので公爵の地位も王族としての王宮住まいも得ていないが、外交が苦手で異世界人の言語が話せない現国王に変わって外交に出てほしいだとか、王太子よりも高い王位継承権を与えるべきだとかいう老人は未だに居る。

 勿論そんなものはハールヴァルドにとっては余計なお世話だ。

 子供を作る気もなければ結婚をするつもりも、勿論王家を継ぐつもりも貴族の地位をもらう気もない。ハールヴァルドにとって重要なのは安定して【世界の大穴アブグルント】を研究出来る場所と時間であり、その他のことは瑣末事。

 本当ならとっとと家を抜けて冒険者にでもなりたかったのだが、残念ながらハールヴァルドは幼い頃の不摂生が祟ってかあまり身体が強くない。特にこの国の王宮に連れてこられるまで酷く埃っぽくて寒い場所で過ごさざるを得なかったためか肺が良くない。

 今回の発熱で咳を出さなかったのが奇跡のようなものだ。その分散々嘔吐はしてしまったが、咳は一度長引くと辛いので咳にならなくて本当に良かったと思う。

 この咳のせいで、王宮暮らしの時には「病原菌」だとか「病がうつる」だとか散々に言われたものだ。先代国王であった父が元気だった頃にはまだ彼が庇ってくれたが、父が床に伏して長くなると「王子のあの咳のせいだ」という声も段々と強くなっていく。

 【世界の大穴アブグルント】の外の世界では、肺病の研究が盛んだと以前会った異世界人が言っていたのを、覚えている。ハールヴァルドの肺病のようなものにも病名がつき、予防薬もあるのだと。

 もしそういうものがこちらでも入手出来れば父はまだ元気にしていたのだろうか。

 考えても意味のないことだが、こういう寒い日には時折考えてしまう。

 こちらでは、煙管に咳止めの薬を入れて煙を吸うのが数少ない治療法で、特効薬のようなものは発見されていない。異世界人たちの中にはこの世界に来て同じ病状が良くなったと言う者も居るというのに、難儀な肺を持ってしまったものだ。

 シンゴは、大丈夫だろうか。

 あの日の事は未だに曖昧だが、彼とて同じ部屋で過ごしている以上はそろそろ寒さも身を切るだろう。

 帰る時にどこかで厚手の服を買ったほうがいいだろうと考えて、帰路に寄れそうな衣料品店を考える。どうせ帰路には馬車も用意してくれてはいないだろうし、遅くなる前に帰れるくらいの距離の店がいいだろう。

 傷薬や包帯も、そろそろ補充をしなければいけない。

「到着しました」

「うん」

 ぼーっと考えていると、ガタガタとやかましかった音はスルスルと音を変え、整った道に出たのだという事がわかる。王宮の敷地内に入った証拠だ。

 ハールヴァルドは持ってきたマントをかぶり直し、馬車が止まると雪が降りそうな灰色の空を見上げながら外に出た。

 頬の傷に冷たい空気が沁みる。これはそう遠からず雪が降るだろうと、胸元にある煙管を探って所在を確かめた。王宮の中で咳など起こそうものなら、また近衛騎士や宰相たちに何を言われるか分かったものではない。

 この広い王宮においてハールヴァルドの味方はほぼ皆無に等しかった。

 今はもうほとんど会えなくなった病床の父と、一緒に研究所へと来てくれた親衛隊の騎士が数名。研究所の者たちは良くしてくれているが、王宮を出た今となっては自分を守ってくれるものはただ「先代国王の血を引いている」というそれだけが盾だった。


「遅かったな、ハールヴァルド。報告を聞こう」

「はい、陛下」


 玉座の間までは、邪魔する者は誰も居ない。

 しかし玉座の間まで来れば、国王の周囲に居る者は皆ハールヴァルドの血を疎ましく思っている者ばかりだ。

 国王の乳兄弟の父である宰相に、先代から仕えている近衛騎士団長。内政務官はハールヴァルドの言葉に嘘がないかばかりを気にかけて単眼鏡を常に光らせているし、外交政務官はこの寒さだというのに興味がなさそうに露出度の高い服の胸元を気にしていた。

「結論から言えば、異世界人シンゴ・サギリの血液に魔力が宿っているのは間違いないと思われます。しかし、結晶化するかはその時の本人の精神状態か体調に左右されるのか、確定での発生は確認出来ていません」

「血液の魔力は確定しているが、魔石化するかはわからない、と?」

「はい。残念ながら」

 嘘だ。

 ざわつく官僚たちの真ん中で堂々とホラを吹きながら、ハールヴァルドは無表情に頭の中で舌を出す。

 シンゴの血液に魔力が宿っているのも、魔石になるのも、どちらもハールヴァルドは彼に出会ってから2日目で確認をしている。

 身体中傷だらけの彼の包帯を取り替えてやる時にじわりと浮かんだ血液がツツと肌を垂れている最中に結晶化したその光景は、目を見張るほどに驚愕の光景だったのだから忘れるわけがない。

 だがここでそれを言ってしまえば。きっとシンゴは飼われる場所が変わるだけで前に囚えられていた時と変わらぬ扱いを受けてしまう事だろう。

 身体のあちこちに傷を作られ、そこからずっと血を出し続け魔石を生み出し続けるための存在になる。

 王家が関わればそれは本人の意志も関係なく行われてしまうだろうというのは想像に難しくなく、異世界人の保護条約を結んでいる他国に助けを求めようにも今のハールヴァルドとシンゴではこの国を出る事は難しい。

 この国の――自分の故国でもあるアロガンツ王国の人間は、ハールヴァルドの死を望んでいるくせにその位置を特定させる首輪をつけさせている程度には自分の財産に敏感な者どもだ。

 ハールヴァルドが隣国に逃げたとあれば戦争の良き口実にするだろうし、先日あった事を知ったなら王族不敬罪でシンゴを犯罪者に落としていいように使う、なんて事も堂々とするはず。

 せめてもシンゴから興味を失ってくれれば、こちらでも対処は出来るのだが……


「では、魔石を生むかどうか確かめねばならんな」


 ハールヴァルドの歳の離れた兄でもある国王は、白髪交じりの茶色い髪を撫でつけながらハールヴァルドを試すように笑みを向けてきた。それに合わせて官僚たちも笑い、ハールヴァルドだけが動揺する。

 それはつまり、シンゴに傷をつけろと言っているようなものだ。

 どういう方法でもいいから、ハールヴァルドに彼を傷つけろとこの王は言っているのだ。

「陛下……それは」

「なに、じきに雪も降る。今年の雪は重かろう。転べば鼻血くらいは出るであろうな」

 お前も転んで怪我をしたようだ。国王の冗談じみた言葉に家臣たちがくすくすと笑い、内政務官はあえてわざとらしく声をあげて笑っていた。

 あぁ、本当にこの王宮のこういう所が嫌だなと、ハールヴァルドは思う。

 自分が何を言われても気にはしないが、父や亡母や――自分に関わる人間が軽んじられ笑われるのだけはどうしても、我慢が出来なかった。

 それでもなんとか愛想笑いで「ですなぁ」なんて言いつつやり過ごせば、そのうち国王はハールヴァルドから興味を失ったのかあっさりとハールヴァルドを寒空の城下に放り出した。

 今回のは、きっと牽制だ。

 あまり親しくなって自分の職務を忘れるなと、そう言いたくて読んだのだろうことは想像に難しくもなく、本当にそれしか興味がなかったから帰りの馬車さえ用意してもらえない。

 ハールヴァルドはマントの前を合わせながら寒さで人の往来すら少なくなっている城下町へと足を向けた。

 虚しくも辛くもない。こうやって行きだけ適当に連れて行かれ、帰りは放り出されるなんていつものことだ。

 今回は幾ばくか金を持っているからシンゴのための日用品を買う事が出来るのだからそれでいいのだ。

 いつもの事。

 いつものことだ。

 それなのに、寒いせいか何故かやけに堪えてしまって、ハールヴァルドは歩きながら無言で煙管に火をつけた。

 娯楽品とはまるで違う、薬臭い煙をよくよく吸い込んでから呼吸を止めて、ゆっくりと吐き出す。

 吐き出された煙は少しばかりその場に留まってから灰色の空に溶けていき、空気に混じってわからなくなっていく。

 そういえばシンゴの前でこの煙管を吸うのは大丈夫だろうか、と今更に考えつつ、嫌な気持ちは買い物でスッキリさせようと衣料品店に向かった。

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