この人は一体何を言っているんだろうと、ぐぅぐぅ寝始める眼の前の男を見て真悟は呆然としてしまった。
足元をニョロニョロ動いている白蛇もすっかり困ってしまったのか意味もなくとぐろを巻いたり真悟の足に絡まってきたりしていて、主の言葉が想定外だったのだろう事を示している。
実際彼はとんでもない事を言ったのだ。
真悟は、眼の前の男をレイプした。
いや、それどころか暴力まで振るってしまったからハールヴァルドの顔面には床に押し付けた時の擦過傷だとかぶつけた痕跡だとかが生々しく残っている。
もちろん準備なんてものもしなかったから行為を終えた後の彼の姿は悲惨なものだったし、さっき目覚めた時にも痛みに呻いていたはず、なのに。
なんで、自分の無事を喜べるのだろう。
真悟はズルズルとその場に座り込んでしまってから、扉の枠を背に膝を抱え込んだ。
身体の力が抜けてしまって、さっきまでパンパンに詰まっていた頭からも何かが抜けていってしまったような感覚になる。
真悟とて、あんな乱暴な行為の後にダメージがなかったわけではない。
なんでこんな事をしてしまったのだろうという混乱と焦りもあったし、女性にしか興味がなかったはずの自分が同じ男を抱くなんて想像もしていなかった。
しかも身体はこんな包帯だらけで、騎士たちが部屋になだれ込んできた時には真悟の方も酷い有様だったのだ。
――ギリギリで、彼の身体を隠す事が出来たのは奇跡だったと思う。
真悟が我に返ったのは全てが終わった後で、その時にはもうお互い酷い姿をしていたものだった。
ナカには出してしまっていたし、血液と汗と涙と唾液と精液と……とにかく体中ボロボロでベトベトで、そんな中彼のナカに出してしまったものの始末をして身体を拭いてやる事が出来たのは、ひとえに目の前で眠っている男が真悟のために様々なものを部屋の中に準備していたからに他ならない。
いつでもお湯がわくようになっている洗面台に、たくさんのタオルと消毒液。そして真悟が好きに着替えられるようにとたくさん準備されていた日本にあるものとそう変わらない洋服。
それらがあったお陰で、痛む身体を引き摺って彼の身体を綺麗にしてやる事が出来たのだ。
しかし流石に石に吸い込まれた吐瀉物の始末だとか血痕だとかの始末は出来なくて、異変を感じ取ったのだろう騎士たちが部屋に入ってきた時には「何かがあった」のはすっかりとバレてしまって。
なのに、「また殿下が貧血を起こしたのか」とあっさり始末されてしまったのには驚いた。
真悟の身体中の傷から出血していたこともあってあちこちに飛んでいた血痕は真悟のものとされて、彼の顔の怪我はいつの間にか「貧血を起こして転倒した際についたもの」だという事になっていて。
こんなにも自分にとって都合のいい事が起きていいのだろうかと、余計に分からなくなった。
彼は殿下と呼ばれていたから王族なのだろうし、そうなれば王族に対する性的暴行で処刑されていてもおかしくないのではないかと真悟は思う。
それなのに本人は暴行されている最中にも真悟を宥めるし、起きた時にも「無事で良かった」だとか言う始末。
彼が倒れたと聞いて駆けつけた白衣の「研究員」とかいう人々こそ彼を心配していたけれど、騎士たちにはそんな素振りはあまりなくってただベッドに押し込んだだけだったのも、違和感だった。
服は真悟が着替えさせてしまったけれど、一度脱がせて確認すれば真悟の手形だとか暴行の痕跡は少なからず確認する事が出来たはずだ。それこそ、自分たちの国の王子が倒れたとあったらもっと医者を呼んだっていいし、この部屋から連れ出して看病させてもいいはず。
なのに、なんで。
「あー、ハル殿下は側室様の子供だからネー」
ケロッとした顔でそう言ったのは、王子の様子を見に来た研究員だった。
白衣の下に服を着ているだろうに零れそうな胸に、バッチリとキメられているメイク。この世界にもパーマというのがあるのだろうか綺麗にウェーブした豊かな髪を背中に流して、危うく見えてしまうのではとドキドキしてしまいそうな程に短いスカートから艶めかしい足を無意味に何度も組み直している。
彼女は異変があったと判断された際に騎士たちと共に真っ先に部屋に飛び込んできた女性だ。名前はたしか……ヴァレリア、だったか。
自己紹介をされたが彼女を見るとつい胸元だとか足に目が行ってしまって冷静に話を聞けないから困ってしまう。
こういう時真悟は自分が異性愛者だと自覚をするのだが、本当になんだってあんな事をやらかしてしまったのだろうか。
「ダイジョブ? あたしの日本語合ってる?」
どうしようもない申し訳無さに頭を抱えそうになった真悟の眼前までやってきたヴァレリアは、「あー」だとか「うー」だとか、その魅力的な唇をあえて大きく開いたり突き出したりしながら言葉の練習をしているようだった。
そういえば、あの殿下が「お前の国の言葉がわかる研究員がここに来ている」と言っていたが、それはヴァレリアの事だったのだろうか。
この世界には真悟以外にもたくさんの「異邦人」と呼ばれる地球人たちが落ちてきていて、彼らとの会話を行うために日本語と英語はこの世界でもそこそこ発達している、らしい。
もちろん得手不得手はあるだろうが、そういう話を聞くと本当に「自分だけではないのだ」と不思議な気持ちになってしまう。
この世界に落ちてきた地球人たちは元の世界に戻る事もできずにここで暮らすしかないが、そのためにこの世界の人も順応してくれている、という所だろうか。
真悟を囚えていたような、地球人だけが得ている【
今回の真悟の事案は、真悟の【
その辺を話してくれたのはここの来たばかりの頃の殿下だが、もっとよく話を聞いておけばよかったと今更ながらに後悔する。
そうすればあんな……彼を傷つけることもなかっただろうに。
『研究って、あの穴の研究ですよね?』
「あっはー、あたし書いてある文字の方がわかりやすいわ。そうよ、あたしタチはあのでっかい穴の研究をしているの。筆頭局員は、殿下よ」
読めるのかどうか不安だったもののその辺にあった紙に日本語で質問を書くと、ヴァレリアはうんうんと頷いてから「研究所」についてを話してくれた。
【
研究のメインは、昔こそ穴の向こうの世界の研究であったり異邦人の言語であったりしたが、現在は真悟のような「迷い込んできた人」を穴の向こうに戻せるかどうかの研究であるという事。
そういう方向に舵を切ったのも、あの殿下であるという、事。
その話を聞きながら、真悟は更に頭を抱えたくなってしまった。
ヴァレリアの言葉をどこまで信じられるかもわからないし、この世界の人間という事は真悟を捕まえていた貴族のように下心があってもおかしくはないのだが、あの殿下の言葉は、立場は、嘘がないのだろうという事が分かってしまったからだ。
それにしても、彼女が日本語にも精通しているのであれば彼女の言った「殿下は側室の子供だから」という言葉の意味はそのままの意味だと受け取っていいのだろうか。
でも、そうだとしたら側室の子というのは、あの人の性格に何か関係しているのだろうか?
『でんかは、そくしつって……』
「うん、そうね」
『それだと、なんで』
「うーん、そっか。君の国だとそういうのないからわかんないかぁ」
ヴァレリアはまた足を組み替えながら「そっか」なんて言いながら頷く。
なんて聞いたらいいのかわからず端的な問い方になってしまった真悟は、あの問い方だけで彼女が納得したように頷く理由がわからなくて、わかりたくないような気がした。
「側室様はもう亡くなってるから、殿下が居なくなれば後継者争いなんて起きないって奴らも多いのよねぇ。殿下自身は王座なんていらんってハッキリ言ってるのに、変な話よね」
あぁやっぱりそういう感じか。
真悟はファンタジー世界でよく聞く「よくある話」に、目の奥で頭痛が起きたような気がした。