なるほど、何の準備もなしに男に抱かれるとこうなるのか、と、ハールヴァルドは身動きのひとつも出来ないベッドのなかでしみじみと考えていた。
改めて目を覚ましたのは数時間前の事。一体何があったのか、半泣きの研究仲間たちと医師と騎士とに囲まれて目覚めた時には「あ、これやべーやつ」と理解出来る程度にはハールヴァルドの体調はガタガタになっていた。
それはそうだろう。された事がされた事だし、状況が状況だ。
一体何があの異邦人の癪に障ったのかは分からないが、腕の一本を動かそうにも指先がなんとか動く程度にしか動く事が出来ない。多分ただの筋肉痛だとは思うが、発熱をしているのだろう頭痛や吐き気もあるのでしばらくは身動きが取れなさそうだ。
こちらとしてはあの異邦人の事が気になって仕方がないのだが、一体誰が箝口令をしいているのか目覚めたハールヴァルドに彼の情報をくれる者は誰も居なかった。
これがまた、もどかしい。
発熱のせいかまたうとうとと微睡みに戻りたい気持ちもあるが、彼の無事を確かめても居ない状況では落ち着いて眠っていられそうもないし、そもそも自分がどんな状況で誰に発見されたのかも気になる。
ドアは内側から鍵をかけていたはずだが、誰かが自分の身体を綺麗にしてくれたのだとしたら誰かが扉を破って入ってきたのだろうか。
そもそもこの部屋は一体どこだろうか。
部屋に使われている石の材質からして元々異邦人を匿っていた砦だとは思うが、イマイチ自分がどこに居るのかという状況が飲み込めない。
あの異邦人に関わり始めてからハールヴァルドはずっと彼がその気になればいつでも視界に入れるような場所で活動をしていた。
彼の部屋かが出ればすぐに見える作業机に、その向かいに設置されたベッド代わりのソファなんかが顕著で、元々研究研究で部屋でぐっすり休んだりするタイプではないハールヴァルドにはそれで十分だったので気にもしなかったのだ。
もちろん騎士たちには「いくらなんでもソファで休むのは」と言われ続けたが、普段使っているソファよりもふかふかで大きくい段階でハールヴァルドにとってはベッドのようなものだったので無視だ。
側室の子供だからといって王宮で暮らすことに難色を示され、【
自分から望んだこととはいえ、研究所に所属した途端に元々使っていた部屋を潰されたのは暗に「そういうこと」なのだけれど。
そんな立場であったので、ハールヴァルドは今回の件に関して怒ったり悲しんだりショックを受けたりということは、まったくなかった。
むしろ怒りか、それに類する衝動で年上の男を犯した若者の方が可哀想になってしまうくらいには精神的にはなんともないハールヴァルドだ。
研究者として自分と同じ境遇の者が同じことを言った時には「それは防衛本能で本心ではないんだよ」だとか言うかもしれないが、それはそれとして身体の痛み以外にまったく心には影響もなさそうなことに自分でも驚いてしまう。
もしかしたら騎士たちに無様な姿を見せてしまったかもしれないことだけは気になるしあえて聞きたくもないが、万一自分への狼藉であの異邦人が罰せられるとしたらと思うと「それは嫌だ」と思ってしまうほどには、ハールヴァルドの中では心配するのは自分ではないのだ。
あの若者は、この世界に来てからずっと……最低でも1年間は血を奪われ続ける生活を送ってきたのだ。
太陽光すらもろくに入ってこない地下牢で毎日、毎日、コップ1杯をノルマとして血を奪われ続ける苦痛は、ハールヴァルドには想像もつかない。
彼の身体には両腕だけでなく両足も、背中も、腹も、顔にすらも所狭しと傷跡が残っている。
最初の頃は身体に傷跡が残らないようにと良い薬を使っていたのだろうが、途中からは止血剤しか使っていなかったのも、残されていた資料から発覚した。アレでは、恐らくは顔に残った傷は手遅れだろうし、身体についた傷のいくらかも痕として残ってしまうだろう。
もっと早く彼の存在が明るみになっていればもっと早く騎士団が彼を救出しただろうし、ここの領主だってもっと早く罰されただろう。
しかしここの領主の狡猾な所は、彼の血液から作ることの出来る魔石をただの金銭目的にしか使わなかったことだ。
魔石は魔力を潤沢に含んだ石を示すもので、使いようによっては火薬よりも威力の高い爆弾にもなり得るし、専門の魔術師が使えば禁術と呼ばれるほどの強大な魔術を使う源にもなったはず。
そうなれば当然戦争というものだって現実味を帯びてくるが、領主はただただ魔石を売りに出すばかりで国家に反逆しようという意識もなく、だからこそ「あの領主の金の流れがおかしい」という密告からの調査までに時間もかかってしまった、らしい。
本当に気の毒なことだ。
せめても、傷跡を薄くする塗り薬を塗ってやりたかった。
「いっ……てててててて……」
『あっ! ハル殿下駄目ですよぅ! まだ寝ててくださいよぅ!』
なんとか身体を起こそうと身を捩ったハールヴァルドが呻いていると、どこで監視していたのか白蛇のヴィーがビタビタと石の床の上で身体を跳ねさせていた。
ハールヴァルドが幼い頃に使い魔にした白蛇は、一緒に過ごして10年が経過するまでに徐々に人間の言葉を覚え始め、今では研究に没頭して人間らしい生活を忘れがちなハールヴァルドを叱ったり注意したりとやかましい。
このヘビが監視役についていたことには何の違和感もないけれど、それはつまりハールヴァルドがあえて研究所に置いてきたこのヘビを連れてきた誰かが居るということだ。
それも「必要だろう」と判断して、正しい判断を下せる程度にはハールヴァルドの事を理解している者が。
「ヴィー……ケホッ、水がほしいって誰かに、言ってきてくれるか」
『ミズ! ミズ、わかったよぅ! だから、ハル殿下は起きちゃ駄目だよぅ!!』
「わかったわかった……」
少し考えて、ハールヴァルドは「蛇のヴィーには出来ないことを頼むために人の手が必要だ」と暗に含ませてヴィーに助力を求めた。
ハールヴァルドが覚醒してからすぐにあちこちに散ってしまった研究仲間や騎士たちは、少なくともこれで呼び戻すことが出来るだろう。そうしたら、多分、もうちょっと状況が見えてくるはず。
自分のことはともかく、せめてあの異邦人が無事であるかだけは確かめないと……
『アッ! シンゴ! シンゴ!』
無理に身体を起こすのをやめてもう一度ベッドに身を沈めると、にょろにょろと部屋の外に向かっていたヴィーが顔をガバッと持ち上げて嬉しそうな声をあげた。
シンゴ、なんて聞いたことがない名前だと思ってパッとそちらを見て、そこに立っていた姿にびっくりしてしまう。
部屋の入口に立っていたのは、あの異邦人だった。
シンゴ……シンゴ。そうだ、あの異邦人の名前だ。シンゴ・サギリ。
無事を確認したかった存在が唐突に眼の前に出現したことにも、自分の使い魔がそのシンゴ・サギリと仲が良さそうなことにもびっくりするが、何より彼が無事で自分の前に顔を出してくれたことに安堵してしまう。
相変わらず身体中包帯だらけだが包帯はきちんと綺麗に巻かれているようだし、出血の痕跡も見えない。ということは、彼もまたあの行為のあとにきちんと治療を受けたということだ。
「よか……ったぁー……」
「……?」
ベッドにズブズブと沈んでいくような感覚を覚えつつ、深く長くため息を吐き出す。
あの様子なら彼は自分が何もしていなくてもきちんとした対応をされていたのだろうし、恐らくはあの行為自体も秘匿されているのだろうとハールヴァルドは思った。
あの無様な姿を誰かに見られたのだろうかとか、あの後自分はどうやってこのベッドに運ばれたのだろうかとか、そういう疑問は勿論ある。
あるけれど、そんなものはシンゴ・サギリが無事であることよりも本当に些細なことだ。
ハールヴァルドが彼らの間でよく使われている言語を何種類も覚えたのも、すでにこの国に住んでいる異邦人たちに彼らの住んでいた国の文化を教わって記録し続けているのも、その全てが彼のようにこちらの世界に蹂躙されてしまった者を救うためのものなのだから、自分より彼を優先するのは当たり前のこと。
ハールヴァルド本人と同じように、自分の意志とは関係ない所で立場や運命を決定づけられた上で何も出来ない者を一人でも救いたいという、そのための、研究。
「無事でよかった……姿が見えなかったから、それが心配だったんだ」
「……っ!」
「はー……気が抜けた。騎士たちの言葉はわかるか? 変なことはされてないよな?」
何か変なことをされていたり困ったらオレに言えと、確かお前の国の言葉がわかる研究員がここに来ているはずだから何かあればそいつを頼れと、安堵のせいか段々と眠気に負けてしまいそうになりながらなんとか言葉を続ける。
もしも研究員がすでに研究所に帰ってしまっていたとしても、冒険者ギルドに行けば必ず一人くらいは同じ国の人間が居るはずだ。そうでなくても、ギルドの職員は穴の外から来た者が多い。
「だから……しんぱい、すんな……」
「…………」
「だいじょ、ぶ……」
あぁ眠い。
彼の無事が確認出来たというだけでこんなにも眠くなっていくのかと眠気に負けていく頭でうとうと考えながら、ついにハールヴァルドは喋っている最中に眠気という敵に白旗を上げた。