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第6話 人間界へ


カタカタと木材の軋む音がし、怜はパチリと目を覚ました。



〈ここは馬車?〉



上流階級が使用するタウンコーチのような4人掛けの馬車。キャビンは革でてきた黒い座席に、金色の豪華な装飾を施している。



〈馬の走ってる音が聞こえない。どちらかと言うと、飛行機の中にいるような感覚だわ〉



怜は黒色のレースカーテンの隙間から外を覗く。地上からは大きく離れ、満点の星が光る夜空を馬が駆けていた。



〈自分の感覚は大事にしたほうが良さそうね〉



怜はおそるおそるレースカーテンを元に戻した。


怜の向かい側の席に、ライグリードが座っていた。もう一人、ライグリードの隣には知らない男性が同乗している。


銀色の長い髪を高く結い上げ、唇は薄く、つり目で銀色の瞳をしていた。全体的に線が細く、肌が死人のように白い。彼は冷たい視線で怜を見ていた。特に変わったところは見当たらない。どちらかと言うと人間に近い容姿をしている。だが、人間ではないことはたしかだ。怜は彼を警戒しつつ、ライグリードに尋ねた。



「どこへ行くの?えっと、この人は誰?」


「彼は私の部下、ヘブン。今から行くのは君のふるさと。地球さ」



怜は目を丸くて身を乗り出す。



「地球!?人間界へ行くの?」



馬車が大きく揺れ、怜の体も左右に揺れる。バランスをとりながら、怜は大人しく座りなおした。ライグリードが続ける。



「もちろん。人間界は我々の餌の宝庫だ。君はこれから魔界の女帝になるための教育を受けないといけないわけだが、まずは新入りの儀式に参加してもらう。新入りの儀式は、人を襲うだけ襲い、負のオーラを奪うだけ奪う。要は武勇伝語りのための遊びのようなものだ」



怜はそれを聞いて不快な顔をした。



「その武勇伝を私もつくらないといけないの?」



ライグリードは、いいやと答える。



「怜には魔界の生き方を学んでもらう。主に負と悪のオーラの貯蓄と狩りの方法だ。それができないと体は衰弱し、やがて亡者となり、最悪他の魔族に喰われて消滅する。


 負のオーラとは人間の恐怖や怒り、悲しみや憎しみ。過度な欲望や絶望を指す。

 悪のオーラは人間の心の悪の部分を指す。この二つのオーラが強ければ強いほど我々の体は強くなっていくわけだ。

 そして、狩りとは人間を喰らうこと。いわゆる食事だな」



これが魔族。人間は餌。精神と肉体を蝕む存在。怜は怖くなり、自分自身を抱きしめた。



「最初は戸惑うと思うが、ヘブンが色々教えてくれるよ」



よく見ると、ヘブンは学生服を着ていた。怜も自分自身を見るといつの間にか制服に着せ替えられている。



「なぜ学生服なの?」


「儀式の舞台は高校で行われる。怜は人間の頃、高校生だったから少し嬉しい話かな。ヘブンも君の護衛役として高校に潜入する」


〈護衛というより、私が逃げないための見張り役ね〉



怜はライグリードに向かって強気で言い返した。



「私、まだ女帝になるだなんて言ってない。それに魔界の住人になんてなれるわけないわ。人を食べるなんて……」


「消滅する気か?」



ここで初めてヘブンが声を発した。彼の声は、トーンが低い割にはどこか細めだ。ライグリードがまぁまぁとヘブンを宥める。



「好きにするといい。だが、これだけは言っとくよ。私は君を消滅させるつもりはない。是が非でも魔界に身を埋めてもらうよ。君は魔族なんだから」



ライグリードは懐からアトマイザーを取り出し、キャビン全体に振り撒く。果実のように甘くてフレッシュな香りが広がった。怜は気分がよくなり、匂いについてきく。



「何これ。いい香り」



ヘブンは腕を組んだまま、ニヤリと口角を上げた。ライグリードは嬉しそうに怜を見る。



「この香りそのものが負のオーラ。人の悲しみから生まれた匂いなんだよ」



怜は自分が恥ずかしくなり、匂いを吸わないように裾で顔を覆った。だが、ライグリードが身を乗り出し、怜の両手を掴んで匂わせた。怜は嫌!と顔を振って抵抗する。ライグリードは怜の耳元で囁いた。



「負や悪のオーラの匂いは色々と種類がある。少しずつ覚えていくんだ、怜。一ついっておくと、人間の希望や幸せはドブのような匂いがするはずだ。受け付けないんだ。それが魔族の宿命だ」


「やめて!」



ヘブンが窓の外を覗き、ライグリードに報告する。



「ライグリード様。そろそろ着きます」



ライグリード男爵は怜をパッと離し、席に戻る。怜ははぁはぁと息を整えながら、窓の外を見ると、地図を見ているかのようなくっきりとした日本が見え始めた。ライグリードが黒いハットを被りながら説明をする。



「少し田舎の学校をターゲットにした。これから5人には一ヶ月近く、高校三年生として生活してもらう。人間たちにはすでに仮の記憶を植え付けている。君たちが既に存在していることをね」


「今、5人って言った?」



怜は男爵に言い返す。



「あぁ。儀式は他に三人いて、既に到着しているよ。私は儀式には参加しない。他の仕事で忙しいからな。各々三人ずつシェアハウスで生活することになる」



怜は自分とヘブンとライグリードを指差すと、ライグリードはニコリと頷いた。



「当たり前だが、家事は一切しないぞ。したこともない。家事はヘブンと割り振りして生活するんだ」



ヘブンを見ると、彼はフンッと鼻を鳴らして、怜から視線を反らす。怜は大きなため息をつき、着くまでの時間日本を眺めていた。



〈素直に魔族の一員になってたまりますか。絶対に人なんて食べたりしないんだから!〉




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