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第4話 男爵


怜は昔の記憶と重ねた鮮明な夢を見ていた。襖を境に父親と母親が話し合う声が聞こえる。怜は幼からずも二人の会話が気になり、襖を少し開けて話を聞いていた。



「俺は再婚する。わかってるな。新しい人がいるんだ。お前が怜を引き取ってくれよ」


「もともと子供がほしいって言ったのはあなたじゃないの! 私に押し付ける気? 浮気するなんて最低よ」


「お前だって浮気してたろ。わかってるんだ。お互い様じゃないか」


「なら、怜はあなたが預かってよ!」



両親の浮気と離婚。子供の押し付け合い。怜は話を最後まで聞くのが怖くなり、現実逃避をするように一冊の絵本を本棚から取り出した。


【こころに天使】というタイトルで、そこには和紙を使った切り絵の天使が描かれていた。


-うつくしい てんしは みんなの こころのなかにいて いつも みんなを みまもっている。 だれでも どんなひとでも てんしは みんなを こころから あいしている。

 だから あんしんしておやすみ。おやすみ。

 あなたは ひとりじゃないんだから-


怜は絵本の天使をなぞりながら、涙をポロポロと溢した。



「天使様だけは私を見捨てない。天使様、私を愛してくれてありがとう」



涙が絵本の天使に落ちると、絵本の天使はギョロッと目を動かし、怜を見た。金色の瞳に、白檀の香り。怜はアークエルを思い出した。



「残念ながら、運命には逆らえないのだ。怜」



絵本から剣が伸び、残虐にもそれは、小さな怜の体を真っ二つに斬りつけた。



***


怜は飛び上がって目を覚ました。大粒の汗が額に浮かび、服も体にぴったりひっついている。服が変わっている。そして場所も。


以前の硫黄臭いヘドロのような場所から、豪華なゴシック調の豪邸に変わっていた。ベッドは黒い薔薇が散らばり、髑髏の蝋燭がいくつも灯されている。


部屋全体は、黒い大理石で出来ており、ガラステーブルやガラスの椅子が置いてあった。明るい部分があるとしたら、机の上に飾っている赤い薔薇だった。



「ここはどこ?」



傷を確認したが、またなくなっている。しかし、怜が斬りつけた逆十字の傷だけはくっきりと残っていた。



「誰かが私に斬れといわれた……これは何なの?」



窓の外は赤く光るグロテスクな月と、墨汁で塗ったかのような真っ黒な空が見え、まだ魔界にいるんだと彼女は絶望した。


誰かがノックしてくる。怜は側に置いてあった髑髏の置物を持ち上げ、構えた。黒いシルクのキャミソール姿なのがなんとも不安になる。毛布を自分の方に引き寄せ、声の震えを抑えて、答えた。



「だ、誰?」



扉がゆっくり開く。

驚くほどに整った顔立ち、少し濡れた漆黒のうねった髪に、引き締まった体つきの男。


人間ならば、女性から黄色い声の嵐だったろうと怜は思ったが、それとは別に恐怖も感じた。顔はいくつか縫い合わせた跡があり、肌の色は薄い緑色と橙色が混ざっていた。目は、ルビーのように赤く、耳は少しとがっている。口はにこやかだが、目は笑っていないようだった。


近世の貴族のようにレースが多い黒い服、片耳にはワンポイントの赤いピアスに、指は大きな宝石がついた指輪をしている。それからふんわりと金木犀の香りがした。



〈この人が、私をここまで運んでくれたんだわ〉


怜は警戒したまま尋ねた。



「私を助けてくれたの? それともあなたも私を餌にするの? それとも玩具に?」


訪問者は、軽くお辞儀をした。発した声は、低くて落ち着いていてそして、とても甘い声だった。



「玩具にされたいのか?」



彼の一声だけで、怜は体がしびれ、麻痺されたような感覚になる。



〈この人、危険だ〉



彼はゆっくりと怜に近づこうとする。



「こ、来ないでよ!」



怜は相手に恐怖を見せないようにしているが、手がどうしても震える。彼は怜の恐怖を察したようで、嘲笑した。



「恐怖で震える人間を見るのは大好物だ」



怜は話題を変えた。



「あ、あなたの名前は?私、怜って言うの」



彼は変わらぬ眼差しで怜を見ながら自己紹介した。



「私は、ライグリード・ロゼ・サッカダレン男爵。古代から続いている魔界の貴族だ」



ライグリードは机に置いてあった薔薇をくしゃっと潰した。まるで怜の恐怖心を煽って楽しんでいるようだ。怜は負けないように質問を続ける。



「私が魔界に降りた理由がわからないのよ。ごくごく普通に生きてた女子高生よ。手違いかもしれない。あなた、何かわかる?」



ライグリードは薔薇の花びらを持ち上げて、怜に向かって投げた。花びらは鋭いガラス片のようになり、怜の顔を霞めて壁に刺さる。怜は思わず、ひっと声をあげると、男爵はくすくすと笑った。



「本当に君が、次期魔界のエンプレス? こんなにも臆病でか弱いただの少女なのに」


「エンプレス?」



怜は恐怖で息が上がり、このままだと過呼吸になりそうだった。



「煽るなぁ」



ライグリードは机に置いてあったナイフを持ち、怜に勢いよく近づくと彼女をベッドに押し倒した。ベッドにちりばめられた黒い薔薇が飛び、花びらが舞う。


そして、彼女の首筋にナイフをあてた。怜は恐怖で凍りつき、さらに呼吸が荒くなる。ライグリードは、その姿を見て恍惚とした表情で興奮していた。


「君は今、私の手の中にいるようなもの。私が、人間ごときに従うわけない。君はただの餌。本当に魔界のエンプレスになる存在かどうか証明しろ!」




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