――誕生日にテディベアをもらって以来、わたしは今まで以上に陸さんのことを強く意識してしまうようになった。
そして陸さんもまた、わたしと目が合うたびに気まずそうにふいと視線を逸らす。……もしかしてやっぱり、彼もわたしのことを意識しているのかな?
「――はい。申し訳ございません。――はい、では別のお部屋をご用意させて頂きますので」
(……あ、そうだった! 今はホテルの仕事中だから、そっちに集中しなきゃ!)
陸さんがコンシェルジュデスクで、お客様からの苦情の電話を受けている。その声が耳に入ってきて、わたしは現実に引き戻された。
「……オーナー、二一〇号室の
「…………」
彼が眉根を寄せながら報告してくれたクレームの内容に、わたしも首を傾げる。
このホテルのコンセプトは、「可愛いテディベアに癒されるホテル」だ。そのため、各部屋に一~四体の大小のテディベアが置かれているだけでなく、寝具やカーテンなどのインテリアにもテディベアがあしらわれているのだけれど……。
「そんな簡単に、『部屋を変えろ』って言われても……」
どこのお部屋も同じようなものなのに、どうしたものか。
一応、不測の事態に備えて必ず一部屋は空けるようにはしてあるけれど。
「あ、そういえば今、二〇二号室は空室になってたよね? とりあえず、その部屋のテディベアだけ別のところに移動させて、東様にはそこへ移って頂こうか。まぁ、カーテンとか寝具の柄までは変えようがないから、そこはガマンして頂くとして」
「そうだな。それしかない」
「奈那さん、急いで二〇二号室のテディベアをバックヤードに移動させて」
「はい!」
「高良さん、わたしも一緒に東様のところに行くよ」
「分かった」
――というドタバタの中、東様の件はどうにか解決したのだけれど……。
「…オーナー、東様は第二章のゲストにはなりそうもないな」
「うん……。もっと物語になりそうなお客様じゃないと」
陸さんはわたしの本業である、小説の心配をしてくれた。
笑わない小さなお客様、美優ちゃんのことをメインにした第一章を書き上げてから一週間。
担当編集者の徳永さんからは、「第二章はまだですか?」としょっちゅう電話がかかってくる。
でも、題材になりそうなお客様がお泊まりに来られないと第二章は書き始められないのだ。わたしの小説は、現実と
……という話をしていたら、わたしのジャケットのポケットでスマホが震えた。
「電話だ。また徳永さんかな……、あれ、違う。マイカ先生から!?」
電話をかけてきたのは、先輩小説家である
「――はい」
『あ、もしもしハルヒちゃん? マイカです。ゴメンね、今ご実家のお仕事中じゃなかった?』
「はい、絶賛お仕事中ですけど、今は大丈夫です。マイカ先生、どうしたんですか?」
今隣にいるのは陸さんだけだ。彼はわたしの事情をよく知っているし、人の話に首を突っ込むような人ではないので聞かれても問題はないだろう。
『うん、あのね……。あたし、ハルヒちゃんのご実家のホテルに、明日から一週間くらい泊まろうと思って。カンヅメして新作書くの』
「えっ、明日から一週間カンヅメ?」
わたしは目を丸くした。このホテルがリニューアルオープンして半年とちょっと経つけれど、カンヅメしたいという作家先生を受け入れたことは一度もなかったのだ。……まぁ、オーナーであるわたし自身も似たようなものだけれど、それはおいといて。
『そうだよ。あたしね、編集者の
「……はあ。ちょ、ちょっと待って下さいね。予約状況と空室状況を確認しますから。電話、切らないでそのまま待ってて下さい」
一週間もの長い滞在は当ホテルでは珍しいし、空いている部屋ってあったかな……? 通話状態にしたままのスマホをコンシェルジュデスクの上に伏せて置き、陸さんに訊ねてみる。
「わたしの同業者の先生が、明日から一週間当ホテルでカンヅメしたいっておっしゃってるんだけど……。今後の予約状況って分かるかな?」
「話、全部聞こえてた。――待ってて、フロントに確認しに行ってくるから」
「うん。――あ、マイカ先生。今、コンシェルジュの人が確認してくれてるので、もう少し待ってて下さい」
スピーカーフォンにして彼女にそれだけ伝えると、すぐに陸さんが戻ってきた。
「電話、スピーカーにしてあるので陸さんから伝えてあげて下さい」
「うん。――柳井マイカ様ですね? 僕はコンシェルジュの高良と申します。当ホテルの予約状況ですが、明日は新規のご予約は一件も入っておりませんので、柳井様のご期待に沿えると存じます」
「……だそうなので、明日から一週間カンヅメして頂いて大丈夫です」
『ホントに!? ありがとう! コンシェルジュのお兄さんもありがとう。じゃあ、明日から一週間、お世話になりま~す♪』
「はい、お待ちしてます。それじゃ、失礼しますね」
――そんなわけで、わたしは密かにマイカ先生を第二章のお客様にしようと決めた。
* * * *
――その日の夜。わたしはオーナーオフィスで第二章の執筆を始めた。お客様はまだ来られていないけれど、もちろん先輩作家のマイカ先生だ。
ご予約の電話の時、彼女は努めて明るく振る舞っていたけど、その声色には少し違和感があった。ちょっと元気がないというか、悩んでいるんじゃないかとわたしは感じたのだ。そんな彼女こそ、わたしの書くこの物語にふさわしい。
「――春陽ちゃん、入っていいかな?」
コンコン、とドアがノックされて、ドアを開けると陸さんが立っている。彼は勤務を終えた後なのにまだ焦げ茶色の制服姿だ。これから寮に帰るところなのだろう。
「あ、うん。どうぞ」
室内へ迎れ入れると、彼はまず机の上に開いたままだったノートパソコンの執筆画面を覗き込んだ。
「……第二章、書き始めたんだ? やっぱりゲストはあの作家先生か。どんな人?」
「キレイな人だよー。モデルさんみたいにスラッとしてて美人で。貿易会社のOLさんをしながら書いてるみたい。わたしにもすごく優しくて、ステキなお姉さんって感じかなぁ。年齢は陸さんと同い年」
「へぇー……。でも、俺には春陽ちゃんがいちばん魅力的に見えるけど。可愛いし、二足のわらじで頑張ってる姿がキラキラしてて」
「え…………、そんなこと……ないと思うけどな」
彼に見つめられて、わたしはドキドキした。やっぱり陸さんはわたしのこと……。
「で……っ、でもね、陸さん。わたし、マイカ先生が何か悩んでるみたいに感じたの。考えすぎならいいんだけど……」
「考えすぎ、ってことはないんじゃないか? こういう時の春陽ちゃんのカンって当たるからな」
「そんな、わたしはエスパーでも名探偵でもないよ」
それは陸さんの過大評価というか買い被りだ。わたしはそんなにスゴい人間じゃないのに。
「……あ、それはともかく。今日、東様からクレームのあった件で俺思ったんだけどさ。ウチのホテル、テディベアを置いてない部屋も作った方がいいんじゃないかな」
「うん、それはわたしも思った」
当ホテルには一人でお泊まりになる男性のお客様もいらっしゃる。そこはそろそろ考え時かな……と。