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Guest1 笑わない小さなお客様 ⑥

「――あっ、京香さんに美優ちゃん! 『さくら祭り』へようこそ。どうぞ楽しんでいって下さいね」 


 十一時ごろ到着された田崎様親子を、わたしは笑顔で出迎えた。やっぱりテディベアの着ぐるみ、着なくてよかった……。


「あ、ハルヒおねえさん。こんにちは」


「オーナーさん、先日はどうも。今日はお言葉に甘えて遊びに来ました」


 美優ちゃんはちょっとぎこちない笑顔でわたしに挨拶を返してくれ、京香さんもわたしに同じような表情で頭を下げられた。


「どうも。今日は厨房スタッフが総力を挙げて美味しいお料理やスイーツをたくさんご用意してますから。楽しんで下さい。美優ちゃん、今日はホテル中のクマさんがお外にいるからね。お友だちになってあげて」


「うん。みゆね、さっきおおきなクマさんにあったよ」


「大きなクマさん……、ああ。あれね、中におじさんが入ってるんだよ」


 美優ちゃんが会ったのはきっと、大森支配人が入っている着ぐるみのことだろう。この子はやっぱりテディベアが好きなんだ。クマさんの話をする時だけ、笑顔とまではいかないけど表情がイキイキするから。


「……あのね、美優ちゃん。ちょっとお耳、いいかな?」


 わたしは彼女の前にしゃがみ込み、お母さんには聞こえないように、こっそり今日のサプライズのことを耳打ちした。


「……えっ、クマさん!?」


「しーっ! お母さんには内緒だよ」


「うん」


 わたしが彼女の小さな唇に人差し指を当てると、しっかり頷いてくれた。

 今日のサプライズは、美優ちゃんには話してもいいと陸さんから言われたけれど、京香さんには内緒にしていようということになったのだ。


「――田崎様、お見えになったみたいだな」


「うん。今、中庭の方に歩いていったよ」


 イベントのメイン会場である中庭へ向かう親子を見送っていると、そこへ陸さんが来た。


「そうか。――さっき、藤下様から電話があった。こっちに向かってるそうだ。あと十分くらいで到着されるらしい」


「分かった。じゃあ、いよいよ作戦開始だね。他のみなさんにも伝えておいて」


 陸さんの報告を聞いて、わたしはぜんやる気が湧いてきた。……いや、元々やる気がないわけじゃないけれど。

 わたしの考えた作戦はこうだ。

 美優ちゃんが笑えなくなってしまった原因は二つ。お父さんと離れ離れになってしまったことと、そのお父さんからもらった大事なテディベアがなくなってしまったこと。それなら、同じテディベアをもう一度作ってもらってお父さんの手から彼女に手渡してもらえばどうだろうか、と。


 今日をキッカケにして京香さんと駿さんが復縁して下さるのがベストだけれど、そこまではいかなくても彼が美優ちゃんとまた会えるようになるだけでもいい。それで作戦は成功となるのだから。


「ラジャ!」


 陸さんは他のスタッフさんたちに作戦開始を伝えるべく、厨房へと走って行った。厨房スタッフのみなさんが、美優ちゃんのために用意したクッキーのバスケットをベルスタッフの奈那さんに手渡す。彼女は他のお菓子のバスケットと一緒にそれをワゴンに乗せ、中庭へ向かった。



 中庭に植えられた桜は遅咲きの八重やえ桜という品種。ソメイヨシノの時期はもう終わってしまったけれど、当ホテルの〈さくら祭り〉はこの八重桜を愛でる会なのだ。

 宿泊客のみなさんに交じって、田崎様親子も五分咲きのキレイな桜を眺めたり、テディベアと遊んだりしながら楽しい時間を過ごされていた。そこへ、奈那さんがお菓子を配って回っている。


「――田崎様、本日は当ホテルの〈さくら祭り〉へようこそお越し下さいました! こちら、当ホテルよりのサービスでございます」


「わぁ、クマさんのかたちのクッキーだ! おねえさん、ありがとう!」


「あらホントだ。美優、よかったねぇ。わざわざありがとうございます」


「いえいえ。では、本日はゆっくりお楽しみ下さいませ」


 ――中庭を覗いてみると、美優ちゃんが喜んでクッキーを頬張っている。……よし、第一段階はクリア!


「――春陽ちゃん、藤下様がお着きになったよ。行こうか」


「うん!」


 わたしは陸さんと二人、今日のメインゲストをお出迎えに行く。




「――藤下様、本日はようこそお越し下さいました」


「駿さん、〈ホテルTEDDY〉へようこそ! わたしがご連絡を差し上げた当ホテルのオーナー、熊谷でございます。京香さんと美優ちゃんは中庭にいらっしゃいますよ。ご案内いたしますので、一緒に参りましょう」


 藤下駿さんは、京香さんと同じ三十一歳。今日はさすがにスーツ姿ではないけれど、電機メーカーにお勤めのサラリーマンだそうだ。背はそんなに高くないけれど、真面目そうで優しそうな人という印象を受けた。そしてやっぱり、美優ちゃんのお父さんだなぁと思う。二人は目元がそっくりなのだ。


「はい。じゃあ――」


「あ、ちょっとお待ちを。――これを、あなたから美優ちゃんに手渡して差し上げて下さい」


 陸さんが彼に差し出したのは、今朝受け取ってきたばかりのテディベア工房の紙袋。よく見れば、二つあったうちのもう一つにはメッセージカードの封筒が入っている。――あれは一体誰の分?


「これは……、僕が昔、美優にプレゼントしたテディベア……ですか?」


 紙袋の中身を取り出した駿さんが、「あれ?」という顔をされた。


「いえ、こちらは工房で保管されていた当時のパターンをもとにして、新たに作って頂いたものです。実物は京香様が手違いで売ってしまわれたそうなので……」


「京香さん、すごく後悔されてましたし、ご自分を責めておられました。『美優ちゃんが笑えなくなったのは私のせいだ』って。ですからどうか、彼女を責めないで差し上げて下さいね」


「……はい。ですが、これを美優に渡すだけなら、お二人のどちらかでよかったんじゃ……。僕はもう、あの二人に合わせる顔が」


 陸さんとわたしの話を聞いた駿さんは、お二人に会われることをためらっているようだった。離婚が成立してしまった今、ご自分はもう赤の他人なのではないかと。


「いえ、この役目は僕でもオーナーでもダメなんです。あなたにやって頂かなければ意味がないんです。あなたは美優ちゃんのお父さまでしょう?」


「あなたでなければ、美優ちゃんの笑顔は取り戻せないんです。少なくとも、わたしと高良はそう考えてます。ですからどうかお願いします」


「分かりました。じゃあ、美優と京香のところへ案内して下さい」


「ええ、参りましょう」


 陸さんが先導し、わたしも一緒に駿さんを美優ちゃんたちのところへお連れした。



「――京香さん、美優ちゃん。ちょっとよろしいですか? お二人にお会いしたいという方が、今日この中庭に来られているんですけど」


 陸さんと駿さんには少し離れた桜の木の裏に隠れていてもらい、わたしが親子に声をおかけした。


「えっ? 私たちに会いたい人って――」


「おかあさん、いこう!」


 戸惑うお母さんの手を、美優ちゃんの小さな手が引く。美優ちゃんはお父さんが会いに来たことを知っているので、知らないのは京香さんだけだ。


「こちらで少しお待ち下さい」


 わたしがそっとその場を離れると、木の陰から出てこられた駿さんが美優ちゃんにテディベアの紙袋を差し出す。


「美優……、久しぶりだな。少し遅くなったけど、六歳の誕生日おめでとう」


「おとうさん、ありがとう! わぁ、みゆのクマさんだ!」


「駿……、どうして」


「このホテルのオーナーさんに呼ばれて来たんだ。京香、ゴメンな。美優が笑えなくなったのは全部僕のせいだ。君のせいじゃない。だから、これからも時々、こうして会いに来てもいいかな?」


「うん……っ! 駿、ありがとね。美優の笑顔を取り戻してくれて……」


 新しいテディベアを手に、嬉しそうに笑う美優ちゃん。そして元ご主人の申し出に涙を流しながら頷く京香さん。

 復縁にはまだ時間がかかるかもしれないけれど、この親子はもう大丈夫だとわたしも陸さんも思った。

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