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Guest1 笑わない小さなお客様 ②

(…………あれ?)


 わたしはこの状況をどうしたものか、ただただ困惑していた。わたしの全力の笑顔で笑ってくれないお子さんはいないと自負していたんだけどな……。

 これでもわたし、美男美女だった両親の間に生まれたおかげでルックスにはかなり定評があり、一応男性にはモテている方だ。特に「笑顔が可愛いね」とよく言われるのだけれど、その最大の武器である笑顔がこの小さなお客様には通用しないなんて……!


「――田崎様、ようこそ当ホテルへお越し下さいました。支配人の大森でございます」


「コンシェルジュの高良でございます」


「ああ……、どうも。今年もお世話になります。今回から事情が変わって、私と美優の二人だけになってしまいましたけど。……ああ、名字も変わってますね」


 美優ちゃんとしっかり手を繋ぎ、スーツケースの持ち手を握りしめるお母さん――お名前はきょうさんとおっしゃるらしい――は、肩身が狭そうにペコリと頭を下げられる。彼女のこの様子と、美優ちゃんが笑っていないことには何か関係があるんだろうか?


「変わったといえば、このホテルもずいぶん変わられましたね。予約のお電話をした時、ビックリしたんです。電話番号は変わっていないのに名前が変わっているし、オーナーさんも。こんなに可愛らしいお嬢さんだったかしら?」


「父は半年前に病気で亡くなりました。わたしは一人娘で、父の跡を継ぐことにしたんです。それで、思い切って半年前にリニューアルオープンしたんですよ。父との思い出の品である、テディベアと一緒に泊まれるホテルをコンセプトにして」


「そうだったんですね」


「リニューアルオープンしたとはいえ、スタッフは誰一人解雇しておりませんから。精一杯、以前と変わらないおもてなしをさせて頂きます。新しく入社したスタッフは数名おりますが」


 ホテルをリニューアルすると決めた時、わたしはリストラを一切行わなかった。父がスタッフ一人一人を財産だと言っていたからだ。このホテルには、辞めてもらわなければならないスタッフは一人もいなかった。


「ありがとう、オーナーさん。よろしくお願いします」


「――あの、田崎様。大変ぶしつけではございますが、ご主人様はいかがなさったのでしょうか。確か、昨年までは藤下ふじした様とおっしゃっていらしたような」


「大森さん! お客様のプライバシーに介入するのは――」


「いえ。構いませんよ、コンシェルジュさん。大した理由じゃないですから。――私、夫とは離婚したんです」


 支配人を咎める真面目な陸さんを遮り、田崎京香様はしれっと打ち明けられた。


「「離婚!?」」


 わたしと大森支配人の声が思わずハモってしまう。陸さんはあくまで聞かなかったことにしているようだ。


「夫とは共働きだったんですけど、夫は最近、仕事が忙しくなって家のことを――特に美優のことをかえりみなくなってしまって。美優は今反抗期に差し掛かっていて、私ひとりの手には負えなくなって。なのに相談にも乗ってくれなくて。それでもう限界がきてしまって別れたんです」


 京香さんはワンオペ育児に疲れてしまったのだろう。そして夫婦関係は破綻してしまったのか――。でも何だかしっくりこない。美優ちゃんが笑わなくなった理由は、お父さんと離れ離れになってしまったことだけだろうか?


「……あ、長々とごめんなさい。私、今は正社員として働きながらこの子をひとりで育ててるんです。このホテルの宿泊料金のことなら心配いりませんから」


「こちらこそ、ぶしつけな質問を大変失礼いたしました。――田崎様のお部屋のキーを」


「はい。三一二号室でございます」


 フロントの志穂さんが、ベルスタッフの下川しもかわ奈那ななさんにルームキーを手渡す。彼女がこの親子を客室までご案内するのだ。


「……美優ちゃん、ここのホテルには可愛いテディベアがい~~っぱいいるんだよ。美優ちゃんがお母さんとお泊まりするお部屋にもクマちゃんがいるから、仲良くしてあげてね」


「…………クマちゃん?」


 わたしは美優ちゃんと目線を合わせてそう言ってみたけれど、やっぱり彼女は笑ってくれない。う~ん、これでもダメか。なかなか手ごわい。でも、「クマちゃん」という言葉には反応してくれたみたい。


「それでは田崎様、お部屋へご案内いたします。美優様もご一緒に参りましょう」


「ほら。お部屋に行くよ、美優」


「あ、うん! おねえちゃん、バイバ~イ」


「……うん、バイバイ」


 美優ちゃんがわたしに手を振ってくれたけれど、顔はやっぱり笑っていなかった。


「――さてと、俺はそろそろ上がるか。……オーナー、どうした?」


 陸さんが浮かない顔をしているわたしに気づいてくれた。きっと落ち込んでいるんだと思われているんだろうけど、わたしの浮かない顔の原因はそれではなかった。


「美優ちゃん、〝クマちゃん〟って言葉に反応してくれたんだよね。もしかして、笑わない理由にテディベアが関係あるのかな……」


「……えっ? テディベアが?」


 わたしは大きく頷く。もしかしたら、このホテルで何か起きるかもしれない……。そんな気がした。



   * * * *



『――わたしは大きく頷く。もしかしたら、このホテルで何か起きるかもしれない……。そんな気がした。』



「ふぅぅ~~、とりあえず今日はここまででいいか……」


 ここは夜十時前のオフィス兼居住スペース。わたしは書き終えた原稿データを保存して、思いっ切り伸びをする。そろそろ遅番のスタッフさんが出勤してくる頃だ。確か、陸さんも遅番だって言っていたような。あの人、ちゃんと寮で寝たのかな?


 彼が一旦寮へ帰ってからは、わたしも中番のコンシェルジュである優梨さんと一緒にお客様からの要望にお応えしたり、明日からのご予約の確認を取ったりというホテルの仕事をこなしつつオフィスで原稿の執筆をしていた。

 夕食にはスタッフのみなさんと休憩室で、賄いのドリアや余った牛肉を使用したカツレツなどを頂き、再びこの部屋に戻ってきてから入浴を済ませて執筆を再開した。ここはわたしの住まいでもあるため、専用のお手洗いとバスルームもついているのだ。


「……それにしても、美優ちゃんはどうして笑わないんだろう……? テディベアが関係あるみたいだけど。明日、スタッフのみんなに聞き込みでもしてみるか」


 ……コンコンとノックの音がして、考え事をしていたわたしは生返事をしていたらしい。ガチャリとドアが開く。


「オーナー、高良だけど。入るぞ」


「…………わぁぁぁっ!?」


 コンシェルジュの制服姿の陸さんが入ってきて、わたしは慌ててノートパソコンを閉じようとしたけれど。


「今、何隠した?」


「あーーっ!? ちょっと待って陸さん!」


 目ざとい彼にバッチリ見つかってしまった。今閉じようとしたワープロソフトの画面を覗き込まれてしまう。


「これが新作?」


「うん……。このホテルを舞台にして書いてるの。まだ書き始めだけど。……あの、陸さん」


「ん?」


「この新作のこと、他のみんなにはまだ内緒にしててもらえますか? 最後まで書き上げられるかどうか分からないから」


「……分かった。ところで、ここからは仕事の話だけど。田崎様のお嬢さんが笑わなくなった理由、テディベアが関係あるかもしれないってオーナー言ってたよな?」


「……うん」


「去年お泊まり頂いた時、あの子は確かにテディベアを抱えてた。でも今日来られた時には持ってなかったんだ。俺もそれが気になってた」


「え……? それじゃ」


 優秀なコンシェルジュである彼らしく、大した観察眼と記憶力だ。


「俺はそこに、あの小さなお客様が笑わなくなった理由があると思う」

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