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最終話 ほんとうのおわり

 ハッ、と、わたしが意識を取り戻したのは、見慣れた天井の下で御座いました。

 ふかふかと柔らかな、見慣れたクッションとソファー。

 ニュースだろう番組を流している見覚えのあるテレビ。

 何かを煮込むコトコトという音と、やさしい匂い。

 そこは、まさしくいつもの家の、わたしの特等席で御座いました。

 一瞬何があったのか、何故自分がここに居るのかと、意識の混濁が起こります。

 しかしどう周囲を探っても闇の気配は感じられず、あるのは覚えのある人間の気配のみでしかありません。

 そこでわたしは、理解しました。

 あぁ、またループをしてしまったかと、絶望をしました。

 わたしはきっと、失敗をしてしまったのでしょう。

 賭けに負け、エードラムが死亡したか、あるいは勇者がスカーに倒されて、またループが起こったのです。

 情け無い……何と情け無い結果でしょうか。

 あれだけ啖呵をきっておいてこの結果では、次にどうすればいいのかと絶望ばかりが精神を支配します。

 あぁ、あぁ勇者よ……すみません……

 すみません、エードラム……


「なぁに泣いてんだ、お前」


 がっくりと落ち込んでいると、ソファの背に手を乗せてエードラムが顔を出し、わたしはぎょっとしてしまいました。

 エードラムの身体のあちこちには包帯やガーゼが鎮座し、額には未だに血を滲ませているいびつな絆創膏。

 その姿はまるで、つい先ほどまで戦闘をしていたのではと思えるような有様でした。

 何より、いまここにエードラムが居るというのも驚きでした。

 エードラムが普通にリビングに居る、と、いう事は、ループはループでもエードラムが共に住むようになってからの時間へループしたのでしょうか。

 でも、そうなると、エードラムの魔力の源についてはどういう処理になるのでしょう。角はもうないようですが、いつの間に彼と戦闘をしたのでしょうか。

 わたしは混乱をしてしまって、不思議そうに見下ろしているエードラムに何の反応も返せずに呆然と見詰めるしか、出来ませんでした。

 するとエードラムは「あぁ」と言ってから口角を上げて獰猛な肉食獣のような笑みを浮かべると、

「お前、バルィだな?」

「へ?」

「おーい、バルィの奴が起きたみてぇだぞー」

 バルィだな、とは、一体どういう事でしょうか。

 わたしは確かにバルィではありますが、ではエードラムはわたしをそうと認識せずに話しかけていたのでしょうか。

 というか、今わたし、思わず喋ったはずです。

 素っ頓狂な声をあげたはずです。

 でもその声は、わたしの声ではありません、でした。

 あれ?


「バル?!」


 困惑したまま黙り込んでいると、ガシャンという音の後にドタドタという足音がして、さらにその後に転びかけたようなどこかに足を引っ掛けるような音と共にこれも聞き覚えのある声に名を呼ばれました。

 わたしをそのように呼ぶ人は、ひとりしか、居りません。

「バル、バル……おはよう」

「我が勇者よ……」

「う、うぅ~」

「おいおい泣いてんじゃねぇよブス」

「だ、だって……だって……」

 我が勇者は、やはりエードラムと同じように……しかしエードラムよりもずっと多くの包帯に巻かれながらも顔をぐしゃぐしゃに崩して泣いておりました。

 顔の半分が大きなガーゼと包帯で巻かれているというのに鼻を真っ赤にして、しゃっくり上げるようにしながらわたしを抱き締め、時折喉を喘がせながら泣いています。

 あまりにも感情的なその様子に驚愕してしまったわたしは、思わず自分の首筋に頭を埋めている勇者の後頭部に手を伸ばし、幼子を宥めるようによしよしと撫でてやっておりました。

 …………

 ……………………撫でてやっておりました?

「な、なんっじゃこりゃーー!!」

「今気付いたのかよ」

「ぶふっ」

 呆れ気味なエードラムと、思わず笑う勇者と。

 そんなふたりも一切気にせず、わたしは己の視界に入ってきている、自分の意のままに動くとても小さな手に驚愕して無意味にグーとパーを繰り返しておりました。

 手、手です。

 わたしにはそんなものはなかったというのに、何故こんなものがわたしについているのでしょう。

 それも、こんな小さな……?

「あのね、落ち着いて聞いて、バル」

 まだ鼻をすすりながら、勇者の手がわたしの頭をそっと撫でました。

 そう、頭です。

 剣の柄でも刃でもなく、頭なのです。

 なんということでしょう。

「ループは切れたよ、バル。お前のお陰だ」

「なんと……では、スカーは」

「消えた。お前がオレとアイツを切り離した直後にな。魔力管を喪ったアイツは自分の身体を保てなかったんだろう」

 言いながら、エードラムはわたしと勇者の隣に座ってわたしを自分の膝の上にひょいと乗せました。

 短い足が、見えます。

 とても不思議な、気持ちです。

「それでも、エードラムは死ななかった。お前があの本とエードラムを繋げてくれたから、死なないで済んだんだよ」

「オレ的には死ぬほど不本意だったがな……」

 むくれつつ言うエードラムの表情は、しかし不愉快そうではありません。

 わたしはそれに安堵しながら、ふたりの話に耳を傾けました。

 勇者が言うには、わたしはエードラムと太古の本を繋げた直後にあまりにも強大な魔力同士を繋げたことによるフィードバックで無様にも崩壊したのだそうです。

 わたしの身体と呼べるものは剣であり、そこが崩壊すれば自分の存在を保つ事は出来ません。

 それはわたしも覚悟の上でありましたので、驚きはしませんでした。

「それでね……ちょっと反則だけど、悠輝の身体を借りることにしたんだ」

「悠輝の?」

「お前今、悠輝」

「は!?」

「ほら、悠輝もちょっと……危なくてさ……あの時悠輝は、僕の腕を貫通したスカーの魔力で心臓を貫かれていて、悠輝の命を助けるには貫通した部位を助ける何かが必要だったんだ」

「まさかそこに……」

「うん。お前のコアは、今悠輝の心臓にあるんだよ」

 勇者に胸を突付かれつつ言われて、わたしは呆然と自分の幼い胸に視線を落としました。

 コアとは、わたしのセンサーが全て集約されている部位のことです。

 それこそ、刀身が身体であるのならばコアは心臓であり、防護壁や何かを使う際にもコアに魔力を集中してそこを中心にして防護壁を展開する、一番大事な部位なのです。

 勇者はわたしが崩壊した後に咄嗟にコアを取り出し、賭けとして悠輝の心臓に埋め込んだのだと話しました。

「お前は身体を失って後はコアも崩壊するばかりだったし、悠輝は心臓を失って後は死を待つだけだった。だから、お前の使った魔術を応用して、お前の魔力と悠輝の魔力を繋ぎ合せてみたんだ」

「普通やるかよそんな事」

「しょうがないじゃんっ! そうしないとどっちも死んじゃうと思ったし、バルのコアをベースにして徐々に悠輝の心臓を組成していけば悠輝の心臓は再構築出来るし、バルだって代わりの体を何とか出来れば剣に戻れるかもしれないしっ。そうすればいつかちゃんと分離できるんだからっ」

「ゆ、悠輝の意識は、そういえば……」

「あぁ、寝てんじゃねぇの? さっきまでおおはしゃぎで走り回ってたからな」

 疲れたんだろ、と言うエードラムが示す先には、悠輝のお気に入りのおもちゃが出しっぱなしのまま放置されています。

 テレビの時間を確認すれば、我々がスカーと戦った日からすでに3日が経過しておりました。

 つまりは、そう、そうです。

 わたしが意識の無い間は、悠輝はきちんと起きて遊んでいたのです。

「悠輝が深く眠ると、バルが出てくるのかもね」

「二重人格みてぇなもんだが、まぁそんなもんだろうな」

 笑顔で言うふたりに、わたしは目の前が歪むのを感じておりました。

 あぁ、これが涙……涙なのですね。

 耐え切れずに泣き出してしまったわたしの頭をエードラムが撫で、勇者がそっと抱き締めてくれます。

 勇者は、言いました。

 スカーが消滅し契約が履行された事と、エードラムと本とが繋がり魔力の変質が起きた事でいくらかの対価が戻ってきたのだと。

 いくつか戻ってこないものはあったけれど、それでも今こうして笑ったり会話をしたりが出来るのだと、そう言ってわたしの額にキスをひとつ、落としてくれました。

 そのキスに、わたしは生まれて初めて、大声をあげて泣いておりました。

 嬉しくて嬉しくて、悠輝の肉体であるというのに泣くのを止められなくて、わたしは「わたしの勇者」にしがみついて泣きじゃくりました。

 鼻が詰まって息苦しくなるのも、目の周りがひりひりするのも、初めての経験です。

 けれどとにかく嬉しくてたまらなくて、わたしはひたすらに泣きました。

 わたしの勇者は自分の服が濡れても嫌がらずにわたしを抱き締め、「ありがとう」と何度も何度も言いながら、一緒に泣いてくれました。

 エードラムはただ黙って、わたしたちを抱き締めていました。

 その暖かさが、声が、嬉しくて、わたしはずっとずっと、泣き続けました。




 問題はまだまだ山ほどあります。

 エードラムの魔力が完全に消失した事で均衡の崩れた魔物どもが活性化している事だとか、以前のようにモニターで周囲を監視できなくなった不便さだとか、エードラムと勇者が魔物退治に行っている間にガーラハドと柊に預けられてベタベタに甘やかされてしまうことだとか。

 けれど、エードラムに抱っこしてもらいつつ外に出たり、勇者に撫でてもらいながら一緒に寝たり、悠輝と一緒に友達と追いかけっこをしたり、みんなで美味しいものを沢山食べたり。

 その全てがわたしには新鮮で、楽しくて、多少の困難は少しも苦になりませんでした。

 必ず身体をどうにかしてあげるからね、と、勇者はわたしにいつも言います。

 確かに、悠輝のことを考えればわたしがいつまでも身体の中に居るのは望ましいことではないでしょう。

 わたしが表に出ていられる時間も短いですし、それを彼等が気にしていることはわたしもよくわかっていました。

 しかし、そんなことはわたしにはどうでもいいことでありました。

 悠輝を含めたみんなと一緒に居られればそれでいいと、わたしは思っていました。

 悠輝の身体に問題が起きればそりゃあ悠輝を優先して欲しいですけれど、人間になって浅いわたしにとっては、悠輝と共に経験するすべてが新鮮で、楽しいものであったからです。

 そんな事よりも、わたしはひとつ気になっている事がありました。

 それは、わたしの勇者の名前が結局対価として奪われたままであるということ、です。

 感情のほとんどや会話能力なんかは戻ってきたようですが、結局わたしもエードラムも、勇者の名前は忘れたままなのです。

 だから、わたしは柊とガーラハド、エードラムと一緒に、勇者の誕生日に名前をプレゼントすることに決めました。

 折りしもそろそろクリスマス。

 わたしもエードラムも初めてのクリスマスに勇者が張り切ってご馳走を作ろうとしてくれているのも、プレゼントを考えているのも、わたしたちは知っています。

 ですので、わたしたちも勇者と一生を共にするという誓いをこめた名前を考えようと約束をしたのです。

 ですがこれがまた難しいもので、ペットとは違って人間のものとなると中々決まりません。

 変な名前も付けたくはありませんし、我々の勇者にふさわしい名前となると大仰過ぎる名前ばかりになってしまいます。

 さて困りました……どうするべきでしょう。

 わたしの勇者にふさわしい、勇ましく優しく気高く誇り高い名前です。

 わたしには確信があるのです。

 我々の勇者はきっと気に入って、わたしたちを抱き締めてくれるでしょう。

 そしてわたしたちは沢山沢山、その名前を呼ぶのです。

 今まで呼べなかった分だけ、沢山沢山、呼ぶのです。




 ループは途切れました。

 これから目の前に広がるのは、幸せな未来だけです。

 そう思うだけで胸が躍るようで、わたしは生まれて初めて自分の胸に手を当てて、にっこりと、笑いました。

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